逃げ始めた風評加害者 ― 風評加害と予防原則

■ 福一原発処理水放出の現在

 1月30日、中国やロシアも参加したIAEAの報告書が公表され、福一原発処理水放出を「国際安全基準に合致」と評価しました。

https://www.iaea.org/sites/default/files/first_review_mission_report_after_start_of_alps_treated_water_discharge_oct_23.pdf

 そのせいかどうかわかりませんが放出に反対していた面々の態度も変わってきましたね。攻撃から防御という変化です。馬鹿馬鹿しい例を挙げると、今まで「汚染水」と呼んでいたのが「処理汚染水」と変わったりしています。処理されていないかのような「汚染水」よりマシですが、「汚染」は相変わらず残しています。

 まだ汚染水と考えているわけですが、誰もが認める「汚染水」とは言えなくなり、デマを流す風評加害者と批判されることが気になるのか、弁解を始め出しました。そのことは最後に触れますが、先ず、風評被害予防原則の関係について思う所を書いてみます。

 

■ 通俗的予防原則とウイングスプレッド宣言の予防原則

 風評被害予防原則には多分関係があります。ただし、ここでいう予防原則は、「ある行為が危ないか安全か分からないならしない。」という程度の意味です(以下、「通俗的予防原則」と書きます)。公式な意味は次の1998年のウイングスプレッド宣言のようになります。

ある行為が人間の健康あるいは環境への脅威を引き起こす恐れがある時には、たとえ原因と結果の因果関係が科学的に十分に立証されていなくても、予防的措置がとられなくてはならない。

 通俗的予防原則と殆ど同じようですが、「しない方がよい」と「予防的措置がとられなくてはならない」の違いがあります。「予防的措置」は何もしないこととは限りません。例えば、ワクチン接種という「予防的措置」もあれば、ワクチンの薬害を防ぐためワクチン接種を差し控える「予防的措置」もあります。そのどちらを選択すべきなのかは、科学的検討によらねばなりません。ところが、なんと「原因と結果の因果関係が科学的に十分に立証されていなくても」という文言がウイングスプレッド宣言にあるので困ってしまいます。立証されていないのでは、科学的に判断できるはずがありません。結局のところ、「予防原則」は政治的判断の言い換えに過ぎないのじゃないでしょうか。判断の指針となるようなものは無く、役立たずの念仏としか思えません。

 

■ 指針になるのは通俗的予防原則

 これに対して通俗的予防原則は、「分からない時は何もしない」という指針にはなります。実際にも、新たな行為をしない理由によくつかわれます。しかし、行為をしない方が人間の健康あるいは環境への脅威が少ないのかどうかわかりません。正しいという保証はありません。このため、予防原則は、何もしない場合も害があるトレードオフ問題には無力といわれます。

nagaitakashi.net

  ここで、重要なのは、利益を受ける人と害を被る人が違う場合が多いことです。行為をしないことで利益を受ける立場なら、予防原則を使うでしょうが、害を被る人々は大抵無視されています。

 処理水を放出しなければ漁民には害がありませんが、処理水をため続ける害は無視されます。一般の下水も処理場で処理され河川から海洋に放出されますが、これをタンクにため続けるようなものかと思います。

 

■ 部分最適全体不適

 どちらが良いか分からないなら何もしないという通俗的予防原則は個人の判断でよく使われます。個人レベルでは合理的であることが多いからです。例えば、F商店は賞味期限切れの商品を売っているという噂があるとすると、大抵の人はその噂が真実かデマか分からなくても、F商店からは買いません。少し足を延ばせばF商店の代わりの商店はいくらでもあるので、そこから買えば済むからです。このように個人の範囲ではトレードオフを考慮して少なくとも自分の利益だけなら合理的に判断できます。しかし、F商店にとっては堪ったものではありませんし、多くの人がこのような根も葉もないデマで判断するようになると、社会全体の損失になるかもしれません。いわゆる部分最適全体不適になってしまいます。

 風評加害者は、疑わしいなら買わない方が安全という部分最適に訴えてF商店を潰そうとします。科学的根拠は不要で、噂を流すだけでよいので実に簡単です。全体の利益を考えるなら、科学的根拠を示してF商店の商品は安全だと示さねばならず大変です。大変ですが、それがそれぞれの個人に理解されれば、わざわざ不便な別の商店にいかずに、以前のように近くのF商店でお客は買い物をするようになるでしょう。

 

■ 風評加害者の責任逃れ

 科学的根拠が理解され、F商店の商品が危険というデマを主張しにくくなると、風評加害者は、デマを発信したことは加害ではないという後退した主張を始めます。どのような主張かというと、「加害とは意図的なものだが、我々には加害の意図はない」、「風評被害の定義は曖昧である」、「風評と被害の因果関係は明確ではない」などです。

Microsoft Word - 1_第三十六回_CCNE委員会議事次第 (ccnejapan.com)

 

 「原発事故の加害責任を、被害者を含む国民(一般公衆)に転嫁する」と風評加害者は言います。原発事故加害と風評加害を意図的に混同するわけです。風評加害はデマの発信者が直接加害するのではなく、デマに影響された国民(一般公衆)により引き起こされます。そのような公衆の責任を問うことは難しいし、問うべきでもないと考えますが、デマ発信者の責任は問うべきでしょう。さらにデマ発信者とデマに影響された公衆の混同も行い。公衆に紛れて逃げようとしているように見えます。