NHK受信料訴訟判決

■法令で契約を強制されるという例は,多分他にはない
 NHK受信料訴訟高裁判決が話題になっていますが,地裁判決は6月に出ています。次の引用はそのときの記事です。

本人が拒んでも「受信契約成立」 NHK訴訟判決はアリなのか?
http://www.bengo4.com/topics/531/

――そういった例は、よくあること?

(略)
「いえ、法律で契約を強制されるというのは、極めて例外的な事態というべきです。私たちには自由意思がありますからね。

似たケースとしては、東日本大震災で注目された『原子力損害の賠償に関する法律』がありますね。この法律には、原子力事業者は、必ず損害保険契約をしておかなければならないという定めがあります(7条)。万一原発事故で、多額の賠償が発生した場合にも、事業者が着実に支払うよう備えさせるという点で、その趣旨は理解できます」
(略)

 「原償法」は,発電事業者が保険会社と損害保険契約を締結しなければ,原発の設置を認めないというだけのものです。国と発電事業者間の契約を当事者の国が強制できるものではありませんし,保険会社と発電事業者の保険契約を保険会社が強制できるものでもありません。他にも,公共工事の契約では,発注者が受注者に「履行保証保険」への加入を義務づけています。「履行保証保険」に加入していなければ工事の契約ができないだけであって,国は工事契約を受注者に強制したり,保険会社が保険契約を工事受注者に強制したり出来るはずもありません。保険契約を締結しなければ公共工事の契約が出来ないというだけです。

 これに対して,NHKの受信契約は当事者であるNHKが視聴者に契約を強制するもので,全然「似たケース」ではないでしょう。

 契約とは,当事者が対等な関係で合意に基づき締結するものです。契約の当事者の一方が,他方に対して契約を強制すれば,それは最早,契約とは言えない代物です。受信料支払いを義務づけるのなら,「支払わなければならない」と法令に定めるか,目的税にすべきかと思います。しかし,今のNHK放送の形態では,支払い義務者を限定することが難しいでしょう。

■純粋公共財
 そもそも,放送は視聴したい人だけにサービスを提供し,その人から料金を取ることが難しいのです。このようなサービスを経済学では「純粋公共財」と言うそうです。「純粋公共財」とは「非競合性」と「非排除性」を共に備えているサービスのことを言います。「非競合性」とは,利用者が増えても,サービスの提供に影響しない性質のことです。料理は誰かが食べてしまえば,他の人は食べられません。他の人も食べたければ追加の料理を作らなければなりません。だから,レストランは商売になります。それに対して,空気のようなものは「非競合性」を備えています。空気を売るという商売は通常,存在しません。
 
 もう一つの「非排除性」とは,ただ乗りを防げないというです。サービスを受けたい人だけに提供することが難しいものです。消防や国防は,消火や防衛をして欲しい人だけにしてあげることはできません。消防署と消防契約をしている人の家だけ消火し,隣の未契約者の家の消火をしないというわけにはいきません。

 このようなサービスは,営利事業として提供することが難しいので,公的なサービスとして提供されるのが普通です。その費用は,税金として強制的に聴取されます。

 放送は,何人でも受信できます。一人が受信すれば,他の人が受信できなくなったり,受信状態が悪くなったりはしません(非競合性)。また,料金を払わない人が受信出来なくすることも困難です(非排除性)。典型的な純粋公共財です。勿論,技術的に排除性を持たせることは可能で,その場合は有料放送として成立し,現実に存在します。そうでない場合は,受信料で運営することは無理があるので,民間放送は広告料で成り立っています。インターネット上のサービスも無料のものがほとんどです。

 NHKが公共放送を自認するなら,税金を投入すればよいでしょう。「自分はNHKを見ないから,税金を使われるのは嫌だ」という言い訳は通用しないのは,消防と同じです。しかし,消防と同じレベルの公共サービスかというと疑問があります。消防は民間サービスとして提供不可能です。それと同等とNHK放送は言えるでしょうか。民間放送では提供できない不偏不党の情報を提供しているようなことをNHKは言いますが,不偏不党の情報とは(一応)官公庁の見解や情報であり,NHKの見解ではありません。官公庁の見解や情報は民間放送でも提供可能です。報道機関は他者の意見などを伝えるのが主務のメディアです。時々、自分自身の意見も発信することもありますが,報道機関の意見としてNHKを特別扱いする理由はないと思います。*1
 まあ,百歩譲って,仮にNHK民間放送では提供出来ない公共サービスを提供しているとするなら,税金で運営すべきでしょう。実際に民間放送局の番組とはひと味違う番組も制作しています。こういう番組は視聴率など気にしないでよい税金による運営が適しているかもしれません。ただ,公共(国)の見解は,法令解釈など最低限に限るべきで,例えば,道徳とか文化についてお節介なことを言い出すとろくなことはありません。ですので,公共放送自体に疑問があります。公共放送とは民間放送事業が存在しなかった時代に国がしていただけだと思います。公共出版協会や公共新聞協会は存在しませんし,別に必要でもないでしょう。

■現代では無理のある昔の遺物の制度
 有料放送だというのなら,排除性を備える努力をすべきです。一切そういう努力をしないで受信料を聴取するというのは無理があります。視聴者としては非常に不愉快な状況です。例えば,公共の場所の大スクリーンに映像や情報を流せば,見たくなくても目に入ってきます。その料金を請求されているような不愉快さです。TVは家庭内に自分の意志で受像器を設置するのだから,公共の場の大スクリーンとは違うという意見も有るかも知れませんが,民間放送を見たくてTVを買う人もいます。NHKは見い人もいます。

 しかし,放送法ではNHKを見る見ないは関係ありません。受像器を設置すれば契約しなければならないという規定です。これは,民間放送が存在しない時代なら,NHKを見る意志があったと判断可能です。しかし,今やそれは無理で,放送法は前時代の遺物だということでしょう。

*1:11/4修正