マニュアル化した建築基準法体系

 twitter豊洲市場の地下部分の扱いについてやり取りがあった。公式には決着が付いた話題だと思うが,ご要望もあったので記事にしてみた。以前から感じていたことでもある。

■ 豊洲市場の構造計算への批判

 地盤に拘束されていない地中部分を地下として構造計算するのは納得できないというのは素朴な疑問であり,その気持ちは分からないでもない。やりたいなら,豊洲市場の建物を地上5階建てにモデル化して計算しても差し支えない。ただし,その場合に注意しなければならないことがある。基準法体系のAi分布は使えないのである。地震は動的な現象なので,地震荷重は建物の質量,剛性,減衰によって変わる。しかし,Ai分布は各層の質量配分でほぼ定まり,各層の剛性や減衰は考慮されていない略算法なのである。そのため,許容応力設計では,各層の剛性率>0.6という条件がある。一般的な建物ではこの前提が成り立つので普通は問題無く使える。

 しかし,豊洲市場の建物の地中部分は非常に固いため,この前提が成り立たない。地下も層に加えると,地上部分の剛性率は0.2程度にしかならない。従って,地震力は基本に立ち返って,応答計算で決める必要がある。日建設計が説明のために追加的に行ったモーダルアナリシスは応答計算の簡便法である。結果的に,地中部分を基礎とした地上4階建ての場合とほとんど変わらないことが確かめられた。

 しかし,わざわざそんな計算をしなくても,想像はつく。地中部分が殆ど変形しない剛体に近いなら,基礎底と1階床面の地震による動きは同じになり,4階建てモデルでも5階建てモデルでも同じ結果になるのは当たり前である。

■ 法にも不備はある

 ただ,剛性率>0.6を満足しないと絶対ダメかというと,そうではなく,2次設計を行い必要保有水平耐力を割り増しすればよいことになっている。しかし,この規定にはいろいろ議論がある。「割り増しということから分かるように,下層が柔らかいピロティ構造のような場合を想定した規定である。ところが,最下層が硬く,上層が柔らかい場合にも割り増ししなければならないという不合理が昔から指摘されている。

地震による 1 階の崩壊と剛性率・形状係数 

 リンク先の図2C)はまさに豊洲市場と同じである。最下層が剛体に近い場合,2階床は1階床と同じ動きをし,実質的に1階少ない階数となり,第2層の層剪断力係数は最下層の値でよいはずだ。しかし,第2層の値にさらに割り増しになるのである。1次設計の場合でも,図2c)の1階は地上であり地盤の拘束などなくても,層せん断力係数は0.2より小さくなるが,適用範囲を逸脱してAi分布を使えば過剰な設計になる。

  一般の建物でも,1階床は地盤面より高いので,「地下」ではない。1階床から地盤面までは地上であり,地盤拘束がないので「地下」ではないと判断し,最下層として加え,Ai分布を機械的に適用してしまえば本来の最下層である1階の層せん断力係数は0.2以上になってしまう。これは,適用範囲外にAi分布を適用したためであり,適正に剛性を評価して層剪断力係数を決めれば,こんなことにはならない。基礎部分にAi分布を適用することなど,法律は多分想定していないのだろう。

■ 地下部分の水平震度が0.1以下なのは,地盤拘束が主な理由ではない

 ここからは,私見になるが,地盤の拘束は,地下部分の水平震度が0.1と小さい主たる理由ではない。なぜなら,地盤の拘束が主たる理由ならば,1階以下の床重量に乗じる水平震度だけ0.1に低減しているのは理屈が通らないからだ。地上に働く地震力も地下に伝わり,地盤拘束で処理されるのだから,1階以下の水平震度ではなく,地下部分の層せん断力係数を低減すべきである。また,地盤拘束は土質によって大きく異なるし,液状化する地盤ではほとんど拘束できない。その場合でも0.1である。液状化で心配しなければならないのは浮き上がりである。

 もちろん,地盤拘束も地震力に影響するが,それは地下を動きにくくする,つまり剛性を高めることになるからだ。地盤拘束が無くても,十分固いのであれば,地震力は小さくなるのである。このことは加速度応答スぺクトルを見れば分かるし,応答計算で直接確かめることもできる。基準法の振動特性係数は長周期側の低減しかしていないが,生の加速度応答スペクトルでは短周期側も小さくなる。

加速度応答スペクトル

■ 建築基本法 

 ここで,適用範囲外にまでAi分布を使ってしまう背景について考えて見たい。

 「建築基本法」試案なるものがある。法律の専門家に言わせれば,建築基準法は法律としてはかなり特殊らしい。やたらと細かいことまで規定されていて,マニュアルのようになっているのだ。これを正して,法律では必要最小限の規制にとどめ,細部は民間基準に任せるべきだというのが「建築基本法」の考え方である。

 マニュアル化の弊害の分かり安いところでは,技術の進歩に法改正が追い付かないことがあるが,マニュアル技術者を生み出すというのが最も大きいだろう。随分昔に,「構造計算なんて,誰でもできるね」と言われたことがある。確かにその通りである。細かいことまで法律にやり方が書いてあるし,解説書も整備されていて,それらに従えば,理屈が分からなくても,ほぼ自動的に計算できるのだ。その究極が構造計算ソフトである。建物のデータを入力すれば計算機が勝手にやってくれる。しかし,計算ソフトがどのような計算をしているか知らないと,使ってよいか判断できないが,判断なしに使ってしまうことも多い。

■ 建築構造技術者もマニュアル的法律を求める

 なぜ,このようなことになっているかというと,それなりに理由はあるように思う。建築生産は民間主体で数が多い。しかも原則1品生産である。一つの設計をして,工場で大量生産というわけにはいかないのである。そのため,設計者も大量に必要で,とりあえず計算が出来る人材が要求される。

 この際,間違いなく計算したという判断は,法律に適合しているかによる。これは,考えて見れば奇妙である。例えば,正しい医療について法律に規定はない。医療訴訟における医師の過失は,その時の医学の知見に基づき判断される。医学の知見は相当に専門的な事柄であるし,時々刻々と進歩している。裁判では有識者の見解をもとに判断する。自治体のお役人が医者の治療の妥当性を審査できるとは思えないが,建築士は審査されている。建築士は自分で思っているほどの高度な専門家ではないのである。

 もちろん,建築士の職能は法適合の確保だけではない。構造以外の意匠分野ではデザイン性などいろいろある。ところが,建築構造の場合,親切にもほとんど法律に書いてあるのだ。建築主事は法適合を確認するのが仕事であり,その審査に通れば建築家の責任のかなりの部分を果たしたことになる。しかし,医療が法適合していれば事足れりということは多分ないであろう。法は最低限の規制であり,高度の専門家として医者には法適合以上のものが求められるが,建築構造技術者は法を守っていさえすればほぼ安泰である。

■ 適用範囲の逸脱 

 マニュアル的基準には適用範囲があるのであるが,逸脱しやすくもある。なぜなら,適用範囲外のやり方がわかないので,マニュアル的基準に頼るからである。適用範囲外のやり方も分かるぐらいなら,マニュアル的基準は必要無いのである。建築基本法はそれを目指しているのだと思う。法の要請を満たすために,どのような民間基準を使うのが妥当なのか,自ら判断できるだけの専門的能力を求めているのである。

 しかし,残念ながらそれは理想論に過ぎない。構造技術者の一部には法律に決定版の略算法を決めてもらいたい人がいる。それ以外のやり方を知らないので,適用範囲外にも使ってしまいがちだ。それ以外のやり方を知っている場合でも,法に定めがあるからという理由で適用範囲外の略算を優先してしまう。

 例えば,どのような地震に耐えられるべきかという基本的なことは,統一的に法で規制すべきかもしれない。しかし,その地震が建物にどのような作用をするかは,建物によって違い,その建物の構造設計者が振動性状を考慮して,確認すべきだろう。しかし,現実には,そんな面倒臭いことはやりたくないという要望に配慮して,静的かつ簡単に地震力を求める略算法が法律に定められている。その成果の一例がAi分布である。

 Ai分布は各階質量しか考慮しない略算法であり,剛性も考慮したモーダルアナリシスのほうが精算に近い。にもかかわらず,法に定めがあるというだけで,Ai分布を優先すべきだと考えてしまうのである。これは必ずしも悪いとは限らない。法の規定は一定の水準を保つという意味もあるから,精算より略算で統一したほうが良い場合もある。ただし,それも略算の適用範囲内のことである。

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