快楽と苦痛,どちらが勝つか

タバコは百害あって三利ぐらいはあるぞ!! 
http://izumojiro.hatenablog.com/entry/2017/02/26/182810

 上記ブログ記事には,受動喫煙や第三者の迷惑という視点での批判がいくつかあります。しかし,この方は,喫煙者の感じるメリットについて述べているだけです。マナーについて強調しているように,受動喫煙の害を否定したり,第三者に迷惑をかけてよいなどとは一切述べていません。あくまで,自分はタバコが好きだという主観的な気持ちを述べているだけですから,他者がそれを否定することはできません。少なくとも,喫煙はマリファナと違って合法ですから,他人に迷惑を賭けなければ自由です。

 と,一応建て前を述べたところで,他人の主観的感情に立ち入りますよ。百害に対して,三利程度で煙草を吸う気になるのでしょうか。本当は三利どころか,百利も千利もあると感じているのではないかと疑っています。だってそうでしょう,百万円損するけど三万円儲かる仕事はしないでしょう。ここで,三とか百という数値はあくまで主観的なものです。客観的な数値として百万円損するけど三万円儲かる仕事をする人は確かにいます。そういう人は,お金に変えられない価値や喜びを感じていて,それが主観的には百万円以上なのです。だからやるんでしょう。

 問題は,主観は結構,変化するということです。例えば子供の頃,試験勉強せずに遊びほうけていたことがあります。それは試験の成績よりも,その時遊ぶことの価値がすごく魅力的だったからです。ところが,試験が終わると後悔します。遊びの魅力は色あせ,試験の悪い成績の害が現実となって襲い掛かってくるからです。

 言ってしまえば,先のことを想像できなかったというだけの事ですが,それだけではない問題があります。肉体的快楽は自分では制御するのは難しいのですよ。これを甘く見てはいけません。度々書いていることですが,8年前に入院していた時の同室の糖尿病患者さんは,病の影響で足が壊死仕掛けているのか,車いすを使っていました。にもかかわらず,医者や看護師さんの眼を盗んで,甘いお菓子をこっそり食べていました。恐るべし,糖分の魅力。

 美味しいものを食わずに健康でいるよりは,うまいものを食って死んだほうがまし,とはよく聞くセリフですが,本当に死ぬ間際になってもそう思っている人はどのくらいいるんでしょうか。快楽の魅力に負けず劣らず苦痛の恐怖は侮れません。死は早いか遅いかだけの問題ですが,私は,病気で苦しんだり痛いのは我慢できそうにありません。なにしろ,拷問に耐えるスパイなんてのは映画だけの話で,その苦痛に耐えるのは絶対無理だというではありませんか。心頭滅却すれば火もまた涼しとか言いますが,精神力というのも脳という肉体が生み出すものです。その脳に作用する拷問を受けたら,精神力ごときは木っ端みじんですよ。

 特にタバコが引き起こす肺の病気は,いやなんですよ。私の兄は肺がんで死にましたけど,死の間際に身近にいた兄の子供の話では見ていられなかったといっていました。また祖父は気管支炎で長い間寝込んでいて,しばしば呼吸困難の発作を起こして苦しんでいました。その様を子供の頃よく見ていましたが,あのゼーゼー音は聞いているだけで,こちらまで息苦しくなります。それでもタバコは止められなくて,タバコ調達のパシリが私の役目でした。祖父としても大人には頼みづらかったようでした。

 でも,こういう脅しもスモーカーには効果がないという気もします。お菓子がやめられない糖尿病患者さんやタバコがやめらない祖父を見てきましたから。一番いいのは,最初から吸わないことじゃないかと思います。ビリーバーの説得が不可能なのと同様に,禁煙というのは,多くの人にとって手遅れじゃないでしょうか。経験しないと分からないという誘惑は魅力的ですが,経験したら手遅れということもあります。