不公平を内在する原発(2)

原発の事故被害額の期待値は小さい
 話を原発に戻します。原発の事故による被害の期待値(平均値)は小さいです。今までの原発災害での被害者は非常に少なく,他の発電方式の方が遙かに危険です。そして,万が一の事故でも,国の規模であればおそらく耐えられます。だから,国策としては原発は推進した方が得なのです。しかし,電力会社には耐えられないようです。そこで,大事故の際は原子力災害賠償法などで,国が電力会社を支えることになっています。原発は一民間企業にとってはリスクが大きすぎて,事業として成立しないという事でしょう。実態は国策として事業を行っている国営事業ではないかと思います。
 つまり,国は,原発が事故を起こさないと考えているのではなく,ちゃんと事故の想定をして,賠償金のことも考えているのです。それでも国なら耐えられるし,長い目で見れば得であるという判断があります。ところが,原発が立地する自治体にとってはそうではありません。これが大問題なのです。

原発自治体に破綻的被害をもたらす

 万が一の事故も起こらないないのであれば,原子力災害賠償法も,国が補償する規定も不要なはずです。しかし,神様ならぬ人間の行うことですから,事故が起こらないことなどあり得ません。自動車でも飛行機でも,事故が起こらないと考えている人はいません。事故の可能性を受け入れ,それでもメリットがあるので,これらを利用しているのです。
 ただし,受け入れるにしても限度があります。飛行機は自動車より平均してみれば遙かに安全です。にもかかわらず,なぜか飛行機に恐怖を感じる人は多いでしょう。それは,万が一の事故では死ぬ可能性が高いし,被害者の数も大きいからだと思います。それでもまだ許容できるので飛行機は利用されます。
 これが,1万人載りの超巨大飛行機となるとどうでしょうか。町の住民全員が参加する町内旅行にその巨大飛行機を利用する企画が提出されたら,町長は承認しないでしょう。確率的な期待値がたとえどんなに安全であっても,万が一の場合,町が消滅してしまうからです。
 ところが,福島原発事故では,それに近いことが現実に起こりかけています。原発立地の町は住民が避難し,町の存続が危ぶまれています。保有する放射性物質のほんの一部が放出されただけで、自治体レベルなら破綻させうる威力を持っていることが,実証されたのではないでしょうか。半径数十キロの範囲では長期間,居住不可能になります。国は耐えられても,人口数万人の自治体は破綻する可能性があります。
 現実に避難した人に中には,除染されても帰還を諦めている人が増えています。わずか2年でも,移住先で苦労して生活基盤を築いたのに,元の生活に戻れるか保証もなく,また,同じ苦労を味わいたいとは思わないでしょう。

 
原発には危険分散できない不公平がある
 それでも,国は耐えうるのだから,国が自治体を支援すればよいのですが,それも難しいでしょう。住民一人一人への経済的な支援は可能です。住民は賠償金をもらって,移住すればよいかもしれませんが,元の場所には当分住めません。数十年人が住まなければ,産業や文化は壊滅的打撃を受け,コミュニティの破綻は避けられません。
 国全体の立場で考えて見れば,原発は事故のデメリットよりもメリットが大きく,万が一の事故にも耐えられます。もし,事故のデメリットを国民全体で分担できれば,それ以上のメリットを各国民に与えられるのですから,反対はないでしょう。しかし,原発のデメリットは立地場所の自治体だけが被るという不公平な関係にあります。助け合いの精神で危険を分散するのと全く逆です。原発の抱える最大の問題と私は考えます。
 この不公平を少しでも埋め合わせるのが交付金などでしょうが,自治体が破綻してしまっては,埋め合わせの相手が存在しません。保険金をもらっても死んでしまったら無意味です。生命保険は本人のためでなく遺族のためです。しかし、自治体には遺族は存在しません。そこで,事故の前に交付するのでしょう。嫌な例えですが,人身御供のように思えて来ます。「神様の怒りを鎮めるため犠牲、代償として普段は贅沢できる」


人身御供は了承したか
 事業を行う場合には,最悪の事態を想定しなければなりません。可能性は少なくても,最悪の事態は起こりうるもので,それも許容する了解が必要です。飛行機は落ちることもあり得ることを受け入れて利用されています。
 保険金を受け取る事態が生じないならだれも保険料を支払い加入するはずがありません。逆の立場で考えても、保険金を支払うことがあり得ないのに,保険料が入ってくるなどという都合の良い話があるはずがありません。原発では交付金というものが有るし,原子力災害賠償法もあります。「事故があってはならない」は努力目標であって,保証されてはいません。そこのところを原発立地の自治体にきちんと説明したのでしょうか。自治体も理解していたのでしょうか。
 どうも,そうは思えないのです。福島原発事故の後も,「事故はなくす事が出来るし,なくさなければならない」と相変わらず,考えている様な気がします。事故を受け入れてもらうという話は全く聞きません。それはそうでしょう。非常に小さいとはいえ町の破綻の可能性と引き替えという条件は私が町長なら受け入れません。


それでも,原発を維持したいなら
 原発をどうしても維持するのなら,半径数十キロメートルのどの自治体にも属しない天領のような敷地に建設するという妄想が脳裏に浮かびます。そうすることで,事故が発生しても,汚染は敷地内に限定され,周囲の地域には大きな影響をあたえないようにできます。事故のリスクは国が直接負担し,特定の自治体に集中させないのです。

 これは,規模が小さい場合には,決して特異な考え方ではありません。花火工場は,町中には立地するのは困難でしょう。万一の爆発事故でも,周囲に被害を及ぼさないような敷地の余裕が求められます。ただ,原発となると,その余裕は半径数十キロとなり,日本のような地理条件では非現実的です。

 仮にそのような広大な原発敷地をどこかの自治体から購入するとすれば,ある意味で,原発事故を予め起こすことに相当します。原発敷地は,1つの町全体に相当する程度必要ですから,その自治体は,消滅することになります。住民には賠償金を支払い移住してもらうことになります。絵空事の妄想ですが,原発を受け入れるということは,この妄想を受け入れることと同じじゃないかと思います。結局,不公平は解消されていませんが,了承は得たことになります。