AIへの恐怖やら失望やら

 アルファ碁の勝利やらで,巷ではAIに人間が支配されるという心配をチラホラ見かけます。SFにはよく有る設定ですが,私には,AIが進歩しすぎる恐怖はありません。支配されたとしてもどうせ私が死んだ後ですから。どちらかと言えば,進歩が足りず,いろいろ間違いをしでかす出来の悪いAIへの恐怖が強いです。欠陥車への恐怖みたいなもので,こちらはもう現実になっているので切実です。本当に馬鹿なAIには苦労させられます。

 それに,人間より優れたAIなら支配されるのも悪くはないかもしれません。犬は人間に支配されていますが,それほど不幸には見えません。いや,犬は人間を利用しているという見方もありますので,物事の関係は支配とか被支配で割り切れるような単純ではないような気もします。

 ただ,残念なことにAIは人間を支配してくれそうにないという意見もあります。スマリヤンの「ゲーデル・パズル」の序に次の様に書いて有ります。実は,この本,数年前に読み始めたのですが,まだ読破していません。聡明な高校生が完全に理解出来るようにスマリヤンは執筆したそうですが,私は聡明な高校生にはとても及びませんでした。そんなことは,全国高等学校クイズ選手権を見た時から分かっていたことですが。なので,意味もろくに分かっちゃいないのですが,何となくしゃれた言い回しなんで,引用します。

実際には,どの数学的な言明が真で,どの数学的な言明が偽かを決定する純粋に機械的な方法は存在しないことが分かる。どのような計算機もすべての数学的な問を解決することはできないのだ。つまり,思考と創意工夫は,今も,そしてこれからもずっと必要であるようだ。数学者ポール・ローゼンブルームの気の利いた言葉を借りれば,「人間は自分自身の知性を必要とする状況を根絶させることはできない。たとえ,叡智の限りを尽くしたとしても」ということだ。