三本耳のウサギ 教育法としての掛け算順序

「ウサギが3羽で耳は何本?」という問題に「3×2=6」という式を書くと3本耳のウサギが2羽という意味になるという与太話があります。この話は掛け算順序の必要性を説明するために言い出されたのですが、その意図とは裏腹に掛け算順序教育など無意味であることを見事に示しています。もしかしたら、順序教育支持者を装った順序教育批判者による掛け算順序版「ソーカル事件」かと疑うほどです。(ウソ)

  掛け算順序は、「単位当たりの数」と「単位がいくつあるか」を区別するために必要と順序教育支持者は言います。区別できない子供が区別できるようにするため有効な教育法というのですね。そんなことは問題文を読めばわかると私は思うのですが、発達段階の子供はそうではないと順序教育支持者は言います。冒頭のウサギの問題を読んで「3本耳のウサギが2羽いる」と理解してしまう子供がいるらしいのです。そういう子供は「2×3」という式を書いてしまうので、式を見れば子供が理解しているか判断できるというわけです。なるほど。(ノリツッコミのノリ)

  いや、なるほどじゃない(ツッコミ)。ウサギ耳の話を最初にした人がそんな主旨で言ったのではないのは明らかです。「ウサギの耳が2本なのはみんなも知っているでしょう。「ウサギが3羽」と問題文に書いてあれば「ウサギが3羽」ですよね。でも、「3×2」という式はそう意味にはなりませんよ。」と言っているのです。つまり、掛け算には順序があるというウソを教えているだけで、「単位当たりの数」と「単位がいくつあるか」を区別できない子供がいるなんて思っちゃいません。仮にそんな子供が存在したとしても、掛け順序を教えたら区別できるようなることもありません。区別できて初めてウソの順序通りに書けます。ウソの順序を教えても区別できるようになるわけでも、区別できているか判断することもできません。

 「「右」という字を右側に「左」という字を左側に書きなさい」と指示された子供が「正しい」順序に書いても、「右」と「左」の意味を理解しているかは判断できません。左右を逆に理解しても「正しい」順序になりますからね。左右の区別は、伝統に従い「箸を持つ方が右」とでも教えれば済むのであって、回りくどくて荒唐無稽な左右記載教育は無用です。左右を区別できて初めて左右を指示通りに書けますが、指示通りに左右を書けといっても、左右が区別出来るようになるわけでも、区別できているか判断することもできません。

  更に、「単位当たりの数」と「単位がいくつあるか」は入れ替え可能です。ウサギの耳ならば、掛け算順序に従っても、片耳当たり3本、両耳で3×2と書くこともできます。左右についても「向かって右」と「背にして右」では逆になります。状況に応じて、どちらで考えてもよいことを片方に限定しても不自由で不便になるだけですね。

  ネット上の印象に過ぎませんが、交換法則に反する掛け算順序を本当に信じているのは少数派になっているようです。大抵の掛け算順序教育支持者は、子供に「単位当たりの数」と「単位がいくつあるか」を理解させるための教育方法であって、小学校段階を過ぎれば順序は気にしなくてよいなどと批判をかわそうとします。しかし、教育方法としても全くお話になりません。ウソを教えるのがまともな教育法であるはずもありません。