定価かネゴか

 前記事では,「調達機関は単なる買い手に過ぎない」と書いた。だが,国交省は異論を唱えるかもしれない。腐っても鯛,以前は建設省と称してくらいだ。建設業には精通しており,工事費の積算程度は朝飯前と考えていても不思議ではない。未成熟な建設業界にはまだ官庁の指導を求める声もあるようであるから,その点は尊重してもよい。とはいえ,地方自治体までもがそれに付き合わされるのは辛いのではないか。東京都ぐらいの自治体ならまだしも,地方の市町村の事務系職員に,専門的な積算は厳しい。現実には積算は外注である。しかし,機密保持のため,値入れは外注できない。とにかく手間が掛かるのである。このようなやり方は定価を定めていると言える。通常,定価は売り手が定めるものであるが,官庁の建設工事では買い手が定めるのである。

 手間のかかる「定価」であるが,それで契約するわけではない。「定価」は予定価格という上限になるだけで,実際の契約は入札で決定される。その振れ幅は非常に大きい。「定価」算定の段階では,千円,百円という単位で気を遣って計算するが,入札では数十%の差がでる。1億円の工事なら,数千万円の違いである。別に建設業者がどんぶり勘定でいい加減というわけではない。電器製品や食品だって定価販売は少ない。メーカーが定価販売を指定すれば独禁法違反を疑われるくらいである。それはともかく,積算担当者は,徒労感に襲われないか心配である。

 しかし,別のやり方もある。極めて特殊な工事ではさすがの国交省でも「定価」が分からない。その場合は,施工業者とネゴシエーションを行う。ネゴは数社と行わなければならない。競争性を確保するためである。今話題になっている国立競技場のように,契約して1社に決定した後に,価格のネゴを行えば足下を見られるのは当然である。1社ずつ数社と行うネゴは,一斉に行う入札よりも時間が掛かり面倒な面もある。官庁の工事発注部門では,かなり特殊な方式と認識されている。しかし,工事以外,あるいは民間へ目を転じて見れば,ネゴは極普通の一般的な方式である。

 車の値引き交渉はまさにネゴ方式である。時間はかかるが,買い手は積算などする必要はない。大雑把に予算の上限を定めて置けばよい。官庁でも,公用車や鉛筆などを購入する場合はこの方式が多いはずである。予算の上限はあるが,車や鉛筆の定価を官庁が決める事はあり得ない。建設工事も同じように出来ない筈はないと私は思うが,現実はそう簡単には変わらない。

 変わらないのは,いろいろ事情があるからだが,その一つに,ネゴのような非定形の仕事を嫌う公務員の心理がある。「定価」を計算するのは非常に面倒ではあるが,計算方法については基準が定められており,資料もある。完全とは言えないまでもマニュアル通りに行えば数字は出てくるようになっている。それに対して,ネゴのマニュアルは大雑把にしか作れない。どうしても,担当者の判断の要素が大きくなる。そのような判断を公務員は避けたがり,判断不要のマニュアルへの要望が非常に強いのである。これは公務員がマニュアル人間だからではない。判断は恣意的という批判を受けやすいのだ。その批判は公務員以外の国民が行う。役人が型どおりの行動しかせず,融通の利かない石頭なのは,国民の批判の反映である。なかなか難しい問題である。