工事予定価格は公共料金ではない

(前回の続き)

 「予定価格は工事実施可能な正しい金額である。」

 このように,国の工事発注部門や会計検査院は考えている。実際に工事の施工を行う受注者の見積もりよりも正確なものであるという認識なのだ。積算ミスで間違えることはあっても,正しい額に修正すれば,それで実施可能であるし,実施しなければならないと考えている。だからこそ,積算ミスした場合,修正した「正しい」予定価格に減額してくれと受注者に要求するのである。しかし,そうであれば,入札不調などという事態は応札者の怠慢ということになる。発注者の正しい予定価格で実施できない筈がない,となってしまう。もちろん,そんなことはなく,発注者が実勢の価格を知らないだけである。車の価格はお客よりもディーラーが良く知っているものである。

 車の購入契約した後で,お客が次の様に要求することはあり得ない。

「予算の計算を間違ってカーナビの値段も入れてしまっていた。契約ではカーナビは付けていないので,その分安くしてくれ。」

 ディーラーはカーナビ無しで正しく計算しているし,お客もカーナビ付きを注文したつもりではなく,カーナビ無しで契約金額を支払うつもりだったのである。単にお客が予算の計算を間違えただけの話である。お客の予算とは,実際にその金額で車が製造出来るという積算ではなくて,その価格までなら支払ってもよいという価値判断なのである。

 ここで,仮想的な状況を想定してみよう。それは,お客が正しい車の原価を計算でき,それに適正な利益を載せたものがディーラにとっても正しい価格であるという状況である。その価格以上をディーラーが求めるのは不公正ということになる。この状況では,お客が高く計算間違いしてしまったとしたら,ディーラーは過剰な利益を得たのだから返してくれという要求できることになる。もちろん,そんな状況は非現実的である。第一に,お客が正しい原価を計算出来る筈がない。第二に,お客は適正な利益などというディーラーの経営判断に干渉はできない。第三に,これが最も重要だが,その車にいくらまで支払ってよいかという価値判断がお客に無いことである。

 通常,三番目の価値判断の無い買い物はあり得ない。5000万円のロールスロイスを買うべきか考えて見ればよい。ディーラーの立場から言えば,5000万円は原価に適正な利益を載せた正しい価格である。だからといって,私の年収では買おうとは思わない。買い手の関心は、商品が自分にとってどれだけの価値があるかであり,商品を作るのに必要な原価ではない。売買は売り手と買い手の思惑で決まるもので,原価は売り手の思惑に係わるが,買い手の思惑には無関係である。買い手の思惑は商品が自分にとってどれだけの価値があるかである。

 以上は市場での価格の決まり方だが,公共料金は異なる。公共的な見地から提供が必要な基本的なサービスは,国が原価から適正な価格を決める。そうすることで,サービス提供者の経営が破綻することなく、安定して提供できるようにする。もし,その価格が消費者の国民にとって高すぎる場合は国が補助する。昔の米価がその例である。この種のサービスは原価が高くても,提供しなければならない必需品であるため,国が買い手でも売り手でもない第三者の立場で干渉するのである。

 国の予定価格も市場による価格決定に係わる発注者の価値判断であり,公共料金ではない。なぜなら入札をしているからである。複数の業者に競争させて価格を決めるというのは市場に他ならない。発注者の予定価格には発注者の思惑を反映させればよく,原価という業者の事情は考慮する必要は無い。入札という仕組みで両者の摺り合わせが行われるのである。従って,予定価格は相場などから大雑把に総価を決めておけば十分で,詳細な内訳に基づく原価の積算は労力の無駄である。そもそも,発注者が正確な原価計算するのは無理である。

 だが,発注者や会計検査院は工事予定価格を公共料金的に認識している。それは,大昔の公共工事は官庁直営であり,最も優秀な施工業者は官庁だったという歴史的経緯を引き摺っているためである。また,官庁はお客という立場の調達業務以外に業界振興という業行政も行っているという事情もある。官庁が業界を指導していくという立場であり,原価に基づく工事価格も官庁が正しいものを公共料金的に示す必要があるという認識なのである。しかし,官庁が優秀な施工業者であったのは最早過去の話であり,業行政と調達業務は明確に分離すべきである。

 もし,工事価格も公共料金だとすれば,それが唯一の正しい価格であり,それよりも高くても安くてもダメである。安ければ,業者の経営を圧迫し,必須の公共サービスの提供が危うくなる。高ければ,国が業者に対して過剰な利益の便宜を図っていることになる。入札で予定価格より安く契約するなどは,公共料金ならあってはならないことである。

 公共料金によるサービスは市場では提供出来ない性格があるものに限られる。市場で調達可能なものは市場で調達すべきである。市場で重要な要素は競争性であって,それが確保されていれば、適正な価格に落ち着く筈である。官庁といえども,調達機関は単なる買い手に過ぎない。