「所得が少なく税率の低い貧しいものほど、増税の余地がある」

sn-jp.com

 岸田首相による防衛費増税の議論を見ていても、政府や財務省内には「日本にはまだまだ増税できる余地がある」「日本の国民負担は諸外国と比べて低い」という、虚偽のイメージを持っていることが分かる。

 財務省の「国民負担率の国際比較」という資料によれば、実際には、日本人の潜在的国民負担率(将来世代の負担である財政赤字を含む)は22年度(見通し)で56.9%になっている。これは、米国、英国、ドイツをはじめとする先進諸国より高く、福祉国家として知られる北欧のスウェーデンをも上回る数字だ(海外はいずれも19年実績ベース)。日本は、現時点で世界トップクラスの国民負担を背負い込んでいる。

 岸田首相の発言は、「所得が少なく税率の低い貧しいものほど、増税の余地がある。」というとんでもない暴論ですね。

 ただし、首相の言う「国民負担」が記事にある「国民負担率」ならばです。「国民負担率」とは、次の式で表せます。

   国民負担率=(租税負担+社会保障負担)÷国民所得

 これは、個人で言うならば、「税負担÷所得」という税率に相当します。累進課税の元では、所得が少ない貧しいものほど税率は低いですから、冒頭に述べた暴論ということになります。

 記事では、この率を示して日本は世界トップクラスの国民負担であり、「日本には増税余地がある」は 虚偽のイメージだと述べています。結局、自分自身も暴論を言っています。

 では、首相のいう「国民負担」とは何でしょうか。おそらく、政府支出に占める税収の割合ではないでしょうか。財務省は財政黒字を目指していますので、これが100%未満なら余地があるということになります。税金のみを国民の負担と考えているわけです。

 しかし、外国からの借金や支援(日本はマイナス)を除けば、政府支出は全部、国民の負担でしょう。国債も国民から借りているので国民の負担です。日本のような国で国民負担が多いとか少ないということ自体が無意味でしょう。

 税が政府支出の財源であるというウソを信じていれば、財政赤字分は国民以外の誰かから借金していることになりますが、そんな誰かはどこにも存在しません。日本は外国から借金どころが、貸しているのですからね

信用創造は魔法か?

■何もないところから預金を産みだす

 銀行は、預かったお金を貸し出して、金利差で儲けている

 これは、私が子どもの頃に教わりましたが、間違いと知ったのは、10年ぐらい前です。「本当は、銀行は何もないところから貸し出す預金を生み出している」というのは結構な衝撃でした。まるで打ち出の小槌のような魔法ではありませんか。しかし、「何もないところから」というのは誤解を招く表現だと思います。正確には「現在はなくとも、将来得る見込みがあれば」というべきではないでしょうか。また、産みだしているのは預金の数字に過ぎず、実態的価値ではありません。それが産みだされるのは将来です。

 

■一斉に預金が引き出されることはない

 銀行預金とは、「お金が出来たら返す」という借用書みたいなものだと思います。「返す」が「引き出せる」に替わっているだけです。ただ、通常の借用書と違うのは、将来というのが何時なのか明記してないことです。なんなら今すぐお金を引き出すことも出来るのです。ないお金をどうして引き出せるのでしょうか。その秘密は、多数の預金者が存在するところにあります。多数の預金者が一斉に引き出すことは稀で、引き出しに備えておくお金はわずかで済むという事実にあります。この原理は保険に似ています。一斉に保険金を払う可能性がある地震保険は補助なしでは難しいですが、自動車保険なら成立します。

 そんな綱渡りは危ないと思う方もいるかもしれませんが、預かったお金を貸し出しているという嘘の場合も綱渡りという点では同じです。預かったお金を貸し出したら、預けた人が引き出せなくなるではありませんか。でもほとんどの人がその心配をしないのは、一斉に引き出される可能性は少ないと思っているからでしょう。

 

■遊んでいる資源がある

 一斉に引き出される可能性が少ないとは、何を意味しているかというと、世の中には、使われないで遊んでいるお金が沢山あるということです。それを必要な人に回しているのが銀行です。ただ、これだけでは、「預かったお金を貸し出している」という間違った理解と変わりません。実際は、もう少し複雑です。使われないで遊んでいるのはお金だけではありません。生産活動を行うための資源が遊んでいます。例えば、材料、労働力、生産場所などなどです。これらの物質的なもの以外にも生産活動には、知力つまり情報を処理し、管理する頭脳が必要です。そういう頭脳を持った人材も遊んでいます。そして、世の中のこれらの資源が100%利用されていることはあり得ません。もし利用されていれば、それ以上の成長発展のない終点ということになります。

 

■遊んでいる資源を利用する

  遊んでいる資源があり、利用したい人がいても、それを手に入れる資金が無ければ利用できません。銀行はそういう人に融資します。融資するのは銀行預金であり現金ではありません。銀行はそれほど現金を持っていませんから、すぐに預金から現金を引き出されると困ったことになりますが、前述の通りそういう事態は稀です。現実には銀行預金のままで(数字を書き換えて)取引(決済)は行われ、現金が引き出されるのはわずかです。

 

■先ず預金通貨の発行、次に実態的価値の生産

 融資時点では、実態的価値のある生産物はまだ存在しません。単なる数字に過ぎない預金通貨が産みだされ、融資先の借用書が書かれるだけです。次に、その預金通貨の数字を信用することで経済活動が行われ生産物が産みだされます。最後に、融資先がそれを通貨に替えて銀行に返済すれば、借用書は廃棄されます。つまり、先ず預金通貨が先に生み出され、後でそれに見合う実態的価値のある製品などが生み出されるわけです。預金通貨は実態的価値を生み出す呼び水のようなものかもしれません。最終的に、実態的価値と見合っただけ預金通貨も増えています。経済が成長したわけです。

 

■時差のある取引を成立させる信用

 以上の預金通貨の重要な機能は、時差を処理することです。同一時点でAとBが交換できるものを持っていれば取引は簡単ですが、現時点では持っておらず、将来に持つであろうという場合は、信用が必要になります。その信用を与えるのが銀行の預金通貨といえます。銀行は融資先の信用調査を行い信用に足るならば融資します。銀行は、将来に実態的価値が生み出されるように、それに先立ち預金通貨を生みだしているだけです。それもいくらでも生み出せるのではなく、将来の実態的価値生産の見積もりに応じている必要があります。信用創造が魔法に見えるのは紙切れに実態的価値があるという勘違いでしょう。

 

■大事なのは支出

 政府日銀の発行する現金は、銀行の預金通貨よりさらに大規模な信用創造ではないでしょうか。日銀が発行した通貨を、政府は実態的価値を生み出しそうな分野に支出します。重要なのは、実態的価値を生み出しそうな分野に支出することと、支出先が実態的価値を産みだすことです。大事なのは支出ではないでしょうか。

政府支出財源としての徴税と国債の違い

■3つの疑問

 経済のド素人の私から見ても、政府支出の「財源」というのは奇妙な表現です。財源とは通常はお金のことを言いますが、政府日銀は通貨を発行できるので、その意味での財源を心配する必要はまったくないのですから。通貨は発行しようと思えば無尽蔵に発行できます。しかし、通貨を大量に発行し、その価値が低下し、紙切れ同然になった歴史はあります。紙切れの通貨はいくらでも発行できますが、価値の発行は無尽蔵ではないのですね。では、①その限度何で決まるのでしょうか。また、②通貨を発行できるのに何故、国債を発行するのでしょうか。さらに、③政府支出を賄うのに国債と税金では何が違うのでしょうか。

 

■信用経済(通貨)の成立

 これらの疑問を考える前に、先ず、信用経済の成立を復習してみます。私は建築関係の仕事に携わっているので、家を作る場合を考えます。大工が家を作るには、建材や労働力等が必要です。通貨のない時代にはこれらを物々交換などで手に入れました。手持ちの交換できるものが無ければどうするかと言えば、将来、家が完成した時に施主からもらう報酬(通貨がないので何等かの価値ある品物)からその一部を渡すという約束をします。約束が成立するかどうかは、信用次第です。相手が大工の生産能力を信用してくれれば約束は成立します。その際に将来、報酬を払うという証書を発行します。その証書がお金の原型ではないでしょうか。

 

■信用査定

 証書発行者には信用が必要ですが、この場合の信用の源は大工の能力です。しかし、一般の人には、信用してよいか見極めるのは困難です。そこで、信用査定する者が現れます。信用査定者は、貴金属の金を保有しており、さらに大工の能力を見極める能力があります。信用査定者は査定に合格した大工に貴金属の金を貸し、大工は借りた貴金属の金を建材等と交換します。家が完成すれば、施主から報酬(貴金属の金など)を得て、そこから査定に利子を付けて返します。実際には、貴金属の金ではなく、金と交換するという証書を使います。査定者の金庫にはいつでも交換できるだけの金があるのでその証書は信用されているのです。大工が発行する証書ではなく、信用査定者の発行するこのタイプの証書の方が信用が高く通貨により近いです。

 

■裏づけが無く、信用だけの証書 

 ところが、信用査定者は、あることに気づきます。証書を貴金属の金に交換する者はそれほど多くはなく、証書がそのまま取引に使われていることに。そのため、金庫に保有しておく貴金属の金は証書の1割もあれば十分なのです。貴金属の金の裏付けがなくとも証書は発行でき、利子が得られるのです。詐欺のようですがそうではありません。信用査定者が大工の生産能力を正しく査定できていれば、家という価値が生み出されます。詐欺と似ていますがが、現実に家が生産されるところが、虚構だけの詐欺との決定的な違いです。だから、大工の生産能力を正しく査定する能力は極めて重要です。その査定能力が信用のある証書を生み出し、やがて通貨になります。通貨の価値とは、発行者の査定能力と言えるのではないでしょうか。

 

■銀行の成立

 この信用査定者は、元々は、金を預かる金庫業者で、後に銀行になりました。現在の銀行も現金(日銀券)の裏づけなしに銀行預金という証書を融資しています。融資にあたっての査定が正しければ、銀行預金は現金に交換されることは殆どなくそのまま流通して、家以外にもさまざまなものを生みだしています。

 

■疑問①通貨発行の限度

 信用と通貨についての復習が終わったので、当初の疑問を考えます。先ず、政府日銀が発行できる通貨(価値)の限度です。これは銀行の融資限度と似ています。融資先の生産能力を超えて、つまりいい加減な査定で融資すれば、銀行預金の信用が無くなります。最悪、取付騒ぎになり銀行は破綻するかもしれません。政府日銀の通貨発行も民間の生産能力を超えれば、通貨が紙切れになりかねません。確かに限度はあると思います。

 

■通貨発行量と通貨発行限度の相互作用

 このように、限度は確かにありますが、政府が民間の生産能力を正しく査定して通貨発行を伴う支出すれば、問題はないでしょう。政府の通貨発行を伴う支出は、銀行の融資と似ています。民間の生産能力(経済力)を正しく査定し、それに見合う支出(通貨発行)を行えば生産を促し経済が発展します。査定が甘く、発行し過ぎると、通貨は紙切れに等しくなり、経済が潰れます。一方、通貨が足りなければ経済は停滞し不景気になります。不景気であるにも関わらず通貨を減らし続けると、使われない民間の生産能力が衰えてきます。これは、通貨発行量が増えて、限度に近づくのではなく、民間の生産能力である限度が低下して通貨発行量に近づくのであり、国力の衰退という最悪の事態です。銀行が貸し渋りすると、経済が回らず、企業が潰れるようなものではないでしょうか。

 

■疑問②通貨を発行できるのに国債を発行する理由

 次に、第二の疑問、通貨を発行できるのに何故国債を発行するのかを考えます。これは、通貨を直接発行できるのは日銀であって政府ではないという手続き上の問題に過ぎないと思います。政府の支出は政府の日銀当座預金から引き出すことで行います。つまり、日銀が発行した通貨を政府が支出するには、政府の日銀当座預金に預ける必要があります。その具体的方法は、政府が発行した国債を日銀が買うしかありません。ただ、直接日銀が買うのは財政ファイナンスとして禁止されているため、一旦、民間銀行が国債を買い、それを日銀が買います。政府日銀をまとめた統合政府としてみれば、統合政府が発行した通貨を統合政府の支出に使っていることになります。財政ファイナンスが禁止されているため、統合政府内で手続きが完了せず、民間銀行を触媒のように使っているといえます。結局、国債発行は通貨発行と本質的に同じではないでしょうか。

 

■疑問③政府支出を賄う国債と税金の違い

 最後の疑問は、1番目と2番目の疑問と関わっています。政府支出を賄うお金の手当は新しく通貨を発行するか、市中に流通している通貨を回収するかの二つの方法になります。前者が国債発行で、後者が徴税です。国債の場合、借り換えを行う度に、金利分だけ発行量が増えていきます。一方、徴税では、民間の通貨量は増えません。徴税した分だけ支出すればプラスマイナスゼロですが、増えることは有りません。実態的な価値生産が増えているのに通貨量が変わらなければ、物価が下がり、相対的に通貨の価値が上昇し、生産に必要な経済活動に使われず貯蓄として眠ってしまいます。増えた生産を元に戻してしまい、経済成長が止まります。前述の通り、やがて生産能力も縮小し、経済は衰退します。国債発行は経済成長に必須ではないでしょうか。

 

■遊んでいるお金を利用する国債

 国債も発行した時点だけみれば、徴税と同様に市中の通貨を回収しますが、支出すれば元に戻り、償還と借り換えの新しい国債発行の度に金利分だけ増えていきます。また、回収する相手が国債と徴税では違います。徴税はほぼ無差別に、かつ強制的におこなわれますが、国債は、運用するお金に余裕のある者が自主的に国に戻します。眠っているお金を活用するのが国債で、余裕のない者からも無差別に回収するのが徴税です。経済活動に必要な通貨を税に取られれば景気は冷え込みます。経済活動を抑制したい場合は徴税を行い、活発にしたいときは国債発行がよいのではないでしょうか。

掛け算順序とジョーク作家クラブ

 掛け算の順序論者は、ひとつ分といくつ分を区別することが大事だといいます。掛け算の導入には、いろんなやり方がありますが、一つのやり方として別に異論はありません。私の時代には掛け算順序など習った記憶はありませんが、「3個の固まりが4つある」という程度は習ったと思います。問題は、数式の左にひとつ分を、右にいくつ分を書かなければならないというウソルールです。

 なぜウソルールが必要なのかというと、3×4という数式の3と4のどちらがひとつ分でどちらがいくつ分なのかを区別するためで、なぜ区別する必要があるかというと、子供がどちらをひとつ分と理解しているか判別するためだと彼らは言います。

 実に奇妙な理由ですね。日本語を理解できる子供なら、「一人に4個ずつ、3人に配ると全部で何個」という問題を読めば、4個がひとつ分と分かるでしょう。(トランプ配りなら3を一つ分と考えることもできますが、「常識的」に考えることにします。)それでも、子供がどちらをひとつ分と考えているか疑うなら、「どちらが一つ分か」と尋ねればいいんですよ。

 わざわざウソルールを覚えさせて数式から判断しようとするのは、回りくどいだけでなく、ウソルールを覚えているという前提が必要になります。その前提が成り立たないことは、ひとつ分を理解していないことより可能性ははるかに高いと思いますね。ウソルールを逆に覚えていて、ひとつ分といくつ分を逆と考えていれば、「正しい順序」の数式になります。子供の理解度を知るにはまったく役に立たないウソルールです。

色の名前の赤と緑を正しく覚えているかを確かめたいなら、赤と緑の色を見せて、どちらが赤かと尋ねれば済みます。ところが掛け算順序論者は、わざわざ、赤は1番、青は2番というルールを覚えさせて、どちらが1番かと尋ねているわけです。

 冗談みたいな話ですが、実際にこの奇妙な掛け算順序論とよく似たシュールなジョークがあります。それは次のようなものです。

 ジョーク作家クラブの懇親会では、ジョークを披露しあうが、ジョークを最初から最後まで言うような時間と手間をかけない。すべてのジョークには番号が振ってあり、クラブ会員の誰かが番号をいうと、他の会員にはどのジョークか分かるので、みんな笑うのである。

 

【10/10追記】

 「ジョーク作家クラブ」のジョークには二つの結末があります。

 気になる人は、「スマリヤンゲーデル・パズル」を読んでください。

 

6年間に1回発生する地震の発生確率は?

 算数教育の専門家らしい滝井章氏のコラムが炎上しました。「1つの機能につき1/10の確率で故障するなら、機能が10個あれば10/10の確率で故障する」と書いてあります。「コインを投げたら、表が出たので、次は裏が出る」に近いレベルの間違いですね。炎上やむなしです。

netgeek.biz

 独立事象や従属事象などの確率の基本中の基本を理解していれば、このような間違いは犯さないはずですが、実は、滝井章氏をあまり馬鹿に出来ない前科が私には有ります。その説明のために例題をいくつか作りました。簡単な問題です。なお、確率の和や積の計算よりも、しらみつぶしに根元事象の頻度を数えて、最後に確率にする方が分かり安いので、解答はそのように説明しています。

 

問1-1 サイコロを6回投げたとき、1の目が1回だけ出る確率?

 6回投げた時の目の出方は、6×6×6×6×6×6=46656通り。

  1の目がでる回は1回から6回までの6パターン。

  それぞれのパターンの目の出方の頻度は、 

 1×5×5×5×5×5=3125通りなので、

 1回だけ1の目が出る頻度は、6×3125=18750。

 よって1回だけ1の目が出る確率は、18750/46656=0.402

 

問1-2 サイコロを6回投げたとき、1の目が2回だけ出る確率?

 2の目が出るパターンは、6個から2個選ぶ組み合わせがあり、6C2=6×5/2=15通り。

 それぞれのパターンの目の出方の数は、 

  1×1×5×5×5×5=625

    よって、1の目が2回出る確率は、

  15×625/46656=9375/46656=0.201

 同様に、1の目が3回だけ出る確率は、 

  6C3×5×5×5/46656=2500/46656=0.054

  1の目が4回だけ出る確率は、  

   6C4×5×5/46656=375/46656=0.008

 1の目が5回だけ出る確率は、

        6C5×5/46656=30/46656=0.001

 1の目が6回出る確率は、1/46656=0.000

 

問1-3 サイコロを6回投げたとき、1の目が1回以上出る確率?

  問1-1と問1-2の合計になるが、次の様に考えれば簡単。

 1回も1の目が出ない頻度は、5×5×5×5×5×5=15625。

  よって、1回以上、1の目が出る確率は、

   (46656-15625)/46656=0.665。

 

問1-4 サイコロを6回投げたとき、1の目が出る回数の期待値?

 1回投げた時1の目が出る回数の期待値は、

   1×1/6+0×5/6=1/6。

 よって、6回投げた時は、1/6×6=1回。

 滝井章氏は、この期待値と確率を混同していた可能性がある。

 

問2-1 6本のうち、1本だけ当たりくじがある。1本選んだ時、当たりの確率。

 いうまでもなく、1/6

 

問2-2 6本のうち、1本だけ当たりくじがある。一度に6本選んだ時、当たりの確率。

 計算するまでもないが、6×1/6=1

  滝井章氏は、この確率と混同していたのかも。

 

問3-1 1年間に1回発生する確率が1/6の地震がある。この地震が6年間で1回以上発生する確率

 この問題では、最初から確率で考えた方が分かりやすいかもしれないが、他の問題との関係が見やすいように、頻度で考える。頻度で考えるため、1年間の地震有頻度1回に対して地震無頻度が5回とする。

 6年間の地震有無の頻度総数は、

  6×6×6×6×6×6=46656

 6年間で1回も地震が発生しない頻度は、

  5×5×5×5×5×5=15625

 よって、6年間で1回以上発生する確率は、

  (46656-15625)/46656=0.665

 問1-3と同型の問題だ。

 

問3-2 1年間に1回だけ発生する確率が1/6、2回以上発生する確率が0の地震がある。この地震が6年間で発生する回数の期待値?

 1年間に発生する回数の期待値は、

  1×1/6+2×0+3×0+・・・=1/6

 よって、6年間に発生する回数の期待値は、1/6×6=1回

 問1-4と同型の問題だ。

 

問3-3 1年間に1回だけ発生する確率が1/9、2回だけ発生する確率が1/36、3回以上発生する隔離が0の地震がある。この地震が6年間で発生する回数の期待値?

 1年間に発生する回数の期待値は、

  1×1/9+2×1/36+3×0+・・・=1/6

 よって、6年間に発生する回数の期待値は、

  1/6×6=1回

 

  実は、私も滝井章氏とさして変わらない間違いを犯していました。何かおかしいと思いながらも、6年間に1回発生する地震の発生確率は1/6だと思っていたのです。これは、問自体に不備があります。「地震の発生する確率」だけでは不十分です。期間や発生回数を指定しないと確率は求められません。例えば「地震が1年間に1回以上発生する確率」のように問わねばなりません。そのようにしても、まだ答えは定まりません。上記の問3-2と問3-3は、どちらも6年間で1回発生する地震ですが、1年間で1回以上発生する確率は、1/6と1/9+1/36=5/36と違います。期待値が同じになる確率分布は無数にあります。

 滝井章氏のコラムの「1/10の確率で故障」という表現も「地震の発生確率」のように、不十分です。「1万時間運転した時、1回以上故障する確率」とか「耐用年数の間に1回以上故障する確率」のようにいう必要があります。1万時間で1回以上故障する確率と2万時間で1回以上故障する確率は違いますから、「1/10の確率で故障」では、意味不明です。確率は、(確率を考える事象の頻度)/(すべての事象の頻度)なのに、すべての事象の条件がないのです。

 前述の様々な問題のうちどの問題を考えているのか、自分でわかっていなければ、間違うのは当然です。解答を考える以前に、問題をわかっていなかったのです。

 

関連記事

shinzor.hatenablog.com

 

 

モノポリーのバンカーと財務省

モノポリー

 人生ゲームより歴史のあるモノポリーというゲームがあります。私はしたことがありませんが、Wikipediaの説明では次のようなゲームです。

モノポリー(英語:Monopoly)は20世紀初頭にアメリカ合衆国で生まれたボードゲームの一つである。プレイヤーは双六の要領で盤上を周回しながら他プレイヤーと盤上の不動産を取引することにより同一グループを揃え、家やホテルを建設することで他のプレイヤーから高額なレンタル料を徴収して自らの資産を増やし、最終的に他のプレイヤーを全て破産させることを目的とする。

 

■バンカーの役割

 モノポリーではプレイヤーの他にバンカー(銀行役)がいます。バンカーは、ゲームの最初にプレイヤーにお金を配分します。さらに、ゲームの進行中にも配分したり、回収したりします。プレイヤーは互いに、他のプレイヤーを破産させて、自分の資産を増やすために競争しますが、バンカーは争いには加わりません。またプレイヤーは破産(ゲーム離脱)しますが、バンカーは破産しません。ゲームに使うお金をバンカーは提供しますが、不足すれば、そこら辺の紙切れに金額を書き込んでお金としても構いません。

 

■バンカーがプレイヤーになれば

 もし、破産しないバンカーがプレイヤーとして参加すれば、勝つに決まっていますのでゲームにはなりません。ところが、現実の世界では、財務省というバンカーが国民というプレイヤーを破産させてゲームに勝とうとしています。ゲームでは資産を独占して終わりですが、現実の世界では独占した資産を財務省は増やすどころか、維持もできません。なぜなら、財務省はお金を発行するだけで、実物資産を生み出し維持する能力は持たないからです。つまり、ゲームの終わりがこの世の終わりということになるかもしれません。恐ろしいことです。

 

■お金と資産

 モノポリーが人生ゲームより現実に近いのは、お金の独占を目指すのではなく、資産の独占を目指すところで。お金は、そのための媒体に過ぎません。現実の世界でもお金だけ持っていても仕方ありません。例えば食料が無くなれば、飢え死にしてしまいます。食料のような実物資産を生産する能力は必須です。現実世界でも独占を目指す傾向があるようですが、社会全体としては、独占は良くないとされています。ただ、モノポリーはゲームを面白くして決着を付けるためにそうしているわけです。しかし、バンカーもプレイヤーとして参加させては、ゲームとしても面白くもなんともありません

 

■ゲームのバンカーより酷い財務省

 また、バンカーはお金の提供を主体的にコントロールしません。サイコロを振って進んだゲームボード上の指示に従って行うだけです。その結果、資産の独占が行われ、ゲームは終了します。勝者以外のプレイヤーは悲惨ですが、少なくとも、1人の勝者はいます。現実の世界では、ゲームを終わらせることなく、すべての国民が資産を増やすように、お金の提供や回収をコントロールします。それが経済政策です。ところが財務省は、財政黒字を達成するため、お金を回収しすべての国民を破産させようとしており、ゲームを上回る惨状を目指しているんです。さきほど、この世の終わりになるかもしれないと書きましたが、人間はしぶといので振り出しに戻るだけかもしれません。それでも十分すぎる惨状ですけどね。

眠り姫問題をとにかく数えて解く ― 頻度主義と頻度主義とは異なる何やら良くわからない主義

 私の知る限り、ある出来事が起こる確率とは、「ある出来事の数」/「すべての出来事の数」です。なお、条件付確率では分母が「条件を満たすすべての出来事の数」になります。

 確率の和や積の法則を使って考えるより、多数回試行をして、これらの出来事をとにかく数え上げて、最後に割り算して確率にした方が、圧倒的に分かり安くなります。

分かり安いだけでなく、計算する確率の解釈が明確になります。人によって違う解釈をしている場合、その違いも明確にわかります。一人の人間で異なる解釈をしてしまい混乱することも少なくなります。

 ということで、モンティホール問題と眠り姫問題の多数回試行を数えると、次のような表で表せます。

 モンティホール問題では、a,b,cの三つのドアのうちの一つが当たりです。300回試行すると、それぞれのドアが当たりである数は、どれも100回です。従って、aを選んだ場合の当たりの確率は、100/300=1/3です。問題が問うているのは、回答者が選ばなかった2つのドアのうち、外れドアを出題者が開けた場合、開けなかったドアに選択を変えた場合の当たりの確率です。表に示すように、aが当たりの場合は、変えれば当然100回全部外れです。bが当たりの場合は、変えれば、100回全部当たりです。Cが当たりの場合も同じです。従って、変えた場合の当たりの確率は、(100+100)/(100+100+100)=2/3となります。

 重要なのは、出題者が必ず外れドアを開けることです。これは、結局、回答者が2枚のドアを選び、出題者がそのうちの外れドアを取り除いてくれるのと同じです。出題者が適当にドアを開き、たまたま外れドアだった場合は全く違ってきます。この場合は、出題者が当たりドアを開ける可能性もあり、外れドアを開ける数は100回の半分の50回しかありません。従って、2番目の表のようになり、選択を変えた場合の当たりの確率は、(50+50)/(100+50+50)=1/2です。これは、出題者がたまたま外れドアを開けた場合の条件付確率ということになります。モンティホール問題を紹介しているものの中には、この重要な点が曖昧なものがあって、混乱を引き起こしています。

 眠り姫問題では、200回試行すると、表と裏が100回ずつでます。表が出た100回のうち、月曜日は100回目覚め、火曜日は1回も目覚めません。また、裏が出た100回のうち、月曜日も火曜日も100回目覚めます。従って、目覚めた場合に表である確率は、100/(100+100+100)=1/3です。なお、月曜日に表である確率は、100/(100+100)=1/2です。

 眠り姫問題の巧妙なところは、目覚めていることが条件ではないようにカムフラージュされていることでしょう。あるいは、「目覚めている場合に表である条件付確率」と明確には述べていないので、表が出る事前確率を尋ねられたと解釈することも可能な曖昧な質問になっています。しかし、目覚めた眠り姫が「今日は、火曜日である。表である確率は」と尋ねられたら、表である事前確率を尋ねられたと解釈する人は稀だと思います。それからすると、オリジナル問題も、目覚めた場合の条件付確率を尋ねられたと解釈するのが自然だと思います。

 違う解釈をしているなら、答えが違うのは当然です。更に、相手も同じ解釈をしているとお互いに思い込んでいれば、論争に決着がつくはずもありません。また、1人の頭の中で異なる解釈が入り混じっていれば、パラドクスに見えてきます。このような混乱を多数回試行の数を数えることで避けることができます。

 ところで、確率統計の世界には頻度主義とベイズ主義があるという説明があります。これが、私には、全く理解できません。眠り姫問題も計算機を使って多数回試行すれば1/3という答えが出てきますが、それは頻度主義で考えているからそうなるのだと説明を見たことがあります。異なる考え方をすれば、そりゃあ違う答えになるだろうとは思いますが、それが一体何を表しているのか私にはさっぱりわかりませんね。単に事前確率を考えている場合が多いようですが。