逆宝くじ(巨大原発)の問題

原発のリスクは小さい

 確率的には、原発のリスクは他の発電方式より小さいといわれます。例えば、リンク先には次のように書いてあります。

テラワット/時」当たりの平均死亡率は、石油の場合36人、石炭の場合は161人、原子力の場合は0.04人となっています。

naglly.com

 ただ、公式なデータではなく、データの信頼性は不明のようです。

お断りですが、引用したのは個人のブログで、元の情報源、算定根拠などは不明です。アメリカ政府または国際機関のデータを利用しているようですが、トレースできませんでした。データの信憑性についての担保がないことを予めご理解下さい。nextbigfuture.com/2011/03/deaths…

togetter.com

 数字はともかく、原発は世界中で建設されているので、被害を便益が上回ると思われているのでしょう。

ただ、専門家ではない一般の人は、確率的な期待値だけでは判断しませんからね。大抵の人は、分かりやすい便益や損失の最大値で判断することが多いようです。

 例えば保険の損失期待値は便益期待値より大きいです。そうでないと保険会社の経営が成り立ちません。にもかかわらず確率的には損な保険に入るのは、経済的に破綻するような大きな損失を避けたいからです。自動車保険に入っていないと、交通事故を起こしたとき、数億円の賠償金が払えず破産します。ちなみに、財力があり破産の可能性のない国の官用車は保険に加入していません。保険料を払うより安上がりだからです。

 原発は、保険よりも投資に似ているかもしれません。身の程知らずの高額の投資は破産の危険がありますので、確率的には儲けが期待できても、お勧めできません。原発も国は推進しようとしますが、自治体が受け入れるかどうかは、一概に言えません。

 また、宝くじも確率的には損する行為ですが、万が一の大当たりを夢見て多くの人が購入します。

 保険へ加入する、高額な投資は避ける、原発を受け入れない、これらはどれも確率的には損する行為ですが、万が一の大損害を避けたい場合に選択します。また、宝くじを買うのも、確率的には損する行為ですが、万が一の大儲けを期待して選択します。一方、万が一の事態が良い出来事でも悪い出来事でも、それほど重大でなければ、確率的に有利な選択をします。

 厄介なのは、万が一の出来事の重大さ加減の認識が人によって、あるいは立場によって違うところです。どちらを選択するか客観的に決められません。だから揉めます。

原発の最大被害は大きい

 一般には、原発事故は極めて重大な事態です。どれほど重大かというと、原発事故の賠償責任は電力会社にあり、電力会社は原子力損害賠償責任保険への加入が法律で義務付けられています。しかし、それでも不足する可能性があるため、政府が援助することになっています。多分、政府の援助がなければ電力会社は原発を作りません。つまり、原発は国策で行わなければならないほど万が一の被害が大きいのです。

 とはいえ、国が亡ぶほどではありません。重大さの加減は立場によって変わると先ほど述べたように、官用車は保険がなくても国は破産しません。重大な原発事故を起こした国は、日本の他に米国と旧ソ連がありますが、まだ存続しています。

 しかし、自治体レベルになると話は違います。福島第一原発事故の影響から10年以上経っているのに、住民の帰還はわずかです。チェルノブイリ級の事故なら、町が消滅する可能性もあるのではないでしょうか。

■不平等感

 ここまでの話は、保険等のそれなりの傍証がありますが、これ以降は、かなり思弁的な推測になります。ですが、持って回った言い方を避けるため、断定的に記述します。

 人間の心理は首尾一貫していなことが多く、破滅的な事態も必ずしも回避するとは限りません。例えば、自動車の使用です。事故の賠償金は保険で処理できますが、交通事故で自分が死ぬこともあります。死ねば、個人レベルでは破滅です。なのに、多くの人が自動車を利用しています。理由はいろいろ考えられます。交通事故以外の原因で死ぬこともあり、また、自動車利用(救急車、物流促進等)で命が助かる場合もあって、総合的には死ぬ確率が減ります。ただそういう確率計算を個人が行うのは現実には困難です。おそらく、万人に平等にありうることは、あまり気にしないだけでしょう。

 逆に、不平等だと感じると受け入れにくくなります。いわゆる迷惑施設は自分の家の隣に来てほしくないですからね。地域のためには必要だと分かっていても、また実際には不利益以上の利益を得ていても、自分だけが犠牲になっている気分になります。

原発は最大被害が大きく、かつ不平等に感じる

 不平等感が大きい代表例が、原発です。発電所の恩恵は全国民が受けるのに、事故被害は、原発の近くの住民に集中します。交通事故と違って誰が被害者になるのか最初から決まっています。それに加えて、回復不能なほど最大被害が大きいです。

 原発推進の立場からは、確率的に便益と損失を計算して便益が大きいことを示しますが、そんな計算は大して心に響きません。

 かつて、「逆宝くじ」なるものを考えたことがあります。

shinzor.hatenablog.com

 くじを引けば10万円もらえますが、1万分の1の確率で当選すると一億円を払わなければいけません。期待値を計算すると、約9万円儲かりますが、怖いですよね。さらに、1万人のグループの誰か一人がこのくじをすれば、残りの9,999人も8万円貰えるならグループとしてどうすべきでしょうか。1万人のコミュニティにとってこのくじは大きな富をもたらしますが、誰かがくじをひく一人に立候補するでしょうか。立候補すれば他の9,999人より1万円儲かる計算なのですが、犠牲者になったような気がしませんか。

■一つの原発の規模を小さくする。

 1万人のコミュニティの逆宝くじは、日本と原発のアナロジーです。すぐ思いつく解決策に、不運にも1億円支払うことになった一人を他の9,999人が支援する方法があります。儲けた8万円から1万円を支援すれば、ほぼ1億円になるではありませんか。現実の福島第一原発事故でも国や、日本国中の人々が移住せざるを得なくなった被害者を支援しました。にもかかわらず、13年経過しても、帰還して以前の生活に戻れた人はわずかです。現実の物理的世界は複雑で、くじの計算ほど単純ではありません。お金を出しても、汚染された土地にすぐ住めるようにはならないのですね。いずれ回復するでしょうが、時間が係り過ぎます。それまで待てる人はどれほどいるのでしょうか。

 この問題を解決するには、不平等な逆宝くじの状況を変える必要があると思います。つまり、一つの原発の事故の規模を小さくして、代わりに数を増やし、誰が事故被害を受けるか分からない自動車のようにします。東京のような都市近郊にも設置できれば理想的です。SMR(小型モジュール炉)が実用化されれば夢物語ではありませんが、どうでしょうか。可能でも遠い将来ですね。