建築積算問題

■発注者の積算が正しいと何故いえる

 新国立競技場でなくとも,建築の概算は外れる。概算時点では,まだ大雑把なスケッチ程度しかないからだ。一般的な建築ならまだしも,前例のない建築はさらに難しい。特注品なら建築以外の製品だって正確な概算は難しいはずだ。建築はほぼ特注品である。それでも,実施設計を終え積算すれば正確な工事費は得られる。ただ,その積算に基づく予定価格でさえも、入札すれば、建設業者の応札額は予定価格を上回ったり,半分以下の低入札になったりする。それは,談合による価格つり上げやダンピングという応札者側の問題と発注者は考える。しかし,実際に建設する建設業者の価格がおかしくて,建設しない発注者の積算が正しいという根拠はあるのだろうか。

■なぜ,買い手が積算をするのか

 例えば,自動車メーカーは原価を算出し,利益を乗せて価格を決めるが,買い手のユーザーはそのような計算はしない。いくらまでなら支払ってよいかという評価や実際に支払い可能な予算があるだけである。そもそも,一般ユーザーに自動車の原価計算は出来ない。それでも,評価があれば,ディーラーの言い値にはならずに,根切り交渉は出来るのである。

 ところ変わって,官庁の建築調達の積算は,原価計算に相当するものである。買い手である官庁が原価をなぜ計算するのか考えて見れば不思議なことである。建設会社でもないのに原価計算がなぜできるのだろうか。専門家の設計事務所に設計と積算を委託すれば可能と思う人が多いかもしれないが,設計事務所も建築を作ることは出来ないのだ。建設して買い手の官庁に売り渡すのは建設会社なのである。設計事務所は立場的には,買い手側になる。

■積算には歴史的経緯がある

 予定価格は会計法の規定で作成することになっている。建築工事だけでなく,鉛筆の購入でも必要である。それは,予算内に納まっていることを確認するためである。鉛筆や官用車のような物品購入では見積もりをとって予定価格を設定する程度であり,原価計算などしない。ところが,建築工事は原価計算するのである。その理由は,おそらく歴史的経緯にある。

 歴史的には,土木工事や,寺社や城郭のような大規模建築の建設工事は大名や政府が直営で実施していた。それなりの経済力がなければできなかったからだ。その後,民間経済が発展し、請け負う民間事業者が現れるようになったのである。土木工事では今でも建設機械を国が保有している。自ら建設行為を行っていたのであるから,原価計算も出来たのである。そのための積算基準も作っている。建築の場合は,お抱えの大工が設計も工事も行っていたので,やはり原価計算はできた。明治以降の洋風建築も最初は官主導であった。

■積算基準と実態の乖離

 直営から民間業者の請負に変わっても,官庁は技術的優位をしばらくは保っており,適正な工事費を算出し,請負者を査定や審査しているような感覚だったのではないだろうか。売り手と買い手の対等な立場での価格交渉ではなかったのだ。その雰囲気は現在でも残っていて,建設業者を「審査する」といまでも言う。また,建設工事の技術は十年一日のところがあり,官庁が自分で実施しなくなっても昔の遺産で積算可能であった。

 とはいえ,徐々にではあるが建設技術も進歩する。昔ながらの一般的な建築の積算なら可能でも,最新工法による建築の積算は官庁には困難になって来ている。新国立競技場は当然ながら一般的な建築ではない。技術的に劣位になった官庁に特殊な建設費の正確な積算は困難である。

設計事務所と積算事務所

 設計事務所も似たようなものである。建築積算は,いわゆる設計を行う建築家とは別の専門部門が行う。積算事務所として独立している場合も多い。それほど専門特殊化しているのであるが,それは官庁積算基準への特殊化であって,建設会社の原価への特殊化ではないのだ。官庁の積算基準は,多少なりとも建築の知識が無ければ理解できない。そのため,積算基準に従った積算業務を外注する。受託した設計事務所(積算事務所)に求められているのは,建設会社の原価計算ではなく,積算基準に従った積算なのである。発注者は積算基準に従わなければならないからだ。しかし,前述のとおり,積算基準が建設業者の原価を正しく反映しているか怪しいのである。そもそも,特殊な建築は積算基準の適用範囲外で使えない。その場合は,積算事務所も建設会社から見積もりをとるしかないのである。

■売る立場と買う立場

 見積もりは,売る立場の建設会社の原価に基づく価格である。この見積もりをそのまま予定価格にして,入札を行えば契約は成立する。しかし,これは言い値を受け入れることであり、買い手の発注者としては下手な取引である。現実には,見積もりを査定した予定価格を設定して入札を行う。もし,見積もりが採算ラインギリギリならば,査定された予定価格の入札は不調に終わるはずである。しかし,建設業者は見積額より低めの札をいれる。言い方を変えれば、余裕を見た見積もりをだす。これは一体何をしているかというと,かなり儀式的な「値引き交渉」なのである。

 ところで,買い手が欲しいのは,建築空間の機能であって,コンクリートや鉄という材料ではない。本来なら、車の価値評価をするように、機能の価値に見合う上限額としての価値評価が有るはずだ。通常はそれが予算である。一方で,見積もりの原価は,コンクリートや鉄という材料費や労務費からなる売り手側の実費である。買い手の価値評価>売り手の原価,となって初めて契約成立である。この中間のどこで折り合いをつけるかが通常の値引き交渉である。ところが,官庁は価値評価ではなく,売り手の原価を元に予定価格を設定するのである。これは,買い手の価値評価>売り手の原価,である限り,下限に張り付いた厳しい値引き要求である。

■空間の価値を決めるのは建設会社でも建築家でもなく建て主である

 しかし,稀に,買い手の価値評価<売り手の原価,となる場合がある。この場合は契約は成立しない。私は,1億円もする豪邸は買うお金が有っても,買おうとは思わない。なぜなら,豪邸に住む必要がなく1億円の価値を感じないからである。他のことに使った方が良いと考える。しかし,豪邸の価格は決して不当なものではない。実際の原価からすればその価格になるのである。不必要に過剰な品質になっているから,高くなっているだけで,原価を水増ししてぼったくろうとしているわけではない。

 このようなことは,一般的な売買では説明するまでもない当たり前のことである。ところが,公共的建築の調達では忘れられがちである。発注者は買い手の立場を忘れて,売り手の原価である積算に腐心し,それだけ必要なら仕方ないと,1億円の豪邸を買いかねないのだ。買い手の価値評価<売り手の原価,であっても,売り手の原価をもとに予定価格にしかねない。なぜかとという,価値評価をしないからだ。

 新国立競技場ではまさにそうなりかけたが,ギリギリでストップが掛かった。この価値評価は,建設会社や建築家が行うものではなく,建て主しかできない。建物の価値は使う人によって違うからだ。私にとっては1億円の価値はなくても,他のお金持ちならあるかも知れない。新国立競技場の場合,建て主はJSCである。しかし,お金は別のところからでる。これが問題なのである。自分で収入を得ている私は一億円の豪邸を買わない分別を持てるが,私の子どもはお金の心配をせずに,プール付きの豪邸に住みたいと無邪気に要求しかねない。JSCは私の子どものような立場に近い。基本的に,官庁やその類似組織はお金を集めるところと使うところが別になっていて,こういう問題が起きやすい。

■役人心理

 また,役人はこの種の価値評価を嫌う。価値評価を客観的に行うことは難しく恣意的と国民が批判するからだ。新国立競技場にいくらまで支払うかは簡単には決められない。森組織委員長は数千億円以上の価値があると考えているが,世論の大勢はそんな価値は認めない。どのように決めても,誰かが必ず文句をいうのである。その批判を避ける為,役人は機械的に判断できる基準や規定を作りその通りに行うようになる。いわゆる杓子定規なお役人となるのだ。規定通りに行うのは面倒だが,恣意的と批判されるよりマシなのである。積算基準もそのような規定の一つである。また,前例というのも良く利用される。積算基準が適用出来ない場合は見積もりになるがその査定率は概ね前例で定まっている。一般的な建築ではそのやり方で上手くいくし,空間の価値などという小難しいことは考えないで済む。規定の計算を一心不乱に行っていればよい。

 だが,新国立競技場のような前例もない特殊な建築は原価が途方もなく高額になる可能性があり,建築空間の価値を超える可能性がある。その監視が必要だが,建築家には出来ない。建築の素人である建築の利用者が行うしかない。マイカーへの支払額を決めるのは、ユーザーであって、自動車メーカーでも、自動車工学の専門家でもない。ただ,通常は予算というものがある。予算が空間の価値評価に相当し,それを超える支出は許されない。しかし、オリンピックの場合,時間がなく,予算は走りながら要求している。

■審査から交渉へ

 積算は実施設計が終わっていないと出来ない。官庁の建築発注では設計,施工分離が原則であった。設計業務を発注し,それに基づいて積算,予定価格を作成して,工事を発注するという手順である。しかし,設計時点から施工業者のノウハウが必要な新国立競技場のような建築では分離方式から,設計施工一括発注ということも行われるようになって来た。一括発注の予定価格は設計が出来ていないので従来の積算では算出できない。ではどうするかというと,モデルを想定して従来のような積算を行うのである。しかし,このモデルはあくまで想定である。実際とは違うモデルの積算を精緻に行ってもあまり意味は無い。大雑把で十分であるが,大雑把である替わりに上限とする価値評価をしっかり行うことが必要だ。

 現実的には,価値評価は予算要求時点で行っているはずなので,予算を上回らなければよい。予算の上限だけでは,不当な利益を建設業者が得るのではないかと気にする人もいるが,その心配をする必要があるのは談合が行われ,かつ予定価格が漏洩した場合だけだ。その場合,応札額はそれに張り付いてしまう。しかし,競争性が確保されていれば,予定価格の多少の増減は気にする必要は無い。応札者は予定価格と争うのではなく,競争相手と争わなければならないからだ。

 また,設計施工一括発注の他に,複数の社と順次価格交渉を行うネゴシエーション方式というのもある。これも,複数の社に競争関係があれば価格は下がる。自動車の値引き交渉で,複数のディーラーから見積もりを採って競争させるような方式である。