1票の格差と属性による差別

 若年層と高齢層の投票率の差を「是正」するために,1票に格差を付けるという驚くべき考え方は,何となく差別のアファーマティブアクションを連想させます。若年層にも高齢層にも平等に与えられている票に格差を付けて投票率の埋め合わせをするというもので,江戸の敵を長崎で討つようなやり方です。

 例えれば、学力格差があった場合に試験の評価を低学力者に甘くして、学力格差を「是正」しようというような発想といえます。この場、元々平等であった試験評価制度に、逆に格差をつけることで、学力の格差が「是正」されたと見せかけます。選挙の場合は、選挙制度に格差をつけることで、投票率の差による選挙結果への影響が是正されたように見せかけるわけです。もちろん,元の学力や投票率の差は是正されておらず,差が生み出す結果だけ帳尻を合わせる方法ですから,結果が重大かつ緊急な対応が必要な場合のみに行われる応急的,過渡的措置です。差別問題では有り得ても,試験採点では論外です。

 この種の応急的措置がやむを得ない場合もありますが,選挙の投票率の世代間差は人種差別や論外の学力格差にもない不都合が有ります。人種差別では差別されている人種が明確で,対策として優遇すべき対象も明確です。それに対して,選挙では投票しない有権者の意見が不明なので,どのような意見を優遇してよいか分かりません。なにしろ投票しないのですから分かりません。分からないにも係わらず乱暴にも,投票しない有権者の意見を投票する同じ世代の意見と同じとみなすわけです。これは,投票しない若年層の意見ではなく,投票する若年層の意見を優遇していることになります。

 大げさに考えると,この発想は個人ではなく属する集団という属性で判断する差別と言えます。血液型で性格を判断するように,世代で政治的意見を判断するわけです。ただ,血液型は調査でも性格との関連は認められませんが,政治的意見と世代には何らかの相関があるかもしれません。しかし,それはあくまで統計的なもので,個人の意見を判断されては堪りません。

 公式には,選挙の1票は個人の意見を表すもので,個人が属する集団の意見を代表するものではないことになっています。現実には集団の影響が皆無とは言えませんが,それが発覚すると選挙違反で摘発されます。政治が老害にむしばまれているかどうか分かりませんが,仮にそうだとしても1票に格差を付けるなどという発想は危険です。民主主義の衆愚政治化を嘆き,「正しい指導者」による独裁政治を待望する気分に近いものがあるような気がします。