本当に最悪か

日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(海軍の隠語で妻)のために行くんだ。命令とあらば止むを得まい。日本が敗けたらKAがアメ公に強姦されるかもしれない。僕は彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ。素晴らしいだろう。

関行男、マバラカット基地近くのバンバン川にて

 戦中に軍神と称えられた関行男大尉が海軍報道班員に語った言葉です。日本の敗戦を確信しながら,日本が負けたら妻がアメ公に強姦されるかもしれないので彼女を守るために死ぬ,というのは一見矛盾しています。どうせ日本は負けるのなら,彼女は守れません。ただ,せめて敗戦という最悪の事態を先延ばしにしたかったのかもしれませんが,そうだとすれば素晴らしいどころではない悲しい決意です。

 この決意が更に悲しいのは,日本が負けてもKAはアメ公に強姦されなかったところです。決意の前提が間違っていたわけです。この誤認がこの時代の一般的認識だったとすれば,仕方ないといえますが,戦争は悲劇を産むという当たり前のことを改めて感じます。

 戦中は知る由もなかったかもしれませんが,敗戦は最悪の事態ではなく,敗戦の引き延ばしはむしろ被害を増やす悪あがきだったといえます。将棋でいえば,投げるタイミングを逸し,詰みまで指してしまったという見苦しい状況です。しかし,敗戦の判断は現場の兵士には出来ず,悪あがきも「命令とあらば止むを得まい。」と割り切ることになったのかと思います。

 酷な言い方をすれば,関行男大尉のこの割り切りは理屈としては少しおかしいところがあります。天皇陛下のためとか、日本帝国のためではなく,妻のためという,全くの個人的判断であったのなら,「命令とあらば止むを得まい。」とは言わなくてよかったはずです。もちろん,心中穏やかならぬ状況で,海軍報道班員に語った言葉ですから理屈を期待するのが間違いです。十分な情報がない状況での悩ましい決断で,踏ん切りを付けるため「命令」と言っただけでしょう。

 ここで一旦,特攻の効果について考えて見ます。特攻に効果があったかどうかは,何を効果と考えるかによって違ってきます。少し調べたところでは,当時の通常攻撃である急降下爆撃は米軍の対空砲火と多数の戦闘機の前に全く戦果を挙げられず,無為に撃墜されるだけという状況だったようです。つまり,ほとんど,戦果0,被害100%らしかったのです。そういう状況では,多少なりとも戦果を挙げられる特攻は「効果」がある「合理的」戦法ということらしいのです。しかし,戦果0,被害100%という状況は,もはや大勢は決しています。闘い方の判断をする場合ではなく,如何に最小の被害で結末を迎えるかという判断が必要だったのではないでしょうか。だらだらと闘い続けても被害を増やすだけで,いずれ負けるという結果は同じなのですから。それに,当初はそれなりの効果のあった特攻も,優秀なパイロットを消耗するという性質上,末期には,未熟なパイロットによって敵艦に達する前に墜落するという体たらくで,戦果0,被害100%になってしまいました。特攻には1発逆転の勝利をもたらす「効果」はなくて,負けを引き延ばしすのが精一杯でした。そして,引き延ばしは,むしろ被害を増やす「効果」を発揮しました。

 なぜ,引き延ばしをしたのかと言えば,前述のとおりです。即ち,敗戦とは総てが終わる最悪の事態であり,出来るだけ引き延ばさなければならないと考えたからでしょう。敗戦後の世界が全く想像できないとこのような判断になります。大所高所からは,関行男大尉の行為は結局,敗戦を引き延ばし被害を拡大しただけで,歴史的に評価できることは何もありません。とはいえ現場の兵が敗戦を決められる筈もなく,被害者の一人に過ぎません。ただ,被害者にならないため,どうすれば良いかは現代でも考えた方が良さそうです。簡単ではありませんが。

 時代は違えども,今も同じような状況はあり得ます。勤めている会社が重大な不正を働いていることを知った場合に内部告発するかどうかは悩ましい選択です。内部告発すれば,会社は潰れます。職を失い家族を路頭に迷わせることになるかも知れません。とはいえ,多分不正はいずれ発覚し,会社は潰れます。違うのは早いか遅いかだけです。社会的利益を考えれば,内部告発しなければなりませんが,そういう状況になっても,どうも私には出来そうもありません。

 実態としても,内部告発をするのは極一部です。大半の社員は私の様に不正を知っても「命令とあらば止むを得まい。」と組織に従います。不正を隠しとおせる見込みはほとんどなく,経営陣を酒席では馬鹿にしながらも,何故か従います。従いやすさは,組織への依存程度と係わります。組織が潰れた場合を想像しにくいと,組織の最期を先延ばしにすることしか考えられなくなります。一方,依存が少なければ,組織を見限ることが出来ます。現在では会社に依存している人は少ないかもしれませんが,国に依存していないコスモポリタンはどのくらいいるのでしょうか。世界には頼りがいのない国も多く,その国民はいやがおうでも難民というコスモポリタンになってしまうわけで,どちらが幸せかは分かりませんが。

 関行男大尉の悲劇は戦死して中佐になった後も続きます。戦中に軍神と称えられたことが仇となり、守ろうとした遺族は戦後,肩身の狭い思いをしたと言われています。