確率的な建築基準法の地域係数

熊本地震東海大の学生アパートを倒壊させた「地域係数Zの悲劇」
建築&住宅ジャーナリスト 細野透
 http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/sj/15/150245/041800042/?rt=nocnt

■単純な間違い

 先ず,上記リンク記事の単純な間違いを指摘しておく。「住宅品確法では地域係数Zの数値は1.0、1.25、1.5の3種類に分かれている。」と述べているが,住宅品確法に地域係数Zは無い。有るのは耐震等級であり,これは地域とは全く無関係である。住宅品確法の一つの柱は,住宅性能表示制度である。これは,住宅の性能を第三者機関が評価し,表示を許可するものである。性能にはさまざまなものあるが,耐震性能は3等級に分類され,お客はどこに建築しようと,自分に必要な性能を注文することができる。当然ながら建築基準法の要求を下回る性能は認められないので,建築基準法の性能と同等,1.25倍,1.5倍の3つの等級となっている。建築基準法の性能に既に地域係数が考慮されていて,それを1.25倍あるいは1.5倍するのである。

 以上のことは実際に建築を設計している現役の専門家なら常識である。しかし,医療ジャーナリスト同様,建築ジャーナリストも建築の専門家ではないようである。一級建築士でもあり,丹下健三氏(故人)と組んで、代々木オリンピックスタジアム、東京カテドラル聖マリア大聖堂を設計した経歴があっても,ジャーナリストに転身した後のことは分からない。老婆心ながら,記事を読む読者はその点に留意する必要があると思う。

■地域係数批判の二つの方向性

 さて,細野氏は地域係数を批判しているが,批判の軸足が定まっていない。批判には二種類あり,一つは地域係数そのものを否定し,全国一律の耐震性能を要求するものである。二つ目は,現行の地域係数が大雑把過ぎ,また係数の値も妥当ではないというものである。

 後者の批判は,細野氏も述べているように,昔からあるものだ。それなりに根拠はあり,国交省も何度か係数の見直しを行なっている。ただ,係数の精緻化は地震学の発展に伴うものであるが,学術的な発展と,それが建築の設計や法に反映されるまでには当然ながらタイムラグがある。さらに厄介なことに,地震学そのものがまだまだ未発達であり,大昔の河角マップから現在の「全国地震動予測地図」は進歩したようで,信頼性が増したのかどうかは不明である。精緻に細かく区分されるようになったが,そもそも信頼性が低ければ,無意味に細かくなっただけの可能性もある。無意味に細かい区分に意味があるように勘違いするのはむしろ危険である。社会的変化に伴う基準法改正は頻繁に行っている国交省が地域係数改定に慎重なのは拙速を恐れているだろうことは容易に想像できる。

 細野氏は,「全国地震動予測地図」を河角マップの劇的な到達点と絶賛するが,過大評価であろう。一部では酷評もされている。熊本より真っ赤っかな関東,東南海地域に大きな地震は起きていないのはなぜか。黄色の地域で震度7が発生しないとは誰も言っていない。

全国地震動予測地図」も信頼できないとなると,地域係数そのものを否定するという批判になる。「全国地震動予測地図」を絶賛する細野氏は面白いことに,記事の前半で次のようにその主旨の批判もしている。

詳しい情報が分からないのであれば、安全を期する意味で地域係数Zには「1.0」を確保するのが、リスクコントロールの原則である。

 いや,「詳しい情報が分からない」というのは河角マップのことで,「全国地震動予測地図」では,すべてがわかっているということかもしれない。私はそれは能天気だと思うが。

■耐震設計は確率的だが,一般人は確定的と考える

 ここで,地震過重や地域係数の設定は確率的考え方に基づいているという重要な点を強調したい。何故かというと,一般にはあまり理解されていないし,細野氏も理解していないと思われるからだ。例えば,次のような記述があることからも誤解が垣間見える。

地域係数Zが「0.8」であれば、建物は弱い震度6強地震にしか耐えないし、地域係数Zが「0.9」であれば、建物は震度6強地震にしか耐えない。

 そのとおりであるが,建築基準法はそれでよいという考え方なのである。設計用の地震力が小さければ耐えうる地震の揺れの大きさも小さいのは当たり前である。それでよいというのは,被害を与える地震の発生確率が小さければ,被害の期待値も小さくなるからである。耐えうる地震の大きさを同じにするのではなく,被害の期待値を同じにしているのである。

 地域係数1.0で最大の地震を考えているならば被害は生じないということはない。設計用地震力より大きな地震が発生する可能性はある。ただしその確率は小く,被害の期待値は,地域係数0.8の地域と同じなのである。この確率的考え方は感覚的に理解しにくいようで,起こりうる最大の地震の大きさが地域係数0.8では地域係数1.0の地域の0.8倍と確定的に考える人が多いようである。確定的な考え方ではどちらの地域でも被害は生じないから,分かりやすいし安心できる。しかし,実際は,被害が生じる可能性はあるし,その期待値は両方の地域で同じというだけなのである。(実際には,地域係数の低減は理論値よりも小さくするので,被害の期待値は地域係数1.0の地域が多分大きいはずである。)

 一般には,確率的考え方は評判が悪く,確定的考え方のほうが理解を得やすい。だが,残念なことに,確定的に被害を容認しない要求に応える唯一の方法は建築しないことなのである。これを「反建築運動」と言うが,使っているのは私一人である。

■(おまけ)震度について

 最後に気象庁の震度階と建築基準法の関係について蛇足説明する。これも建築専門家なら常識だが,一般に誤解されているかもしれない。

 細野氏は,「熊本県地震地域係数Zは震度7での倒壊を「容認」」などと述べているが,これは誤解を招く表現である。建築基準法施行令には「水平震度」という言葉はあるが,気象庁の震度階は出てこない。気象庁の震度階は現在では震度計による自動計測になっているが,新耐震設計法が作られたころには,建物の被害率を目安にした体感によるものであった。建物の構造計算をする際には明確な地震荷重が必要で,基準法に定められているが,気象庁震度階との関係はない。しかし,震度の方が一般にはなじみがあるので,一般向けの説明用に,おおよその目安として,震度5で被害を受けず,震度6でも倒壊せずに人命を損なわないなどと解説書などで説明していただけなのである。また,当時の震度7は建物の倒壊率などの被害から事後的に決められていた。阪神大震災の時も,速報値は震度6(6強は無かった)であった。当時の震度7は「家屋の30%以上が倒壊」と被害を前提にしていた。従って,新耐震の説明でも震度7とは言っていなかった。

 言うまでないが,震度7は最大の震度であり,震度6強以上の揺れはすべて含んでいる。小惑星が衝突した際の途方もない地震震度7である。従って,震度7での倒壊を容認しないことは不可能である。