石綿規制が労働環境の悪化を引き起こすかも

 大気汚染防止法石綿障害予防規則の石綿関連の規定が2020年に改正され順次施行されている。二つの法令の二重規制の解消など改善されていてありがたいが、一点、気になるのが「仕上塗材(しあげぬりざい)」の規制である。仕上塗材とは主に建築物の外壁に塗布される材料である。仕上塗材には石綿が含まれているものがあった。また仕上塗材の下地調整に使う材料にも含まれるものがある。平常は飛散しないので問題ないが、外壁改修などで除去する際に飛散する恐れがあることから規制が追加された。従来の石綿の規制は建物屋内の飛散しやすい吹き付け石綿などが中心であった。建材から石綿が飛散し、それを建設労働者が吸い込むことで健康被害を起こしたからである。

 健康被害は、ほとんどがそのような高濃度環境で長期間にわたって働く人の労働災害であった。建物使用者の健康被害や、屋外環境での暴露による健康被害は、旧クボタ工場周辺住民のような例を除き殆どない。

 建設工事では、労働災害と第三者の公衆災害があり、石綿に関しては労働災害がほぼ全てで公衆災害は皆無だ。両方の災害があるものには塗装工事がある。塗装の場合の公衆災害は不快な臭いであり深刻な健康被害はないが、屋内で塗装作業を行うと中毒などの重大な労働災害が起こる。そのため、換気が必須である。換気すれば有害な有機溶剤が一般環境に放出され公衆災害を引き起こすかというと、そのようなレベルとは程遠い。換気で屋外排出が推奨されている。

 一方、石綿が含まれる仕上塗材の除去は屋外作業であるが、今回の法改正によって、場合によっては周囲をシートなどで覆い「隔離(吹き付け材のように負圧にする必要まではないが)」して周辺に飛散しないようにしなければならなくなった。屋内環境に近づくわけで、労働環境としては悪化するが、公衆災害を防ぐためである。ところが、前述のように、建設工事では、公衆災害は起きていない。起きているのは専ら、建設労働者の労働災害である。旧クボタ工場の周辺住民は、高濃度(大防法の敷地周辺での規制値 1L当たり石綿繊維10本の数百倍)の空気を何十年もの長期間吸い込み続けて、肺がんや中皮腫になったのである。建物の外壁の改修工事が数十年にわたって行われることはあり得ない。飛散する石綿繊維も後述するように桁違いに少ないはずである。発生していない公衆災害を減らすのは不可能だが、不可能を達成するために、発生している労働災害を増やすかもしれないのである。

 建設工事の石綿規制の方針は、「石綿をゼロ」であり、どの程度の量なら健康被害を起こすかという観点がない。建材に含まれる石綿が重量で0.1%以下というのがその代表例である。この数字は健康被害とは無関係だ。健康被害と関係するのは人間が吸い込む空気中の石綿濃度と吸い込む期間である。1%の石綿を含む建材1グラムを使用した部屋と含有量0.1%の建材10kgを使用した部屋の空気中石綿濃度は後者が大きいだろうが、規制を受けるのは前者である。0.1%というのは石綿の検出限界から出てきた数値であって、ゼロリスクと現実の測定技術の妥協の産物でしかない。定量的な健康への影響という視点はないのである。

 
 大防法や石綿測の建築解体工事や改修工事の規制について検討を行うのは主に建設関係の専門家である。彼らは、建材の石綿含有率0.1%や敷地周辺の10本/Lという目標を達成するための施工方法や対策を真剣に考えるが、それがどの程度健康被害を減らすのか、あるいは増やすのかについては多分知らない。健康被害についてはその道の専門家が出した結論を信頼し、それを与条件として建築的な対応を考えるだけである。しかし、材料分析の専門家が健康被害と無関係に、とにかく石綿をゼロにすればよいと考えたように、建築の専門家も考えているようなのだ。つまり、仕上塗材除去で発生する石綿をできるだけゼロにしようとする。健康被害は考えられないレベルかもしれないのにゼロにしようとする。その結果、別のリスクが増しているかもしれないのにだ。

 過去に、専門外だが、どの程度の空気中の石綿濃度にすれば健康被害が防げるのか大雑把なところを調べてみたことがある。今回、新たに調べたものを加えて以下に示す。

 

1.どの程度の量のアスベストを吸い込んだら発病するのか?厚労省QA

アスベストを吸い込んだ量と中皮腫や肺がんなどの発病との間には相関関係が認められていますが、短期間の低濃度ばく露における発がんの危険性については 不明な点が多いとされています。現時点では、どれくらい以上のアスベストを吸えば、中皮腫になるかということは明らかではありません。

 長期間の石綿暴露の影響は分かっているが、隣の建物の外壁の仕上げ塗り材を除去した粉塵に含まれる石綿を吸い込んだという短期間の影響は不明ということだ。そういう被害がないとは言い切れないが報告もないし、把握できていないということだろう。

 

2.石綿濃度とばく露量の判断

 長期間暴露は、いろいろ調べられている。

www.asbestos-center.jp

 リンク先「リスク評価モデルの参考例」の表中の日本産業衛生学会の評価モデルでは、1f/mL(1L当たり1000本だから大防法規制値の100倍)の環境に50年間暴露すれば、肺がんと中皮腫のリスクが1000人あたり26.84人増える。他の機関の評価と比べるため、1f/mLに1時間暴露した時の100万人当たりリスクだと0.28人である。機関によってばらつきはあるが、1L当たり400~1000本の環境に6年から70年暴露すれば、1000人当たり1人から22人のリスクが増える。なお、WHOの評価では喫煙者も調べており、非喫煙者の倍のリスクになっている。

 

3.旧クボタ工場周辺の石綿濃度(2006年04月12日 朝日新聞)

・・・最も推計数値が高かったのはヤンマーの工場で同規制値の300倍、日本産業衛生学会が石綿を取り扱う職場の目安として定める評価値(0.03f/ml)と比べても100倍に達した。

 最大値の推測だが、大防法規制値の300倍(1L当たり3000本)に数十年暴露すれば公衆も被害を受ける。

 

4.解体工事で発生している石綿濃度

環境省調査「令和2年度アスベスト大気濃度調査結果について」の表3によれば、総繊維数で、1L当たり数本から最大で85本である。大防法規制の石綿繊維数だと最大で6.3本なので規制値以下である。

 

 以上、大雑把ではあるが、健康被害が起こるのは1Lあたり数百本の石綿を含む空気を数十年間吸い続けた場合である。過去にはそのような過酷な労働環境が存在し、多数の被害者が発生した。一方、現在の解体現場から発生状況の調査結果では、大防法の規制値10本以下である。解体現場でその程度であり、外壁改修の仕上塗材除去ならもっと少ないだろう。周辺環境の健康被害の恐れは殆どないと思う。わざわざシートで囲って、労働環境を悪くすることはないと思う。ただ、シート覆いは必須ではない。湿潤化作業などでもよいのが救いである。

■ 「積極的勧奨の再開」ではなく「周知の再開」

 HPVワクチンの接種対象者への個別通知が再開されました。また、通知がなかったため接種機会を逃した女子への救済も行われます。再開に尽力された方には感謝したいと思います。

 さて、世間では「積極的勧奨の再開」と言われていますが、これは間違いです。正しくは「周知の再開」です。単に言葉の問題に過ぎないと思われるかもしれませんが、「積極的勧奨の差し控え」として行われたのは法令に定めのある「周知」を止めたのであり、違法でした。

 違法と考える理由は、過去記事に書きましたが、多少の勘違いがありましたので、改めて整理します。

 

〇 予防接種法には、「積極的勧奨」という用語は使われていない。使われているのは「勧奨」だけである。

(予防接種の勧奨)

法第八条 市町村長又は都道府県知事は、第五条第一項の規定による予防接種であってA類疾病に係るもの又は第六条第一項若しくは第三項の規定による予防接種の対象者に対し、定期の予防接種であってA類疾病に係るもの又は臨時の予防接種を受けることを勧奨するものとする。

〇 予防接種法施行令には、「周知」という用語が使われており、接種対象者に必要な事項を周知しなければならないとしている。

(対象者等への周知)

令第六条 市町村長は、法第五条第一項の規定による予防接種を行う場合には、前条の規定による公告を行うほか、当該予防接種の対象者又はその保護者に対して、あらかじめ、予防接種の種類、予防接種を受ける期日又は期間及び場所、予防接種を受けるに当たって注意すべき事項その他必要な事項を周知しなければならない。

〇 法の「勧奨」は予防接種のメリットを示して接種した方がよいとお勧めするもので、令の「周知」は単なる接種情報(対象者であること、期日又は期間及び場所、注意事項)をお知らせするもので、別である。

 

〇 令の「周知」については、厚生労働省健康局長通知が都道府県知事に発出されており、「その周知方法については、やむを得ない事情がある場合を除き、個別通知とし、確実な周知に努めること。」としている。

予防接種法第5条第1項の規定による予防接種の実施について」(平成25年3月30日付け健発0330第2号厚生労働省健康局長通知)の別添「定期接種実施要領」

 

2 対象者等に対する周知

(1) 定期接種を行う際は、政令第5条の規定による公告を行い、政令第6条の規定により定期接種の対象者又はその保護者に対して、あらかじめ、予防接種の種類、予防接種を受ける期日又は期間及び場所、予防接種を受けるに当たって注意すべき事項、予防接種を受けることが適当でない者、接種に協力する医師その他必要な事項が十分周知されること。その周知方法については、やむを得ない事情がある場合を除き、個別通知とし、確実な周知に努めること。

〇 厚労省HPの子宮頸がんワクチンQAのA25で、「『積極的勧奨』とは接種を促すハガキ等を各家庭に送ること等により積極的に接種をお勧めする取り組みを指しています」と説明している。これは、厚生労働省健康局長通知と合っていない。

A25. A類疾病の定期接種については、予防接種法に基づき市町村が接種対象者やその保護者に対して、接種を受けるよう勧奨しなければならないものとしています。

 具体的には、市町村は接種対象者やその保護者に対して、広報紙や、ポスター、インターネットなどを利用して接種可能なワクチンや、接種対象年齢などについて広報を行うことを指しています。

 「積極的な勧奨」とは、市町村が対象者やその保護者に対して、標準的な接種期間の前に、接種を促すハガキ等を各家庭に送ること等により積極的に接種をお勧めする取り組みを指しています。(※)

※HPVワクチンの場合、政令で定める標準的接種年齢(中学1年相当)を迎える前に個別に通知することが一般的です。

今回の「積極的な勧奨の差し控え」は、このような積極的な勧奨を取り止めることですが、HPVワクチンが定期接種の対象であることは変わりません。このため、接種を希望する方は定期接種として接種を受けることが可能です。 一方、定期接種の中止とは、ワクチンを定期接種の対象外とすることで、予防接種法に基づかない任意接種として取り扱われることになります。

〇 QA26では、「周知」とは接種対象者及びその保護者に情報提供資材を個別にお送りするもので、お勧めするものではないと説明している。これは、厚生労働省健康局長通知と合っている。

A26. 今までも、リーフレットを用い、ワクチンの有効性と安全性に関する情報提供に取り組んできましたが、調査の結果、国民のみなさまに情報が十分に行き届いていないことが明らかになりました。これを踏まえ、公費によって接種できるワクチンの一つとしてHPVワクチンがあることについて知っていただくとともに、HPVワクチン接種について検討・判断するためのワクチンの有効性・安全性に関する情報等や、接種を希望した場合の円滑な接種のために必要な情報をお届けするため、リーフレット等の情報提供資材を、接種対象者及びその保護者に個別にお送りする方針が、専門家の会議で決まりました。

 接種をお勧めする内容ではなく、子宮頸がんやワクチンに関する情報や接種に必要な情報を個別にお送りすることは、積極的な勧奨とは異なります。

 

以上から、次のことが言えます。

 

〇 お勧めする「勧奨」と単なる情報提供の「周知」は共に法定事項であり、法令改正せずに差し控えることは出来ない。

 

〇 厚労省は、「周知」と「勧奨」を混同させ、さらに「積極的勧奨」という用語を作り出し、その意味を「接種対象者への個別通知」とした。それによって、違法に「周知(個別通知)」を止めながら違法でないように見せかけた。

 

 厚労省は「勧奨」はするが「積極的勧奨」はしないとお勧めするのかしないのか、わからないことを言ったわけですが、本心がどっちだろうと、接種率向上に効果があるのは「周知」の個別通知です。現実に、一時は70%程度の接種率が0.6%まで下がりました。

 実は、「積極的勧奨の差し控え」継続中の昨年10月には、「周知」の個別通知をせよと厚生労働省健康局健康課長は都道府県へ通知しています。その「積極的勧奨」とはQAのA25で個別通知と説明してますから矛盾です。8年前からの矛盾を目立たないように2段階で解消したのかどうか真意は不明ですが。

 ここまで法令について細かいことをあれこれ書きましたが、法を守ることよりも重要なことがあるような気がしています。実は「積極的勧奨の差し控え」は日本脳炎ワクチンの前例があります。このときは、ワクチンと副反応被害の関係を厚労省は実質的に認めています。しかし、法改正して接種を止めるには時間がかかります。緊急を要するので「積極的勧奨の差し控え」という超法規的措置を取ったのだと思います。

 ところが、HPVワクチンは全く事情が違います。ワクチンと副反応の関係は認められず、接種を止める被害の方が大きいことは分かっていながら、メディアの批判と訴訟が増えないように超法規的措置をとった疑いがあります。元厚労省課長がそれらしきことをBuzz Feedの記事で発言していました。

 「健康被害の防止」、「法令遵守」、「メディア批判と訴訟の回避」。この最後の優先順序が役所では高くなりがちです。

 

【追記】日本脳炎ワクチンの時は新しいワクチンが出来たため接種が数年で再開されました。確認できていませんが、おそらく「積極的勧奨の差し控え」ではなく接種を中止していたのではないでしょうか。健康被害との関係を認めたワクチンを接種するとは思えませんから。一方、HPVワクチンは、数は激減したものの接種は行われていました。

三本耳のウサギ 教育法としての掛け算順序

「ウサギが3羽で耳は何本?」という問題に「3×2=6」という式を書くと3本耳のウサギが2羽という意味になるという与太話があります。この話は掛け算順序の必要性を説明するために言い出されたのですが、その意図とは裏腹に掛け算順序教育など無意味であることを見事に示しています。もしかしたら、順序教育支持者を装った順序教育批判者による掛け算順序版「ソーカル事件」かと疑うほどです。(ウソ)

  掛け算順序は、「単位当たりの数」と「単位がいくつあるか」を区別するために必要と順序教育支持者は言います。区別できない子供が区別できるようにするため有効な教育法というのですね。そんなことは問題文を読めばわかると私は思うのですが、発達段階の子供はそうではないと順序教育支持者は言います。冒頭のウサギの問題を読んで「3本耳のウサギが2羽いる」と理解してしまう子供がいるらしいのです。そういう子供は「2×3」という式を書いてしまうので、式を見れば子供が理解しているか判断できるというわけです。なるほど。(ノリツッコミのノリ)

  いや、なるほどじゃない(ツッコミ)。ウサギ耳の話を最初にした人がそんな主旨で言ったのではないのは明らかです。「ウサギの耳が2本なのはみんなも知っているでしょう。「ウサギが3羽」と問題文に書いてあれば「ウサギが3羽」ですよね。でも、「3×2」という式はそう意味にはなりませんよ。」と言っているのです。つまり、掛け算には順序があるというウソを教えているだけで、「単位当たりの数」と「単位がいくつあるか」を区別できない子供がいるなんて思っちゃいません。仮にそんな子供が存在したとしても、掛け順序を教えたら区別できるようなることもありません。区別できて初めてウソの順序通りに書けます。ウソの順序を教えても区別できるようになるわけでも、区別できているか判断することもできません。

 「「右」という字を右側に「左」という字を左側に書きなさい」と指示された子供が「正しい」順序に書いても、「右」と「左」の意味を理解しているかは判断できません。左右を逆に理解しても「正しい」順序になりますからね。左右の区別は、伝統に従い「箸を持つ方が右」とでも教えれば済むのであって、回りくどくて荒唐無稽な左右記載教育は無用です。左右を区別できて初めて左右を指示通りに書けますが、指示通りに左右を書けといっても、左右が区別出来るようになるわけでも、区別できているか判断することもできません。

  更に、「単位当たりの数」と「単位がいくつあるか」は入れ替え可能です。ウサギの耳ならば、掛け算順序に従っても、片耳当たり3本、両耳で3×2と書くこともできます。左右についても「向かって右」と「背にして右」では逆になります。状況に応じて、どちらで考えてもよいことを片方に限定しても不自由で不便になるだけですね。

  ネット上の印象に過ぎませんが、交換法則に反する掛け算順序を本当に信じているのは少数派になっているようです。大抵の掛け算順序教育支持者は、子供に「単位当たりの数」と「単位がいくつあるか」を理解させるための教育方法であって、小学校段階を過ぎれば順序は気にしなくてよいなどと批判をかわそうとします。しかし、教育方法としても全くお話になりません。ウソを教えるのがまともな教育法であるはずもありません。

日常生活や仕事で使う名前は戸籍名に縛られないー選択的夫婦別姓論

■前置きー各党公約

 2021年衆議院選挙も終わりました。今更ですが、各党公約を見ると、自民党以外は選択的夫婦別姓に賛成しています。夫婦別姓というのは、市町村合併しても二つの自治体名を使うような奇妙さがあります。西東京市は、田無市と保土谷市が合併してできましたが、旧田無市西原町や旧保土谷市の新町が「田無市西原町」や「保土谷市新町」のままにしたいと言っているようなものではないでしょうか。

 確かに現行制度では婚姻によって、相手の姓になるのは従属するような気分になるかもしれません。市町村合併でも同じ感情があるようで、大抵はどちらの旧市町村名でもない新しいものにします。結婚後の姓も新しいものにすればよいと思いますが、現行法では出来ません。制度を変えるなら夫婦別姓よりは、新しい姓を認める方がいいのではないでしょうか。

 でも、制度を変えるほどの大問題なんでしょうか。改姓で仕事に支障が出るなら通称を使えば済みます。戸籍名なんて、行政上の整理記号みたいなもので、日常的に使う名前は自分の好きなものを使っていいんですよ。それを禁止する法律はないのですから。

 

■姓の歴史

 立憲民主党の選択的夫婦別姓の公約理由をみると「個人の尊厳と両性の本質的平等」となっていました。「姓」を個人のものと考えているようですが、先ずそこが勘違いですね。「姓」の歴史を振り返ってみます。官邸の資料が簡潔にまとまっているので参照します。

 

「姓」について

・古代の同族集団「ウジ」に対して、天皇が与えたものが「ウジ名」。

・「ウジ」の首長に対して、天皇が与えたものが「カバネ(姓)」。

・「ウジ名」と「カバネ」を合わせたものが「姓(セイ)」

・以上は、集団、職務、地位の名称、さらに個人を表す「実名」がある。

・藤原朝臣不比等 … 姓は「藤原朝臣」(藤原=ウジ名、朝臣=カバネ、不比等=実名)

 この「姓」は、父系で継承されたましたが、支配層ではない庶民には当然、そんなものはありませんでした。なお、父系継承は中国から伝来したそうですが、「わが国では 同姓不婚の観念は見られず 他方 異姓養子の例もあれば、改姓も行われるなど、実態面では中国と異なる点が存在した。」というのが興味深いです。確かに、嫁入りだけでなく婿入りもあります。女性天皇もいましたね。

 

■姓は家族(集団)の名称 名は個人の名称

 要するに、「姓」とは集団やその集団支配層の地位を表すものだったということです。個人を表す「実名」とは違い、同じ集団に属するものは同姓なのはいうまでもありません。西東京市にある西原町の住所が「田無市西原町」では郵便配達人は大混乱します。

 

■現行家族制度と姓

 官邸の資料には、明治以降の制度の変遷もまとめてあります。戦前は次の通りです。なお、法令では「氏」に統一され「姓」は使われていません。「選択的夫婦別姓論」とは法令改正の議論なので本当は「選択的夫婦別氏論」とすべきですが、どうでもいいです。

 

・ 「氏」は、家の名称とされた(一家一氏の原則)

・入夫と婿養子は、妻の家に入ったので妻の家の「氏」を称する

・「氏」が家の名称とされたことにより、法律上は「氏」と血統とは直接の関係はなくなる。(例えば、従前、支配層では「氏」の父系継承の観念から妻は生家の「氏」を称していた。しかし、明治の民法により、夫の家に入った妻は、夫の家の「氏」を称することとなった。)

 

 「氏」は、家の名称なので、家を継いだものは「氏」も引き継ぐことになりますが、女性も引き継げました。興味深いのは、明治以前の妻は生家の「氏」を称していたことで、現代の夫婦別姓論者はそれと同じことを望んでいるのですね。

 明治以前は、父系継承が原則で、女性も父親の「氏」を継承し、嫁入りしても夫の家の部外者扱いです。そして自分の子供にも「氏」を継承させることはできませんでした。これが明治期には、実態はともかく制度的には男女に違いはなくなりました。

 

 次に、戦後の戸籍制度は次の通りです。

 

・戸籍は、一の夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに、これを編製する。

・夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する

・戸籍は、一の夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに編製

・戸籍は、その筆頭に記載した者の氏名及び本籍でこれを表示

・戸籍の筆頭者は、夫婦が、夫の氏を称するときは夫、妻の氏を称するときは妻

 

 戦後の現行制度では、結婚によって親の戸籍を離脱し、夫婦の新しい戸籍を作ることになりました。子供も結婚するまで親の戸籍に記載され、同じ「氏」を称します。つまり、「氏」とは婚姻によって新しく作られる戸籍の名称であって、親から子供に継承されるものではないということになります。ただ、中途半端なことに、夫や妻のどちらかの親の「氏」にしなければなりません。これは、市町村合併で「西東京市」にはできず「田無市」か「保土谷市」にしなければならないようなもので、対等な関係ならば、揉めること必至です。

 

夫婦別姓論の不合理  

 現行戸籍法では「氏」は夫婦とその未婚の子供からなる戸籍(家族)の名称なので、一つの家族に二つの名称を付けるのは不合理です。

「氏」も個人を表すものと考え、家族の統一名称は不要という「氏」廃止論はありうると思いますが、夫婦別姓論者はそのような過激な主張ではないようです。生家の「氏」を使いたいという、むしろ、明治以前の嫁入り後も生家の「氏」を名乗る制度に近いですね。

 

夫婦別姓を望む理由

 夫婦別姓を望む理由の一つは、長年親しんだ氏に愛着があるという心情的なものが多いです。相手の氏に変えるのは服従させられている感もあります。その心情はわからないでもないので、どちらの「氏」でもない新しい氏にできればよいと思います。それも嫌だ、自分の親の「氏」にしたいという時代錯誤な人は、自分で結婚相手と交渉してください。

 もう一つ、改姓で仕事に支障があるというもっともな理由があります。これについては、通称使用の社会的認知であって、法や制度の問題ではないと思います。芸能人は芸名を使いますし、選挙の登録名が戸籍と違う政治家も多くいます。一般人でも戸籍と違う氏名を仕事で使っている人は結構います。別に通称使用を禁止する法律もありません。仕事に支障があるという理由で法を変えたがるのは、仕事で使う名前は戸籍名でなければならないと不自由に考えているからでしょう。

■ いろんな読み方があるものだ

  新規のお客様の場合、成人男性にはコーヒーを、その他にはソフトドリンクをサービスします。 

 

 この文は、私が仕事で作った文の設定を変えたものですが、骨格は同じものです。これに対して次のような質問がありました。

 

「その他」とは成人男性以外の男性のことか。あるいは新規のお客以外のことか。前者の場合は、未成年男性ということか。後者の場合は「その他の場合には」とした方がよいのではないか。

 

 私は、質問者のいう前者のつもりでした。つまり、

・新規のお客様かつ成人男性にはコーヒーサービス

・新規のお客様かつ成人男性以外にはソフトドリンクサービス

 

 一方、質問者の「後者の場合」は、次のようになります。

・新規のお客様かつ成人男性にはコーヒーサービス

・新規のお客様以外にはソフトドリンクサービス

 

 質問者としても、この解釈は無理があると感じているようで、「後者の場合「その他の場合には」と修正した方がよいのではないかという意見になっています。

 

 この文の後に「新規のお客様以外の場合」の文があり、この文は新規のお客様について述べているのは明白だと私は思っていました。しかし、人によっては受け取り方が違うということをあらためて実感しました。

 

 曖昧さをなくのであれば、次の様にでもすればよいです。

 

 新規のお客様でかつ成人男性にはコーヒーを、新規のお客様でかつ成人男性以外にはソフトドリンクをサービスします。

 

 ただ、くどい表現です。実は法令文はこの種のくどい表現になっていてなんとも読みにくいです。

子宮頸がんワクチンをめぐる不作為の罪

 反ワクチンに代表される「自然」が好きな人は、不作為の罪に甘いですね。ワクチンを使う被害は恐れるのに、使わない被害には無頓着なんですから。環境分野でいわれる予防原則「人為的な新技術に対しては、科学的に因果関係が十分証明されない状況でも、規制措置を行う」も似ていますね。新技術を実施することによる被害は気にするのに、実施しないことによる被害は無視するんですよ。つまり、行動すれば防げたはずの被害なのに、何もせずに拡大させてもあまり気にしません。積極的な殺人鬼は許しがたいと感じても、溺れている人を見殺しにする消極性は仕方無いと思うところは私にもあるので、「気持ち」はわからないでもありませんが。

 結果が同じでも、直接に手を下すのと何もしないのでは、確かに印象が違いますね。自分が助けなくても誰かが助けてくれるかもしれませんからね。都会の雑踏の中で倒れている人を見て素通りする人が多いと嘆かれますが、他に誰もいない山中では助けるのが普通です。都会では、自分が助けなくても誰かが助けてくれることを期待しているんですね。ただ、その結果、誰もが遠慮してポテンヒットになって「無関心な都会人」と新聞が大騒ぎします。

 しかし、法律では実行犯も命令犯も共同正犯になることもあります。組員の暴走を止めることができたはずなのに放置した組長も罪になります。ただ、「止めることができた」と実証することが難しいため、暗黙の命令だったにもかかわらず、「子分が勝手にやった。私は知らなかった」と卑劣にも罪を逃れてきたのが現実ですが。ただ最近、その困難な実証を行い、指定暴力団工藤会」トップに死刑判決が下りました。指定暴力団のトップに死刑判決が言い渡されたのは初めてらしいです。

 また、行政の不作為の罪も厳しく問われるようになりました。不正行為を見逃すと罪になることが多くなりましたから、公務員も気楽ではありません。

 にもかかわらず、反ワクチンの不作為の罪は相変わらず放置されていますね。反ワクチン活動自体は言論に過ぎないで取り締まることはできません。ですが、行政行為は罪に問うことができるはずなんですけどね。過去には、厚労省は、効用より甚大な被害をもたらすクスリを放置して罪に問われました。その苦い経験からワクチンの使用には慎重ですが、同様に、多くの人命を救えるワクチンを使わなければ被害者が出るのですから罪になるのじゃないでしょうか。都会の雑踏の行き倒れのように厚労省の代わりに救ってくれる者はいませんからね。また例外はあるものの一般人には救助義務はありませんが、厚労省には国民の健康を守る義務があると思いますよ。ほぼ確実に発生する被害を見過ごしていいんですか。

 指定暴力団のトップを有罪にするのが難しかったように、行政の不作為の罪を問うのも難しいかもしれません。それでも、被害を予想する報告も積み上ってきています。例えば、子宮頸がんワクチンを接種しなかった、2000~2003年度生まれの女子の将来の罹患者の増加は合計約17,000人、死亡者の増加は合計約4,000人である可能性が示唆されました。厚労省が何もしないと、この被害が増え続けますね。寝覚めが悪くないのでしょうか。

resou.osaka-u.ac.jp

  さて、子宮頸がんワクチンは、定期接種であり「勧奨」を行わなわなければいけません。これを行っていない現状は違法状態としか私には思えませんが、誰も指摘しませんね。そのトリックは、法令にはない「積極的勧奨」という言葉を作り出して、その意味を「接種対象者への個別通知」としたことです。つまり「積極的勧奨」はしていないが、「勧奨」は行っている体にしているわけです。なんだか「禁止はしないが歓迎もしない」みたいですが、こういう場合の真意は「禁止したい」です。では「勧奨」として実際に何を行っているかというと、予防接種法施行令第5条の「公告」ぐらいでしょう。具体的には「予防接種の種類、予防接種の対象者の範囲、予防接種を行う期日又は期間及び場所、予防接種を受けるに当たって注意すべき事項その他必要な事項の公告」になります。でも、接種対象者が公告を目にする可能性は絶望的です。しかも、予防接種法施行令第6条には、「公告を行うほか、当該予防接種の対象者又はその保護者に対して、あらかじめ、予防接種の種類、予防接種を受ける期日又は期間及び場所、予防接種を受けるに当たって注意すべき事項その他必要な事項を周知」を行わなければならないと定めてあります。これは「積極的勧奨」そのものです。私には、「積極的勧奨の差し控え」とは「予防接種法施行令第6条に違反します」と言っているようにしか思えません。

 にもかかわらず、日本国民は、ワクチン副反応のような作為の被害ではすぐ訴訟を起こしますが、不作為にはなぜか寛容です。厚労省もそれがわかっているので違法な不作為を8年間も続けているんでしょう。厚労省を動かすには、不作為を問う訴訟を起こすしかないような気分になります。しかし、それには被害が顕在化していなければなりません。それでは手遅れですし、被害者を利用する反ワクチンと同じ穴のムジナになりそうで気乗りしませんね。

 ついでに言えば、予防接種法第9条では、接種対象者にA類疾病の予防接種を受ける努力義務があります。市町村が「積極的にはお勧めしない」というワクチン接種の努力義務があるんですよ。そして、99%以上の接種対象者が予防接種法第9条違反をしていたんですね。いや、努力したけど接種しなかったといえばいいのか、本心はともかく。

 今の状態は考えてみれば少し奇妙なんですね。法の不備がありそれを改善しないといけないというような問題はありません。子宮頸がんワクチンはA類の定期接種であり、接種対象者は無料で接種できます。希望すれば接種でき何も問題ないと言えばありません。(ただ、ワクチンが品薄で希望しても接種できない事態が危惧されていますが)単に、厚労省といくつかの市町村長がその事実を接種対象者に知らせず、むしろ「接種しない方がいいんじゃない」という雰囲気を醸しているんですね。この態度は行政の裁量権を逸脱して「予防接種法施行令第6条違反」であると思います。それでも、行政訴訟などしなくても、接種を望めば接種できるんですね。要は、接種対象者とその保護者が情報を知って判断できればよいだけなのです。もっとも、それが一番難しいのですけどね。

【追記】

 接種対象者とその保護者が情報を知って接種の是非を判断できればよいのですが、専門的内容もあって難しいので行政が判断して周知せよと法令に定められているわけです。そして、「勧奨」している以上、接種の利益が大きいと国は判断しています。また個人的利益だけなく、社会的利益もあるので、接種対象者にも接種の努力義務があり、市町村は個別に接種対象者に通知して接種を促しているわけです。それがA類です。利益があるか否かの個人差が大きい場合は、個人が判断すべきなので国は勧奨しません。自己責任の面が強くなります。

 ところが、厚労省は子宮頸がんワクチンをA類のままにしながら、実質B類として扱っているんですね。厚労省の接種対象者向けリーフレットにはワクチンの効果とリスクが説明してあり、比較すれば効果が大きいことが一目瞭然です。

・HPVワクチンの効果

HPVワクチンの接種を1万人が受けると、受けなければ
子宮けいがんになっていた約70人※3ががんにならなくてすみ
約20人※4の命が助かる、と試算されています

※3 59~86人
※4 14~21人

・HPVワクチンのリスク

HPVワクチン接種後に生じた症状の報告頻度 1万人あたり9人

HPVワクチン接種後に生じた症状(重篤)の報告頻度 1万人あたり5人

 にも拘わらず、直接比較して国の判断を示すことはせずに、接種者が自己責任で比較して判断せよという立場を貫いています。最後には「接種をおすすめするお知らせをお送りするのではなく、希望される方が接種を受けられるよう、みなさまに情報をお届けしています」と念押ししています。

 予防接種法A類という位置づけを無視し、ここまで腰が引けたのは言うまでもなく過去の訴訟のトラウマでしょうね。同情できる過去の事情はあるものの、法の精神とその運用に齟齬がありすぎです。まあ、齟齬を解消しようとしてA類から外すよりはマシですが。

株を買わなければ配当金はもらえない

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日本の大学の研究業績が低下したのは、大学の研究室が縦型社会であるため、若者が海外に出ないのが原因である。この古い文化を衰退させるためには、若い時代に海外へ行くチャンスを作ってやることだ

  いろいろ書いてありますが、黒川清氏の論はこの程度に要約できます。2021年に書かれたとは思えない新味のない主張ですが、「若い時代に海外へ行くチャンスを」には異論はありません。ただし、海外に行けば日本の大学の研究業績が向上するとは限りませんね。同じようなことは誰でも考えていて、いろんな改革が行われました。改革の一つに、海外に行かせるためかどうか知りませんが、国内の大学の居心地を悪くするという方法があり実際に実行されました。大学の予算が大幅削減され、ポストもなくなりました。効果覿面で、海外に若者に限らず人材が流出しました。ただ黒川清氏の期待とは裏腹に日本の大学の業績も国際ランキングも低下しました。当たり前ですね。

 黒川氏の「若い時代に海外へ行くチャンスを作ってやる」という主張は正しいとしても、チャンスを作るのと追い出すのでは随分違います。そして、追い出しに貢献したのが財務省です。なぜそんなことをするのかというと、財務省に限らず公務員には投資という考え方がないからだと思います。

 でも、研究・教育は長期的な投資です。当面は支出しかありませんが、将来的にはリターンがあります。だから国家百年の計として教育にかつての日本は力を入れましたが、それも今は昔の話です。かくして投資は減りましたが、少ない投資をどこにすべきかについては、有望株はどれかとばかり皆が頭をひねりました。事業仕分けがその一例です。

 しかし、残念なことに儲かる投資法はないというのが経済学者のほぼ一致した見解です。(ケインズはバリュー投資戦略で儲けたそうですが、これは後で述べる堅実なやり方かもしれません)映画や歌のヒットを予想するのもほぼ無理です。歴史を顧みると予想はことごとく外れています。唯一可能なのはインサイダー取引のような情報の非対称性を利用したやり方ですが、不正なのでしてはいけません。結局、大儲けする方法はありませんが、堅実なやり方はあります。多くの株に分散して投資すれば、経済が発展している限りリターンはあります。他者を出し抜いて大富豪にはなれませんが、世間一般並みの利益は得られます。一方、事業仕分け的な選択と集中は危険です。選択と集中がうまくいったとしても、政府が国民を出し抜いて大富豪になってはいけません。それじゃ、「越後屋、お主も悪よのう」と悪徳商人と結託して暴利を得る悪代官です。

 研究・教育への国の支出もそういうものではないでしょうか。大学改革と称して、様々な方策が行われていますが、細かいことを考えてもそれがうまくいくか予想することは困難だと思います。とにかく広く投資する(予算を増やす)、それしかなさそうです。そのうちのいくつかが当たります。博打みたいですが、国民がまともで、国ほどの規模の予算なら大丈夫でしょう。

 投資した株のリターンに相当するものが税収です。国の支出が回り回って、経済を発展させます。ただし、研究・教育分野のリターンは研究・教育機関からの納税という形をとりません。研究・教育の成果は、数多の国民の収益を増やし、その税金として国に戻ってきます。

 現実の財務省は財政危機だからと支出(投資)を減らし、経済を縮小させ、税収を減らしています。税収が減ったので再び支出を減らすというスパイラルを数十年繰り返しています。おそらく、国民を投資先として信頼していませんね。一投資家ならその投資家の収益がなくなるだけで、他の投資家で経済は動き、株式市場も存続します。しかし、財務省は経済を殺す力をもっています。その結果は恐ろしすぎて私には書けません。