パイロットと運転手

 飛行機のパイロットとバスやトラックの運転手に対する社会的評価には随分差があるように思います。それはお前の偏見に過ぎないと言われそうですが,給料という客観的指標からみると否定は難しいでしょう。

 この差を生む原因は,自家用飛行機がまだ普及していないため,という仮説を思いつきました。まさに思いつきに過ぎませんけどね。自家用車は普及していて,自分で運転できる人が沢山います。自分で運転できると,職業運転手も同じようなものだという勘違いをするのではないでしょうか。草野球しか出来ないおじさんが,酒屋談義でプロ選手を評論するようなものです。

 私は2種免許は持っていませんし,取れる自信もありません。にもかかわらず,他のだれかなら,バスの運転ぐらい,ちょっと練習すればできるような錯覚にしばしば陥ります。確かに,バスを動かすだけなら出来るかもしれません。子どもの頃,親が建材屋をしている遊び友達がいて,敷地が広いので,トラックを動かしている奴がいたぐらいですから。ただし,多くのお客さんを載せる場合はそれ以外のさまざま知識が必要ですが,そういうことは頭から抜け落ちてしまいます。

 専門的な職業には,素人には分からない必須の条件がいろいろあります。そういうことは自分には出来そうにもない職業だと認識できます。例えばお医者さんはいろいろ大変なことがあるだろうなと想像できます。ところが中途半端に知っていると,全部わかっているように錯覚しがちです。

 以上は,私の個人的な錯覚ですが,社会も錯覚しているのかもしれません。トラックやバスの運転は2種免許を持っていれば誰でもできると,雇用者が思い込み,前述した必須の知識の教育をしないと恐ろしいことになりそうです。いや,すでになっているのかな。

 私は1級建築士の資格を持っていますが,長いこと設計から離れていますので,設計の仕事は恐ろしくて出来ません。ところが,私のような資格を遊ばしている人間が名義を貸すという違法行為があります。これは名義を借りる方が,建築の設計なんぞは誰でもできるという認識だからです。数年前に罰則を重くする法改正が行われたのは,建築設計の社会的認識に錯覚があったということだと思います。

 建築士の場合は,その錯覚は,業界の一部の社会のことで,一般社会にまでは広がっていなかったと思います。間取り図ぐらいならだれでも描けますが,それだけでは家は建たないことは分かりますからね。一方,バスやトラックの運転手の場合,どうなんでしょう。建築現場では,様々な関係者が関わるので,間取り図だけでもフォローしてくれる人がいれば家は建ちます。しかし,運転の現場ではほぼ運転手一人なのですね。