教育は大変

 算数の順序教育は,ずいぶん長いこと批判されています。だけど,なくなりません。何故なんでしょうかね。結論からいうと,先生がマニュアル教育を望んでいるからではないかと思います。順序教育はマニュアル教育であって,そういう需要が先生にあるのではないでしょうか。生徒にあるのではありません。

 順序教育の主張に,「テストは教えたことを覚えているか確認するものだから,教えられた通りに回答しないとバツにするのは当然。まだ,教えていないことを使うのもバツ。」というものがあります。この考え方は算数だけなく,他の教科でも見られます。教育とは,指示通りにさせることらしくて,先生が間違っていてもそれに従わせたいようです。予習すら否定しかねない奇妙な考え方です。

 全く賛成できない考えかたですが,小学校の先生には同情すべき事情もあります。沢山の教科を教えなければならず,必ずしも算数の専門家ではないからです。算数が苦手な子供に理解させられなかったり,逆に塾通いで授業を馬鹿にする生意気なガキの扱いに手を焼いたりと,子供のレベルに合わせて適正な教育をするのは大変です。数学や算数の専門じゃないのだから,一律に教えられるファストフード店の接客マニュアルのような教育マニュアルを欲するようになるのかもしれません。

 実は,小学校教育以外の分野でも,業務マニュアルの需要はあります。ど素人のバイトを使うファストフード店はもちろん,私の関わる建築分野の高度に専門的と言われる建築士ですら結構望んでいます。建築分野の二大マニュアルは,法令と標準仕様書です。法令がマニュアルとは怪訝に思う向きもあると思いますが,建築基準法は法律の専門家から見れば異様な法律らしいのです。とにかく,事細かい規定がびっしり書いてあります。施行令,告示,技術的助言(以前の通達)まで含めれば膨大な分量になります。

 このため,「法令に従えば自動的に設計が終わる」という冗談があるくらいです。煩雑な法令を読み解くのは重労働ですが,自由度が少ないため,自分の頭で最良の設計を考える手間も少ないのです。この状況に慣れてしまった設計者は,法令に定めがないと,どうしてよいか分からなくなってしまい,法令でやり方を決めてくれと国交省に強く要望します。自分で考えたやり方に自信がなく責任を負えないのですが,法令に従っていれば責任を免れて安心なのです。

 最近では,東日本大震災で多くの建物の天井が落下して死者もでたため,特定天井を定める建築基準法施行令の改正との告示が発出されました。従来から施行令39条には「屋根ふき材,内装材・・・は,風圧並びに地震その他の震動及び衝撃によって脱落しないようにしなければならない。」と定められていました。しかし,その道の専門家であるはずの一級建築士ですら,どうしてよいか分からないというものだから,国交省がお世話しました。(法令は簡単には改正できませんので,こんな細部まで定めてしまうと,技術の進歩を阻害してしまうという弊害が現実に現れています。)

 標準仕様書に対する建築設計者の態度も似たようなものです。標準仕様書とはもともと業務効率化のための道具でした。同じような建物を大量に設計する場合,標準的な仕様を定めておけば,一々定める必要がなくて便利です。当然,標準的ではない建物の場合は,自分で仕様を決めなければなりませんが,標準仕様書が出来る以前は誰もがやっていたことです。ところが,標準仕様書を使い慣れてくると,標準的ではない特殊な仕様も標準仕様書に入れてくれという要望が出てきます。ただし,仕様が増えると,どの仕様を適用するか判断しなければなりませんが,それも出来ません。そこで,仕様選定の解説書も欲しいという要望とセットになっています。全く,何から何までお世話しなければなりません。

 標準仕様書の解説とは,仕様の根拠や理由を説明することですが,そんなものより,自分の頭で判断しなくてよい運用マニュアルが欲しいわけです。このマニュアル願望が高じると,標準仕様書に定めのない仕様は禁止されていると勘違いする人が現れてきます。規則を重視する公共の発注者に多い傾向があります。しかし,標準仕様書の冒頭には特記仕様書を優先すると書いてあります。特記仕様書とは,標準仕様を打ち消して別の仕様にするものです。従って,標準仕様以外の仕様も別に禁止されてはいません。ただし,自分の頭で考えて特記仕様を書けないため,結果的に禁止されているように勘違いしてしまうようです。

 法令の場合は,定め以外は禁止のように思えるかもしれませんが,必ずしもそうではありません。大抵の条文にはただし書きがあるからです。「特別な調査,研究による場合は適用しない」の類です。また,「大臣認定による方法」というのもあります。面倒ですが,法令の方法と同等以上だと証明すればいいのです。従って,自分自身はマニュアル仕事しかできない設計者でも,他者がマニュアル以外のことをするのを禁止はしません。このことさえわきまえていれば,マニュアルは能力のない人でもそれなりに仕事ができるようになり,社会の役に立っています。ファストフード店の接客マニュアルも批判も多いですが,ないよりはマシです。

 一般の建築設計者やファストフード店の店員は自分の仕事さえすればよく,他人の仕事の審査や評価はしません。その種の仕事は,専門家の中でもさらに高度な知識と判断力を持つ有識者と言われる人が行うことになっています。ここからが重要なのですが,学校の先生の仕事は有識者と同じところがあります。つまり,生徒をテストで評価しているんです。聖職とまでいうと時代錯誤になってしまいますが,重要な仕事であることは間違いありません。

 自分が教えた方法以外の方法で生徒が解答した場合も採点できる能力が教育者には必要です。つまり,教えることの数倍の知識が必要なのです。先生でなくても,質疑付きの講習会の講師をやると,教えることの大変さが実感できます。その能力がない場合に便利なのが,「教えた方法を覚えているかをテストしているだけ」という言い訳です。質疑拒否の講師,あるいは値段を覚えていない商品の注文には「ありません」と答える店員さんみたいなものかと。