■ 角を矯めて牛を殺す

 

 「病床を減らしたのは誰だ」と突っ込まれていますね。思わず、小泉元首相の悪夢を思い出して、この記事を書きました。

  かつての行政改革では、民営化とともにアウトソーシングが叫ばれました。行政のアウトソーシングとは民間に外注することで民営化とは全く違いますが、なんとなく同じような使われ方をしました。

 民営化とはいわゆるコア業務を手放すことで、民間企業でいえば事業譲渡に近いと思います。それに対してアウトソーシングコア業務をサポートするノンコア業務を外部に委託するだけで、普通に行われています。鉛筆やパソコンを、自分で作っている行政機関はありません。行政にとって、事務用品の生産はいうまでもなくコア業務ではありません。事務用品は、事務用品メーカーに外注(購入)した方が安上がりで、当たり前に行われていることです。

  行政改革では「民間でできることは民間に任せる」というキャッチフレーズがあって、アウトソーシングで経費削減せよということでした。ところが、事務用品同様に、公共工事でも、アウトソーシングはすでに100%近く行われていました。公共工事アウトソーシングとは民間建設業者に工事を発注することでこれまた当たり前に行われていました。

  行政にとっては、工事の実施はノンコア業務であってすでにアウトソーシング済みだったわけです。そこで奇妙なことが起こりました。公共工事自体の削減です。行政のコア業務である公共工事の発注を無駄とみなして削減が求められました。これはアウトソーシングを行うのとは全く意味が違います。公共工事を行うにあたって無駄を省くことと、公共工事自体を省くことはまるで別次元の話です。

  一般的に公共の仕事は支出をすることです。利益がなく民間では出来ないので公共が行うわけです。例えば、道路工事を考えれば明白です。有料道路で採算が取れるなら民間で実施することも可能です。しかし、無料で使える公共的な道路の発注は支出だけで収入がありません。民営化はできません。道路を作った利益は行政が得るのではなく、将来にわたって国民が受け取るものです。それを予測するのが事業評価で、行政の支出と将来の国民の利益を比較します。行政の支出は将来の利益を生むための投資ですが、それを無駄と切り捨てたのが小泉元首相だと思います。

  行政改革とは、このような長期的で国全体の利益を考えて行うものですが、小泉内閣では矮小化され単なるアウトソーシングによる経費削減になりました。なんとなく財務省健全財政路線と似てます。そこまでならよかったのですが、すでにアウトソーシンされている公共工事にはその余地がないため、経費削減ではなくて、公共工事そのものの削減が行われました。その結果、国土インフラは脆弱化し、現在は「国土強靭化計画」として立て直しをしなければならない事態になっています。

  行政改革とは本来、行政のパフォーマンスを向上させるものですが、単なる経費削減というしみったれた方策に堕して、何を勘違いしたのか行政のパフォーマンスを削減してしまったわけです。病気を減らそうとして病人を殺したようなものです。確かに病人が死ねば病気は減りますけどね。

  国立大学や国立研究機関も「改革」されました。こちらの方が事態は深刻と思いますが、強靭化計画はありません。