縦に引っ張ると、横にも伸びる

 

 

 瞬間的にポアソン比を連想しました。ポアソン比は、弾性体を引っ張るとその方向に伸び、直交方向は縮みますが、その比です。材料力学や構造力学の最初に出てきます。

ポアソン比 

 しかし、少し考えてみると、弾性体は縮みはするものの、布のようにたるんだりしわが出来たりはしませんので、無関係のような気がしてきました。そこで、大昔に習ったポアソン比について、ウィキペディアを眺めていると、面白い記述を発見しました。ポアソン比は負の値もありえるのですね。

ポアソン比

 つまり、縦に引っ張れば、直交方向の横にも伸びるという常識に反する場合があるのです。何故そんな奇妙なことがあるのかを説明した概念図もウィキペディアに示してありました。

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ウィキペディアの図

 学校で習った時には、ポアソン効果が何故起こるのかなんて考えもしなかったのですが、この概念図を見ると単純なことだと分かります。常識に反すると思えた負のポアソン比も不思議でもなんでもなくなりました。物質の幾何学的結晶構造によって、力を加えた方向以外にも変形が伝わるわけですね。そういえば、これを利用したおもちゃもありました。

仿生獸與伸縮球.AVI

マジックボール 投げると大きくなる不思議なボール 伸縮ボール

 

 ポアソン効果は、弾性体の結晶構造によるものだと分かったところで、布に戻ってみると、これもまた繊維構造ですので、引っ張った方向と直交方向にたるんだりしわがよるのも同じ理屈だとなんとなく分かってきました。ちゃんと考えると、次のようになるかと思います。

 布地の織り方は様々ですが、一番単純な縦糸と横糸でできた格子状の布を考えます。この布を下図Aの向きに引っ張ると、直交方向には縮むことが容易に分かります。ところが、図Bの向きだと、直交方向には変形しないはずです。実際に、手持ちのハンカチで試して見ると、図Aではしわしわになりますが、図Bではしわになりにくいです。それにしても図Bでも多少のしわが出来ます。それについては、引張力のバラツキが原因だと思います。図Cのように、ちょっとした原因で、引っ張られている糸の位置にズレが生じると、それに絡んでいる直交方向の糸がジグザグに折り曲げられて、縮むのでしょう。

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 実は、以上の説明は直交方向に縮むというもので、たるんだりしわがよる説明としては不足です。この点については、布はペラペラの二次元なので、面外方向に簡単に座屈するのだと思います。例えば、図Aの場合、主たる縦糸と横糸は共に引っ張り力なので座屈する要因はありませんが、縦糸と横糸で形作られるひし形の中にも糸くずが絡みついていれば、それが圧縮力を受け座屈します。あるいは、布の厚み方向の僅かな変形の差で面外方向の変形が引き起こされるのかも。

 

うなぎ屋のコウモリ ー NHK -

 立花氏の言動はアレだけど、「NHK放送のスクランブル化」はごく普通の主張ですね。

 多くの国会議員が「法令で受信料支払い義務がある」と勘違いした発言をしています。放送法では、支払いではなくて、契約を義務付けています。同じじゃないかと言う人もいますが、大違いです。契約とは私法上の契約にしろ公法上の契約にしろ、対等な当事者の合意に基づくものです。乙が甲に義務付ける甲乙契約などというものは矛盾だし、契約の意義をないがしろにしていますね。逆に、法令で支払い義務があるのなら、契約なんか不要です。不満でも、契約なんかしなくても、憲法に納税義務があるので、税金はとられます。

 この契約義務化が放送法の最も奇妙奇天烈な所です。法令で強制的に義務化しておきながら、合意に基づいているという体にするのは、ヤクザのみかじめ料請求の言いぐさですよ。報復を匂わせて強要しておきながら「お願いされたので警備しているだけ」と当事者合意による用心棒契約を装うわけです。

 ヤクザの報復示唆にあたるのが訴訟です。大抵、NHKの勝訴になりますが、その根拠は放送法です。敗訴になって受信料を支払えば、契約したことになり、自主的に合意して支払ったとみなされます。脅して強要したくせに酷い話です。

 契約とは、何かを提供し、その対価を支払うという取り決めです。その前提には、対価を支払わなければ何も提供されないことがあります。支払わなくても提供されるなら、対価を支払う馬鹿はいませんから当然です。垂れ流したうなぎの匂いの代金を請求するのは落語だけです。通常の放送はその前提が成り立たないので、受信料を取るためにはスクランブル化が必須です。

 スクランブル化とは、有料道路の料金所みたいなものです。通行料を払わないと通行できないようになっているわけですが、NHKがやっていることは、料金所を設けないだだ漏れの道路を作って、自動車を持っている人全員から通行料を聴取するようなものです。NHK道路は利用しないといっても聞いてもらえません。結局、この奇妙な有料道路は、税を財源とした一般の道路と本質的に同じになっています。ただ、大きな違いがあります。共有の税金ではなく、NHK専用の「税金」が徴収できるという特権性です。

 道路は公共的性格がありますから、税金を使うのが妥当なように、NHK放送も公共放送と言うのなら、税金で運営すればいいのです。でも当のNHKが一番嫌がっているはずです。なぜなら、国の機関になってしまい、国の介入や制約が増え、職員も国家公務員になってしまうからです。現状のような高給(平均年収1000万円超)や自由な運営は望むべくもありません。

 自由な運営と高給を望むなら、高速道路株式会社のように、ただ乗りさせないようにスクランブル化して運営すればいいのです。でも、これまたNHKは嫌がります。有料道路と違って放送事業では競合する民間放送事業者がいて、競争に負けるのを恐れているんでしょう。つまらなくて誰も見なくても料金が取れる仕組みは魅力的ですからね。

 つまり、NHKイソップ寓話の卑怯なコウモリさながら、鳥(公共)と獣(民間)の立場を都合よく使い分けています。それを可能にしているのが、もはや使命を終えた放送法じゃないかと。

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調合管理強度と構造体コンクリート強度 - 責任の所在

 前記事に引き続き、コンクリートの話である。調合強度とは別に、調合管理強度と構造体コンクリート強度という強度があり、これについては確認の試験を行う。2種類ある理由は、責任の所在を明確にするためである。

 建物の注文主にとっては、完成した建物のコンクリート強度が確保されていればよい。それを確認するのが、構造体コンクリート強度の試験である。本来はそれだけでよい。ただ、建設業は多重下請け体制であり、コンクリート工事も元請のゼネコンの下に、下請けの施工者がいて、更に材料を提供するレミコン工場がある。関係者が輻輳しているため、構造体コンクリート強度が不足した場合、誰の責任であるか明確にする必要がある。そのため、現場に納入された生コンの品質を確認するのが、調合管理強度の試験である。調合管理強度が確認できていれば、構造体コンクリート強度が不足ししても、生コン工場の責任ではなく、施工者の責任と分かる。

 しかしである、可能性は極めて少ないと思うが、構造体コンクリート強度は十分にあるにもかかわらず、調合管理強度が不足した場合は、どのような対処をすべきだろうか。結果的に完成した建物の性能は十分あるのだから、取り壊して再施工させるのは過剰反応だ。生コン工場のペナルティは当然だが、施工者や発注者にとっても工事の遅れなどの被害を被る。既製品の材料なら受けいれ時の品質に不備があれば突き返せるが、コンクリートの品質確認は受け入れ後4週間経たないと出来ない。それまでに行った工事も総てやり直しになる。かといって、生コン工場に何のお咎めなしというのも納得しがたい。金銭的な補償を行うのだろうか。その場合の罰金は施工者と発注者にどのような割合になるのだろうか。

 原則を言えば、発注者はこのような問題には関わる必要はない。引き渡しされる完成建物の性能があればよく、途中経過は問わないのだ。契約関係にあるのは、発注者と元請であり、元請と下請の契約に発注者は介入しないのは、一般的には普通の考え方だ。例えば、ファミレスのハンバーグで食中毒になった場合、お客はファミレスに損害賠償を求める。原因が食材を納入した肉屋にあったとしても、それは、ファミレスと肉屋で話を付けてもらえばよい。また、肉が汚染されていたとしてもお客が食中毒にならなければ、お客が損害賠償を求めることは無い。ファミレスと肉屋の間では何らかの賠償を求める契約にすることはありうるが、それにお客は関わらない。

 ところがである、建設業では、元請けと下請の関係に発注者が介入することが多い。建設業法では、元下関係の規定が多くある。そして公共の発注では、それについて発注者も確認する。これは、下請けいじめという建設業の悪弊があるのに加え、不良下請け業者も多いという事情があるからだろう。生コンについては、過去にミキサー車の加水など技術的問題も起こしているため、介入して確認しないと発注者も安心できない面がある。

 もちろん、契約関係にない下請けに直接、要求したりすることは出来ない。元請に対して下請けを監理せよという間接的要求になる。そして、元請が下請けの仕事を確認した結果を発注者は再確認する。おそらく、このような事情で、発注者の調合管理強度の確認試験があるのだろう。つまるところ信用の問題だ。信用がないと、手間や費用が掛かるのである。それは、経済の原則だ。

調合強度の確認 - 盲腸規定

 公共建築工事標準仕様書のコンクリート工事には、次の規定がある。

6.3.2(ウ)(d) 調合強度の確認は、材齢28日の圧縮強度による。

 この「確認」を具体的にどのように行うのかは不明である。通常、確認と言えば、試験を行う。ところが、コンクリートの強度を確認する試験には、構造体コンクリート強度や調合管理強度の規定はあるが、調合強度の試験の規定はない。と言うよりも、コンクリートの試験で調合強度より下回っても別にかまわないのである。

 一般の読者のために、調合強度とは何かを説明すると次のようになる。コンクリート工事を行う施工者がレディミクストコンクリート工場(生コン工場)に注文する時の要求性能の一つが「調合管理強度」*1である。しかし、調合管理強度を目標に調合を行うと、平均値が調合管理強度になる。つまり、50%が不合格になってしまう。そのため、不合格率を小さくするよう上乗せした強度で調合する。それが調合強度である。これで試験を行えば、50%が調合強度以下になるが、調合管理強度はほぼ上回る。

 つまり、調合強度とは、注文者の要求性能を達成できるように、生コン工場の都合で設定するものだ。極めて、バラツキの少ない製造管理が可能なら上乗せ強度は小さくて済むし、そうでなければ大きくしておいた方が安全である。本来、注文者が指定する必要もなければ、確認する必要もないものである。

 実際に確認しようすると、調合強度の値は、生コン工場に尋ねなければ分からないのである。公共建築工事標準仕様書の調合強度の値の規定は、次の通りで全く具体性が無い。

6.3.2(ア)(c) 調合強度は、調合管理強度に、強度のばらつきを表す標準偏差に許容不良率に応じた正規偏差を乗じた値を加えたものとする。

 以上のことから考えれば、「確認」とは生コン工場に調合強度をいくらにしたか尋ねることと考えるしかない。では尋ねると、どんな嬉しいことがあるかというと、特に無い。個人的見解を言えば、調合強度に関する規定は仕様書に定める必要はない。おそらく、レディミクストコンクリートが登場する以前の現場練コンクリートの規定がそのまま残ってしまった盲腸のような規定ではないだろうか。現場練の場合、施工者は、自ら調合して作るので、発注者の監督もプロセス管理として調合強度の設定値の確認をしていたのだろう。

 ちなみに、日本建築学会のコンクリート工事の標準仕様書JASS 5には、調合強度の確認の規定はない。ところが、不思議なことに、調合強度の設定の仕方は詳しく書いてある。

5.2 b. 調合強度は、標準養生した供試体の材齢m日における圧縮強度で表すものとし、(5.2)式及び(5.3)式を満足するように定める。調合強度を定める材齢m日は、原則として28日とする。

 F≧Fm+1.73σ(N/mm²)
F≧0.85Fm+3σ(N/mm²)
ここに、F:コンクリートの調合強度(N/mm²)
    Fm:コンクリートの調合管理強度(N/mm²)
    σ:使用するコンクリートの圧縮強度の標準偏差(N/mm²)

c.(略)

d.使用するコンクリートの圧縮強度の標準偏差は、レディーミクストコンクリート工場の実績を基に定める。実績がない場合は、2.5N/mm²または0.1Fmの大きいほうの値とする。

 

 確認しない調合強度について事細かに定義しているのは何故だろうか。実は、日本建築学会の標準仕様書全般にそういう傾向がある。学会の仕様書制定のメンバーには、材料メーカーの委員も参加していて、コンクリート工事では生コン工場関係者が関わっている。そのため、作る側の視点が強く出ている。調合強度をいくらに設定するかは、生コン工場としては自分たちの仕事なので、しっかり決めておきたいのだろう。

 一方、公共建築工事標準仕様書の方は、国交省が工事発注や監督する時に使う為に作っている。いわば、買う立場の視点で作られている。本来、仕様書とは、生産者に対する要求事項や、発注者の監督が確認する事項を記載した注文書である。生産者が生産する際には、仕様書以外に自分たちが作った膨大な基準類が必要になる。仕様書や設計図だけで作ることは出来ない。

 建築学会の標準仕様書は、作る立場の膨大な情報が掲載されており勉強の参考書にはなる。ただ、大部になってしまっているため、請負工事の契約書類としては使いづらい。そのため、実際に使われるのは公共建築工事標準仕様書が多い。余計な情報がなく簡潔に要点だけ記載されている。ただし、その中にも、盲腸のような規定が残っているわけだ。多分、他にもあるだろう。

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*1:正確には、注文は「呼び強度」で行う。調合管理強度は設計者が必要とする任意の値に設定できるが、レミコン工場は、JIS規格にある3N/mm²刻みのコンクリートしか製造していない。そのため、調合管理強度より大きい呼び強度で注文する。なお、呼び強度は製品の記号であり単位は無い。単位を付けた量にする場合は「呼び強度の強度値」とややこしい名称になる。

被相続人 - 反対の反対

 前の記事で触れた改正建設業法をみていたら、違和感漂う奇妙な言葉に出くわしました。
 
被相続人

 意味は、「遺産を残して亡くなった人」だそうで、何故そういう意味になるのかは、例えば次のリンク先に書いてあります。

「被相続人」とは亡くなった人のこと。 初心者でも分かる相続の登場人物の専門用語を分かりやすく解説


 そこの説明では、「被」は「~される」という受け身の意味を表すので、「被相続人」とは「相続される人」になるそうです。確かに、「土地が相続される。」などと言います。この場合、相続されるのは土地ですから、「被相続品」とでもいうのでしょうか。

 このことから類推すると「被相続人」とは、人間が受け渡しされるかのような人身売買めいた響きを感じますが、そういう意味ではなくて、何故か「遺産を残して亡くなった人」なんですね。亡くなった人に受け身の意味合いも持たせると、「遺産目当てに殺された人」みたいになって、今度は、犯罪めいた響きがしてきます。

 もう一つ「被承継人」という言葉も法律にあるようです。「承継人」とは「受け継ぐ人」で、「被承継人」とは「受け継がれる人」です。これも人身売買的意味ではなくて、「厄介な事を誰かに受け継いでもらって、肩の荷が下りた人」というような意味です。少々余計な意味を付け加えましたが、「受け継いでもらった人」だけだと、渡す人、受け取る人、受け渡しされる人の三種類の解釈が可能なので、限定する都合です。言葉は微妙ですね。

 さて、人身売買や犯罪の件は別にして、「譲る」に「被」を付けると、「譲られる」になるのは当然ですが、さらに「譲られる」に「被」を付けると「譲る」に戻るのかという大疑問があります。「譲る」の受け身が「譲られる」で、そのまた受け身が「譲られられる」で、元に戻って「譲る」になるのでしょうか。どうも私が使ってきた日本語とは違います。私は、「譲られられる」なんて表現は聞いたことがありません。

 「譲る」は能動的な意味合いがあり、その受動形の「譲られる」とほぼ同じ意味の「貰う」という言葉があります。「貰う」にはもともと受動的な意味合があって、この受動形は「貰われる」ですが、「「譲る」という意味にはなりません。少々混乱してきたので、具体的例で整理してみます。

バレンタインデーの例

「アリスがボブにチョコを譲る。」の受動形には二つあります。「ボブがアリスからチョコを譲られる」「チョコがアリスからボブに譲られる。」です。

では「ボブがアリスからチョコを貰う」の受動形はどうでしょうか。「チョコがアリスからボブに貰われた」はありますが、「アリスがボブからチョコを貰われた」は意味不明です。

 なんとなく分かってきましたよ。反対の反対は賛成かもしれませんが、受働の受働は能動にはなりません。「薄薄緑」が「深緑」にはならないようなものです。同様に「被被害者」も「加害者」にはなりません。多分、刑法にもそんな言葉は無いと思います。調べたわけじゃありませんが。

 つまり、こういうことです。「反」や「逆」のような言葉は方向性を反転しますが、「被」にはそういう働きは有りません。能動的な行為を受ける受働側を表すだけです。受動的な行為を受ける側はありませんから「被」を付けることは出来ないのです。「被相続人」とは、勘違いの産物というのが私の結論です。ところで、先ほど「貰われる」という言い方がありました。これは一見、受働の受働みたいに見えます。

 そうではないことは、「アリスがボブからチョコを貰われた」という言い方がないことから分かります。アリスとボブの関係では、アリスが能動でボブが受働です。従って、受働のボブに「被」を付けて能動のアリスを表すことは出来ません。でも、アリスやボブとチョコの関係では、アリスやボブが能動で、チョコが受働です。よって、チョコを主語とした「貰う」の受働表現はあります。

 こんなどうでも良いことをあれこれ考えていると、言葉っていい加減なところもあるけど、緻密なルールもあるのだなあと感じます。緻密なルールは暗黙知なので、全然意識にのぼりませんが、ルール違反センサーが違和感を発報するんですね。

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悪文 - 令和元年6月12日公布 改正建設業法

 法令関連の文章が分かりにくいのは万人の知るところです。別に嫌がらせで分かりにくくしているのではなくて、分かり安さを犠牲にしても、あいまいさを避けるのが重要だからです。なので、瞬時には理解できなくても、時間をかけて読み解けば、意味は分かるようになっています。普通はね。

 残念なことに、逆にあいまいになっていたり、解説なしでは解読不能な場合もあります。以前にもこのテーマで記事を書きました。

この点検を実施しない場合は,この点検を実施をしなければならない

 世の中には、法令の解説書が数多く出版されています。このことは、法令だけ読んで理解できる人は少ないということを表しています。法令とは、分かっている人が確認のため読むもので、分かっていない人が読んで分かるようには書いてありません。

 さて、今年の6月に改正建設業法が公布されました。この中にも分かっていない人が読んでも分からない例がありました。次の条文です。とりあえず読んでみてください。

第二十六条の三 特定専門工事の元請負人及び下請負人(建設業者である下請負人に限る。以下この条において同じ。)は、その合意により、当該元請負人が当該特定専門工事につき第二十六条第一項の規定により置かなければならない主任技術者が、その行うべき次条第一項に規定する職務と併せて、当該下請負人がその下請負に係る建設工事につき第二十六条第一項の規定により置かなければならないこととされる主任技術者の行うべき次条第一項に規定する職務を行うこととすることができる。この場合において、当該下請負人は、第二十六条第一項の規定にかかわらず、その下請負に係る建設工事につき主任技術者を置くことを要しない。

 理解できたでしょうか。この文章には「元請負人が」、「下請負人が」や「主任技術者が」という主語が沢山出てきますが、それを受ける述部がどれなのか、一読しただけで分かりません。少なくとも私はわかりませんでした。他にも、気になる点があり、わざと分かりにくくしているんじゃないかと邪推したくなりましたよ。

 どうも再読しても、この条文だけでは意味が理解できそうにないので、カンニングしました。下記リンクに国交省の解説資料があります。

建設業法、入契法の改正について

 この助けを借りて何とか解読できたところで、何故分かりにくいのか、一つ一つ詳しく点検しました。以下、その点検結果です。

■「特定専門工事の元請負人及び下請負人は、」という提題部(topic maker)に関する記述がない。

 文法的には、諸説あるようですが、日本語の「は」は主語をあらわす格助詞(subject maker)ではなく、その文あるいもっと広く文章の話題を示すものと言われます。「は」の直後だけでなく、もっと後ろまで影響することを日本語のネイティブスピーカーは無意識に分かっています。そのため、読む人は、「元請負人及び下請負人」の両方に関する記述がその後に述べられていることを期待します。ところが、それに該当する記述は、「その合意により」だけで、それ以外は「元請負人」か「下請負人」のどちらかの記述しかありません。違和感を感じます。

 もう少し詳しく説明すると、この条文は二つの文から成っていますが、最初の文は「下請負人が置かなければならない主任技術者」の行うべき職務を「元請負人が置かなければならない主任技術者」が行うことができる、と述べています。後の文は、「下請負人は主任技術者を置くことを要しない」ことを述べています。話題であるはずの「元請負人及び下請負人」については、「元請負人下請負人の合意」がありますが、主たる話題ではなく、補足的な内容です。その後に両者が行うべき主たる記述があると期待して読み進めても出てこないので話題が宙に浮いたような違和感を感じます。

 ケチをつけるだけなら誰でもできるので、修文提案もしてみます。「合意」云々は補足的な内容ですので、例えば、「特定専門工事の元請負人及び下請負人の合意が有る場合には・・・」としたらどうでしょうか。

■ 複数ある主語「・・・が」とその述部の対応が分かりにくい。

 前述の補足部分を除いた最初の文の意味を国交省資料を元に読み解き、その構造を示すと次の通りです。それほど複雑でもありません。にもかかわらず分かりにくいのですね。

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 「元請負人が」の述部は直後の「置かなければならない」で、「下請負人が」の述部も直後の「置かなければならない」です。ここは問題ありません。ところが、「主任技術者が」の述部は、「下請負人が置かなければならない主任技術者の」の後の「職務を行うことができる」です。間に挟まった部分にも「下請負人が」という別の主語があるため、主述の対応が不明瞭になっています。例えば「私が君が行ったところに行く」という表現には違和感を感じる人が多いでしょう。普通は、「君が行ったところに私が行く」と表現します。あるいは、提題文にして「私は、君が行ったところに行く」とすべきでしょう。「は」で示される提題部は、直後だけでなく、後ろの方まで影響しますが、「が」で示される主語の述部は直後にないと混乱します。「は」は脳内メモリに長期保存されますが、「が」は短期記憶しかされないようです。

 修文案としては、主語と述部を近づけるように記述順序を入れ替えるのはどうでしょうか。

■ 参照条文を一文の中に入れているため、分かりにくく、しかも同じ参照条文を繰り返しでうるさい。

 主任技術者の修飾節の「第二十六条第一項の規定により置かなければならない」や、職務の修飾節の「次条第一項に規定する」が繰り返され分かりにくくなっています。これらは、なおがきで後で記述したほうが、文の骨格が明瞭になりすんなり読めます。

■ 多分、「当該特定専門工事につき」の位置がおかしい。

 「当該特定専門工事につき」が元請の記述部分にありますが、下請けの内容なので、後ろに持っていったほうが妥当じゃないかと思います。

■「その行うべき次条第一項に規定する職務と併せて」を受ける部分が離れている。

 「その行うべき次条第一項に規定する職務と併せて」を受けるのは、「職務を行うこととすることができる。」ですが、離れているため読んでいるうちに忘れてしまいます。この部分は、元請負人の主任技術者が本来行うべき職務ですから、記述しなくてもよいのじゃないでしょうか。

 以上を踏まえて、次のように添削してみました。どうかな。
 

修正案

第二十六条の三  特定専門工事の元請負人及び下請負人(建設業者である下請負人に限る。以下この条において同じ。)の合意がある場合、当該下請負人がその下請負に係る特定専門建設工事につき置かなければならないこととされる主任技術者の行うべき職務を、当該元請負人が置かなければならない主任技術者が行うこととすることができる。この場合において、当該下請負人は、第二十六条第一項の規定にかかわらず、その下請負に係る建設工事につき主任技術者を置くことを要しない。
 なお、下請負人及び元請負人が置かなければならないこととされる主任技術者並びにその職務は、第二十六条第一項及び次条第一項の規定による。

 

エスカレーターで歩かないのは緩い原則

 エスカレーターの片側空けは、急いでいる人への配慮が発祥で次第にマナーとなりました。一部の人はルールと勘違いしているようですが、配慮ですよ。 配慮とは、したほうが望ましい気づかいですが、しなかったからと言って、重大な支障が生じるわけでは有りません。もし、支障があるのならば、マナーではなく施設管理者がルールにしたり、場合によっては法律で規制しなければならんでしょう。

 前回の記事でエスカレーターで歩く人のほとんどに、急ぐ理由がないと述べました。従って、急いでいる人に配慮しなくても重大な支障は生じません。利便性が損なわれ、不快な気分になってストレスが溜まるかもしれませんが、その程度の支障です。その程度の支障もないに越したことはないだろうと心暖かい配慮からマナーとなったわけです。

 その後、片側空けで別の支障が生じる人がいることが分かってきました。その支障も重大な支障とまでは言えないならば、お互いのストレスを衡量して解決策を図ることになります。でも、対立のストレスを増やすのも本末転倒です。ムキにならずに譲った方がストレスになりません。譲り合いもマナーです。冒頭に述べたように、元々、片側空けは配慮ですからね。その程度のものです。それを権利のように思って、配慮が足りないと怒るなんて、勘違いした道徳教育推進教師ですね。

 ところが、片側空けの支障は利便が損なわれるというレベルではなくて、危険という重大な支障だったんです。そもそもエスカレーターは階段の規定を満足しておらず、歩いてはいけないものです。実際上それほど危険ではないだろうと黙認されていましたが、残念ながら接触転落事故がそこそこ発生しています。
 厳しく言えば、歩いてはいけないのは、マナーではなく、法律で規制されています。ただ、施設の設計や管理者側の規制なので、利用者を直接規制できなかったけです。6年前の記事にも書きましたが、東日本大震災後の節電で停止したエスカレーターは使用禁止になっていました。階段として利用させて事故が起こった場合、管理者責任を問われる可能性があったからでしょう。東芝エレベーターの「エスカレーターを所有・管理する皆さまへ」にも次のように書かれています。要するに、安全第一、利便第二です。

エスカレーターを休止する場合は、一般の利用者が階段として使用しないように、進入防止処置を実施してください。

利用者がつまずき、転倒するおそれがあります。

  とはいえ、法やルールでガチガチに規制するのも嫌ですね。乗り降りの際は歩かざるを得ないし、接触転落の恐れがないなら自己責任で歩いてもいいでしょう。生まれてこの方、歩いたことは無いし、今後も絶対歩かないという人もいないでしょう。立ち止まっている人がいても「ボーッと突っ立ってんじゃねえよ。邪魔だどけ」なんて言わ無けりゃいいです。

 片側空けも配慮なら良かったんです。それがルールみたいになって雰囲気が悪くなりました。その反動で歩くなルールが同じ轍を踏むのは避けたいですね。あくまで緩い原則ということで普及して欲しいです。