日常生活や仕事で使う名前は戸籍名に縛られないー選択的夫婦別姓論

■前置きー各党公約

 2021年衆議院選挙も終わりました。今更ですが、各党公約を見ると、自民党以外は選択的夫婦別姓に賛成しています。夫婦別姓というのは、市町村合併しても二つの自治体名を使うような奇妙さがあります。西東京市は、田無市と保土谷市が合併してできましたが、旧田無市西原町や旧保土谷市の新町が「田無市西原町」や「保土谷市新町」のままにしたいと言っているようなものではないでしょうか。

 確かに現行制度では婚姻によって、相手の姓になるのは従属するような気分になるかもしれません。市町村合併でも同じ感情があるようで、大抵はどちらの旧市町村名でもない新しいものにします。結婚後の姓も新しいものにすればよいと思いますが、現行法では出来ません。制度を変えるなら夫婦別姓よりは、新しい姓を認める方がいいのではないでしょうか。

 でも、制度を変えるほどの大問題なんでしょうか。改姓で仕事に支障が出るなら通称を使えば済みます。戸籍名なんて、行政上の整理記号みたいなもので、日常的に使う名前は自分の好きなものを使っていいんですよ。それを禁止する法律はないのですから。

 

■姓の歴史

 立憲民主党の選択的夫婦別姓の公約理由をみると「個人の尊厳と両性の本質的平等」となっていました。「姓」を個人のものと考えているようですが、先ずそこが勘違いですね。「姓」の歴史を振り返ってみます。官邸の資料が簡潔にまとまっているので参照します。

 

「姓」について

・古代の同族集団「ウジ」に対して、天皇が与えたものが「ウジ名」。

・「ウジ」の首長に対して、天皇が与えたものが「カバネ(姓)」。

・「ウジ名」と「カバネ」を合わせたものが「姓(セイ)」

・以上は、集団、職務、地位の名称、さらに個人を表す「実名」がある。

・藤原朝臣不比等 … 姓は「藤原朝臣」(藤原=ウジ名、朝臣=カバネ、不比等=実名)

 この「姓」は、父系で継承されたましたが、支配層ではない庶民には当然、そんなものはありませんでした。なお、父系継承は中国から伝来したそうですが、「わが国では 同姓不婚の観念は見られず 他方 異姓養子の例もあれば、改姓も行われるなど、実態面では中国と異なる点が存在した。」というのが興味深いです。確かに、嫁入りだけでなく婿入りもあります。女性天皇もいましたね。

 

■姓は家族(集団)の名称 名は個人の名称

 要するに、「姓」とは集団やその集団支配層の地位を表すものだったということです。個人を表す「実名」とは違い、同じ集団に属するものは同姓なのはいうまでもありません。西東京市にある西原町の住所が「田無市西原町」では郵便配達人は大混乱します。

 

■現行家族制度と姓

 官邸の資料には、明治以降の制度の変遷もまとめてあります。戦前は次の通りです。なお、法令では「氏」に統一され「姓」は使われていません。「選択的夫婦別姓論」とは法令改正の議論なので本当は「選択的夫婦別氏論」とすべきですが、どうでもいいです。

 

・ 「氏」は、家の名称とされた(一家一氏の原則)

・入夫と婿養子は、妻の家に入ったので妻の家の「氏」を称する

・「氏」が家の名称とされたことにより、法律上は「氏」と血統とは直接の関係はなくなる。(例えば、従前、支配層では「氏」の父系継承の観念から妻は生家の「氏」を称していた。しかし、明治の民法により、夫の家に入った妻は、夫の家の「氏」を称することとなった。)

 

 「氏」は、家の名称なので、家を継いだものは「氏」も引き継ぐことになりますが、女性も引き継げました。興味深いのは、明治以前の妻は生家の「氏」を称していたことで、現代の夫婦別姓論者はそれと同じことを望んでいるのですね。

 明治以前は、父系継承が原則で、女性も父親の「氏」を継承し、嫁入りしても夫の家の部外者扱いです。そして自分の子供にも「氏」を継承させることはできませんでした。これが明治期には、実態はともかく制度的には男女に違いはなくなりました。

 

 次に、戦後の戸籍制度は次の通りです。

 

・戸籍は、一の夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに、これを編製する。

・夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する

・戸籍は、一の夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに編製

・戸籍は、その筆頭に記載した者の氏名及び本籍でこれを表示

・戸籍の筆頭者は、夫婦が、夫の氏を称するときは夫、妻の氏を称するときは妻

 

 戦後の現行制度では、結婚によって親の戸籍を離脱し、夫婦の新しい戸籍を作ることになりました。子供も結婚するまで親の戸籍に記載され、同じ「氏」を称します。つまり、「氏」とは婚姻によって新しく作られる戸籍の名称であって、親から子供に継承されるものではないということになります。ただ、中途半端なことに、夫や妻のどちらかの親の「氏」にしなければなりません。これは、市町村合併で「西東京市」にはできず「田無市」か「保土谷市」にしなければならないようなもので、対等な関係ならば、揉めること必至です。

 

夫婦別姓論の不合理  

 現行戸籍法では「氏」は夫婦とその未婚の子供からなる戸籍(家族)の名称なので、一つの家族に二つの名称を付けるのは不合理です。

「氏」も個人を表すものと考え、家族の統一名称は不要という「氏」廃止論はありうると思いますが、夫婦別姓論者はそのような過激な主張ではないようです。生家の「氏」を使いたいという、むしろ、明治以前の嫁入り後も生家の「氏」を名乗る制度に近いですね。

 

夫婦別姓を望む理由

 夫婦別姓を望む理由の一つは、長年親しんだ氏に愛着があるという心情的なものが多いです。相手の氏に変えるのは服従させられている感もあります。その心情はわからないでもないので、どちらの「氏」でもない新しい氏にできればよいと思います。それも嫌だ、自分の親の「氏」にしたいという時代錯誤な人は、自分で結婚相手と交渉してください。

 もう一つ、改姓で仕事に支障があるというもっともな理由があります。これについては、通称使用の社会的認知であって、法や制度の問題ではないと思います。芸能人は芸名を使いますし、選挙の登録名が戸籍と違う政治家も多くいます。一般人でも戸籍と違う氏名を仕事で使っている人は結構います。別に通称使用を禁止する法律もありません。仕事に支障があるという理由で法を変えたがるのは、仕事で使う名前は戸籍名でなければならないと不自由に考えているからでしょう。