専門家と一般人のコミュニケーション

■専門家会議提言を無視したのか

 豊洲市場盛土騒動について,技術的な問題から、手続き的な問題という批判にシフトしている。専門家会議の盛土を行うという提言を報告を行うことなく、勝手に変更したという指摘である。当の専門家会議委員(産業技術大学院大学 川田誠一学長)も方針変更に驚きと憤りを覚えるとコメントしている。では、どのような提言が行われたのか要点をまとめた資料がある。東京都中央卸売市場の「豊洲新市場予定地の土壌汚染対策工事に関する技術会議」の資料である。「専門家会議」には、オリジナルの資料がある。

豊洲市場に関する会議資料
http://www.shijou.metro.tokyo.jp/toyosu/siryou/
Ⅲ 専門家会議の土壌汚染対策

http://www.shijou.metro.tokyo.jp/toyosu/pdf/pdf/gijutsu/siryo/1-5.pdf

・土壌汚染対策
 建物建設地
  土壌
   A.P.+2.0mより上部
    ①工場操業時の地盤面(A.P.+4.0m)から 2m(A.P.+2.0m)までの土壌を掘削し、
     入れ換え。
    ②さらに上部に 2.5mの盛土。
   A.P.+2.0mより下部
    ①操業由来により処理基準を超過した土壌を処理基準以下に処理。
 
  地下水
   ①地下水中のベンゼン、シアン化合物の濃度が地下水環境基準に適合することを
    目指した地下水浄化を建物建設前に行う。
   ②地下水管理を行い、地下水位の上昇を防止。

・地下水管理の方法と内容
  遮水壁の設置
    遮水壁を各街区外周及び各街区内の建物建設部の周囲に不透水層の
    深さまで設置し、地下水の可動範囲を限定する。

  砕石層の設置
    地下水面より上に砕石層を設置し、毛細管現象による地下水の上昇を防止する。

  舗装等による被覆
    コンクリート床もしくはアスファルト舗装で被覆し、雨水の浸透に伴う
    地下水位の上昇を防止する。


  観測井の設置
    観測井の設置により地下水位・水質を継続的に監視し、雨水の浸透に伴う
    地下水位の上昇が確認された場合、地下水を揚水し、処理施設での処理後、
    公共下水道に放流する。

 確かに、文字通り読めば、盛土厚について、実際の工事は提言を無視していることになる。しかし、概念図をよく見て欲しい。盛土厚は2.5mはないのである。アスファルト舗装や建物下のコンクリートの分だけ薄くなっている。専門家会議自身が自分の提言を無視しているようにみえるが、建築の世界なら常識であり、盛土に根入れしない建物などありえない。つまり、盛土で重要なのは高さであって、厚さではない。ついでに言えば、建物基礎の地盤への根入れがアスファルト舗装と同じ数十センチなどということはありえず、1〜2mは必要である。提言が盛土厚さを求めているのだとしたら、さらに地盤高さを1〜2mあげないと守ることは不可能なのである。

常識的に解釈すれば、2.5mの盛土とは、アスファルト舗装や建物の地下部分も含む寸法だろう。土壌汚染対策としても、盛土厚さが必要なのではなく、地盤面の高さの確保が目的であろう。そのことは、汚染された地下水を上昇させない対策が多いことからもうかがえる。砕石層は毛細管現象による地下水の上昇防止のためであるし、アスファルト舗装や建物下のコンクリートも雨水の地表からの浸透で地下水位が上昇することを防ぐためと説明している。地下水位を継続的に監視し、万が一上昇した場合は井戸から揚水するとしている。

 以上のように、微小な空隙だらけの盛土(透水性の良い砂質土が用いられる)は地下水の通り道になるので、むしろない方がよいのである。とはいえ、汚染されているかもしれない帯水層からある程度高い位置を地盤面にする必要がある。そのためには盛土はもっとも安い経済的な方法というだけである。それを遮水性のあるコンクリートやアスファルトに置き換えるのは、概念図が認めているのである。地下ピットのような空間は地下水の上昇を完全に防げるのでさらに良いはずだと私は思う。

 ただし、汚染土対策の極めて専門的なことは私にはわからない。例えば、ベンゼンが揮発して建物室内に蓄積するのを防止する役目が盛土にあるのかもしれない。しかし、水が浸透する盛土よりも、コンクリート床の方が気密性があるだろうし、1階床は十分な厚さのコンクリートなのである。また揮発防止機能について資料には一切説明がない。もし、そのような目的があるなら提言に明記しておくべきである。


 以上は技術的な説明である。そして、東京都の担当者は、専門家会議の提言を無視していることになるとは、まったく想像すらしなかったのではないかと私は思う。つまり、勝手に変更したとは思っていないので、説明もしていないのだ。私がその立場でも説明はしないだろう。しかし、一般の人は提言を文字通り受け取る(概念図がすでに文字通りになっていないのであるが)であろうから、提言無視と感じることは十分あり得るし、実際に誰かが感じて、通報して今回の騒動になったのだろう。専門家と一般人では、このような認識の差があるのが普通なので、一般人から疑問を呈されたら、その都度、技術的な内容を分かり安く説明しなければならない。その結果、一般人が納得したり、あるいは専門家の盲点が正されれば結構なことである。コミュニケーションは大事である。

 注意すべきは、専門家会議に報告すべき事項かどうかも専門家と一般人では認識の違いがあるということだ。従って、「技術的に問題がないかもしれないが、それよりも報告しなかったという手続き上の問題がある」と言われると、非常に対処が難しくなる。考えられる対処方法は、些細なことも全部報告するくらいしかない。例えば、概念図の建物の屋根は勾配屋根になっているが、平坦な陸屋根に実際の設計をする場合も報告するのである。そんな必要が無いことは常識でわかるというなら、盛土が地下ピットになったのも常識的に報告不要と私は考えるのである。

 設計図と実際の施工でも軽微な変更は無数にあり、ましてや、基本的な提言からのディテールの変更は計り知れない。なんでも報告は大変な手間になり、事業進行は滞るであろう。場合によっては完成しないかもしれない。全く非生産的なやり方であるが、大抵の問題案件はこのようになってとん挫するのである。個人的にもこの種の問題には悩まされてきた。新聞記事になるような案件は、くだらないことも、気を使って説明しなければならないし、そのために膨大な労力と時間を消費する。その結果、事業が中断したり、完成が大幅に遅れてしまう。

 このようななんでも説明しなければならない事態は、すでに、専門家と一般人の信頼が失われていて、コミュニケーション不能になっている。どんなに説明しても、信用されていないので納得してもらえない。技術的な説明をしても、手続きの問題だと言われるのでお手上げである。手続きを尽くそうとすると、些細な変更もすべて事前説明が必要になり、事業は滞る。このような事態は、すでに事業そのものに反対されているのであり、話し合いが成立しない。最初から分かっていた結論に行きついてしまったが、信頼していない相手には煩雑な手続きと細かい説明を求める行為は、社会のいろんな場面で見られる。次に、その具体例を見ていく。

■信頼されない専門家

 役所に書類を提出すると、窓口の担当者が住所の記載を「・・・○○町1−2」から「・・・○○町1丁目2番地」に修正することがある。これは、一字一句、住民票通りに書かなければいけないからだ。どちらでも意味は通じ、間違える可能性はないからいいではないか、と言いたくなるが、電算処理する場合には、「馬鹿な」コンピューターが間違えるのである。実はコンピューターが使われる以前から、役所はこんな風であった。役人はコンピューターみたいに石頭だが、そうさせているのは、周囲の一般人である。役人は信用されていないので、判断の余地を与えてはいけない、何事も規定どおり、文字通りに行動させなければならない、と疑われていて、役人はそれに応えているだけである。

 言い方を変えれば役人はマニュアル人間でなければならないということだ。マニュアル人間は不正することができないので、役人以外は安心するのである。これが「技術的に問題無いからと言って、勝手に当初の説明と違うことをしてはいけない」と批判される背景である。このやり方が効果を発揮する場合もあるが、程度問題であり、馬鹿げたことになる場合も多い。また、内容をよく知っている専門家は文字通りではない解釈をするが、内容を知らない素人の一般人は、マニュアル的行動を求める。役人同様に専門家にも騙されないか疑心暗鬼なのである。

 マニュアル的行動が求められるのは下流の仕事になるほど増えてくる。建築関係の仕事なら、企画、予算化、基本計画、基本設計、実施設計、積算、工事発注、監督、検査、引き渡しの順にマニュアル的になってくる。企画段階では、かなり自由に構想できるが、監督、検査になるとほとんど設計図通りになっていることの確認の仕事になって、あまり勝手な判断をしてはいけない。それでも、建築をよく知っている監督ならば、ある程度の判断を行う。例えば、鉄筋コンクリートの配筋は設計図書に、200mm間隔で配筋する記載されていれば、慣れた監督は1mの間に5本以上あることを確認して済ませる。等間隔であることは目視しかしない。しかし、素人の一般人はそれでよいのかと心配になるであろう。195mm間隔は良いにしても、205mmはNGではないだろうかと。そして、仮に素人が監督すれば、195mmも205mmも不合格とするだろう。図面通りに判断するしかないからだ。実際に、そういう場面を経験したことが私にはある。原子力関係の施設の検査を私ともう一人で行った。私は建築畑だが、もう一人は別の分野の専門家であった。鉄筋の配筋精度は数mmであるという感覚で検査していたら、もう一人の検査官から図面通りになっていなければ不合格ではないかと言われたのである。実は建築専門の監督や検査官でも官庁関係には図面通りでないといけないという人は結構いるのだ。

 こういう問題は、誤差を規定すればよいではないかという意見もあるだろう。部位によっては規定があるものもある。しかし、誤差を規定すればしたで誤差の範囲から0.1mmでも超えたらだめなのかという細かいことを気にする人が出てくるのである。まあ、それは駄目というしかないが、それ以外にも、測定時の気温や、凸凹した鉄筋のどこからどこまで図るのかという細部に入り込んでしまう。その徹底的な例が法令の条文である。法令は紛れが無いように例外も含めて徹底的に記述するようになっている。その結果、ほとんど解読不可能な暗号みたいになっている。これは皮肉な現象といえる。事細かに規定するのは、素人でもまぎれなく、判定できるようにするためである。ところが、その結果は法律の専門家でなければ解読できないほど難解になってしまっているのだ。

 法令の解釈に関する争いは時間をかけて法廷で行えばよいが、建築生産の実務がそれでは困るのである。細かいことは規定せず、専門家の常識に任せることで、迅速に仕事を行える。これは信頼があるから出来るのである。もし、裁判を行うように建築実務を行えば、工期内に完成することはほぼ不可能になるであろう。オリンピックが終わってから施設が完成という無意味な事態になりかねない。豊洲市場はそれに近い状況のようだ。

 マンションの広告の完成予想図には、「イメージ図であり、実際とは異なる場合があります」という注意書きがある。これは、実際に、予想図と違うというクレームがあったからだろう。専門家が軽微な変更と思っても、素人のお客にとってはそうではない場合がある。そのギャップを埋めるには、双方向からのコミュニケーションが必要である。お客が変更を疑問に思えば、質問すればよく、専門家はそれに答えればよい。しかし、信用されていなければ答えても無駄である。了解んなしに変更したこと自体が悪いと言われる。そして、ありとあらゆる変更を事前説明しなければならなくなる。お客の方もいくら説明されても、信頼してない専門家に仕事を頼む気になならないだろう。つまるところ、自分で行うしかなくなる。素人にマンション建設は無理だが、農産物分野では現実に起こっている現象である。

■本当に知らなかったのか

 築地市場の業界団体関係者や、都議会議員、専門家会議の委員等が、「説明がなく知らなかった。驚きと憤りを覚える」というようなコメントをしている。しかし、本当に知らなかったのか大いに疑問である。当事者なのに、図面も見た事が無く、工事中の視察もしなかったということだろうか。だとしたら、随分いい加減なものである。上述した「豊洲新市場予定地の土壌汚染対策工事に関する技術会議」では、地下利用の議論も行われ、説明図もあるのにである。知っていたけど、別に問題とは考えなかったというのが、自然に思える。別に、都の担当者だけが問題無いと考えたのではないのではないか。