小学校と軍隊

 これは,掛け算順序問題で時々耳にする意見です。この意見には,授業で習ったことが正しいという前提があるのですが,掛け算に順序があるという前提が間違っているのは言うまでもありません。さすがに順序教育擁護の先生も,交換法則の否定はしません。それでも,「嘘も方便」と考えているようです。

 掛け算順序擁護意見にはいくつかの段階がありますが,私の観測の範囲では,掛け算に順序があるという交換法則否定の過激派は少数です。主流は,教育の導入として順序が役に立つというもので,いずれ交換法則を習うまでの経過的なものだという意見です。要するに教育効果が高いという意見ですが,残念ながらその効果は確認されていません。おそらく,何も理解していない子供でも,とりあえず答えを出すマニュアルという意味では,一時的な効果はあるかもしれませんが,いずれ破たんするのは目に見えています。というか,理解せずとも自動的に答えが出る教育というのは,理解しなくてもよいと言っているようなものです。

 また,仮に教育効果があったとしても,テストでバツにはできません。教え方はいろいろあるでしょうが,テストでバツにしてよいのは間違った答えだけです。教えたやり方で解かせたい場合は,問題にそのような条件を付けなければなりません。入試で見かける段階的設問がその例ですが,複雑な手順が必要な問題のガイドであり,単なる掛け算の計算問題に適している方法ではありません。余計な条件を増やしているだけです。

 さて,冒頭のツィートは,条件設定すらせずに,教わったとおりにしなければならないという教育を推奨しています。これは算数教育というよりも,「上官が白と言ったら,黒でも白なのだ」という軍隊教育を連想させます。学校は軍隊を見本とした集団生活を叩き込むのが発祥らしいので,その伝統が根強く残っているのかもしれません。

 明らかな黒を白と教えて,それを覚えているかを復習させるという教育では,先生に絶対的権威が必要じゃないでしょうか。年端も行かない生徒は黒と分かっていながら,先生の機嫌を損ねないように白と答えるほど如才なくはありません。なので,本当に白だと思わせるために権威が必要でしょう。先生がルールブックだと子供に思わせなければなりませんが,これって結構苦しいのですね。

 昔はそういう存在も結構いました。決して間違いを認めない頑固親父だとか,無謬神話のお役所で,人知れない苦悩を抱えていました。しかし,今や親父もお役所も低姿勢で謝るのが普通です。星一徹は絶滅しました。唯一生き残っている化石のような存在が小学校の先生なのでしょうか。子供相手だと大人の権威が通じると思っているのか,はたまた,子供を過小評価して手取り足取り教えようという過保護体質なのかよくわかりません。閉鎖社会ではありがちですが,閉鎖社会だけに実態がよく見えないのですね。