「ポピュリズムとは何か」

「ポピュリズムとは何か」

 「ポピュリズムとは何か」(翻訳)を読みました。著者のヤン=ヴェルナー・ミュラーは,ポピュリズムを次のように説明しています。ポピュリズムとは,想像上の純粋で完全に統一された道徳的な人民と,腐敗し道徳的に劣っているエリートを対置するように政治世界を認識する方法であると。また,エリート批判はポピュリスト以外も行うが,自分たちだけが人民の代表だと主張する反多元主義がポピュリストの特徴であると。ミュラーは様々な政治家を観察し研究してこのような見解に至ったようですが,では,わが国の小池知事はポピュリストでしょうか。

 小池知事は,都民ファーストを標榜し,都民の代表として,腐敗した都議会に戦いを挑んでいると主張しているようで,妙にミュラーのポピュリストの特徴に合致します。しかし,反多元主義なのかはまだ定かではありません。

 では,ポピュリストはどのようにして人民の意志を代表していると主張するのでしょうか。思いつくのは,選挙で人民の信をえることと,住民投票(レファレンダム)で人民の意思を確認することです。しかし,ミュラーは次のように述べています。

 「とはいえ,ポピュリストはしばしば多くのレファレンダムを要求するではないかという反論もあるかもしれない。それはその通りである。しかし,ポピュリストにとってのレファレンダムの本当の意味を明らかにする必要がある。彼らは人民が継続的に政治に参加することを望んでいない。レファレンダムは,実際の市民の間で無限の熟慮のプロセスを開始させ,十分な考慮のうえで一定の人民の判断を生み出すことを意図したものではない。むしろレファレンダムは,経験的に実証可能な利害の集積の問題としてでなく,アイデンティティの問題として,ポピュリスト指導者が真の人民の利害だとすでに認識していたものを追認することに利用される。」

 小池知事は,豊洲市場問題への態度を公式には明確にしていませんでした。自分の判断ではなく専門家の判断を元に決断すると思われていました。私は,住民投票を行うつもりかと心配したほどです。しかし,専門家が安全だと判断しても決断しませんでしたし,移転の是非を直接問う住民投票も行いませんでした。そして,豊洲市場問題については態度をあいまいにしたまま,都議会議員選挙で都民の信を問うというように変化してきました。このままでは選挙が終わっても決断出来そうに有りません。しかし仮に,選挙で勝てば,選挙の争点にしていなかった豊洲市場移転中止も都民の意思であると言い出さないでしょうか。いや,知事の判断として決断するのならまだ良いのですが,それなら選挙を待つまでもなく早く決断すべきです。これに関してミュラーは次のようなことも述べています。

 「ポピュリストは,人民が一つの声で語ることが可能で,政権獲得後にしなければならないことを政治家に正確に伝える命令委任的なもの(代表が自ら判断しなければならない「自由委任」とは反対のもの)を発することができると想定している。こうして,国会などの議会における面倒な熟議はもちろんのこと,議論する現実的な必要性すらなくなる。最初からつねにポピュリストは真の人民の忠実なスポークスマンであり,契約条件を履行する。しかし,実のところ,命令委任は現実に人民から発せられたものでは断じてない。人民が発したとされる詳細な指示は,ポピュリスト政治家による解釈に基づいているのだ。」

 小池知事は,決断できないと批判されていますが,これは「自由委任」を受けられないということだと思います。自ら判断するのではなく,都民から「命令委任」してもらう必要があるわけです。なにしろ「都民ファースト」ですから,知事の判断は都民の意志と同じであると言いたいのではないでしょうか。

 さて,選挙といえば,都民ファーストの会は法的な保護や制限のある政党ではない地域政党です。地域政党は,政治的な発信力と市民に訴えかける力が強いそうです。一方で首長政党が地方議会の多数を占めると,地方自治の基本である「二元代表制」が脅かされると批判されています。地域政党は代表者の意見で統一され,派閥などは存在しないようです。これに係る記述もミュラーはしています。

 「わたしが注目するのは,ポピュリスト政党が,ほとんどつねに内部的に一枚岩で,明らかに一般党員は単独の指導者に従属しているという事実である。・・・・ポピュリスト政党にはとりわけ党内権威主義の傾向がある。」

 小泉チルドレンは正にミュラーの記述そのものでしたが,都民ファーストの会はどうなのでしょうか。次に,小池知事が就任以降にしたことを振り返ってみます。印象に残っているのは,都の幹部の処分です。なんと退職者までその対象でしたが,陰謀が渦巻く都議会や都庁の浄化には必要なのでしょう。ミュラーは次のように述べています。

「まず第一に,ポピュリスト政権のあらゆる失敗は,国内のエリートにせよ外国のエリートにせよ,舞台裏で動くエリートのせいにされるだろう(ここでわれわれは再び,ポピュリズム陰謀論のほぼ必然的なつながりを確認できる)。多くのポピュリストは,勝者となったのちも,犠牲者のように振舞い続ける。」

 ポピュリストと陰謀論は相性が良いそうです。そういえば,小池知事は,豊洲市場が無害化できなかったと謝罪しましたが,元知事や無能な東京都職員のせいで,迷惑をこうむった犠牲者のような風情でした。そして,無能な東京都職員は無視して,私的スタッフの意見を重視しているようにも見えます。さらにミュラーは言います。

「まず第一に,ポピュリストには,国家を植民地化,あるいは「占拠」する傾向がある。・・・このように権力を固め,さらにそれを永続化させようという戦略は,もちろんポピュリストの専売特許ではない。ポピュリストに特有なのは,彼らが公然と,また人民を道徳的に代表しているという核心的な主張に支えられて,そうした植民地化に着手できることだ。」

 小池知事は,議会改革条例案を提案しています。知事が議員に逆質問する「反問権」の導入や、住民参加を促す公聴会の実施などがあります。また,石原元知事の責任追及をする住民訴訟の対応方針を転換するため,弁護団を交代させました。

 最後に,ミュラーポピュリズムについての7つのテーゼの7番目の後半を引用します。

 「・・・政体の一員であることの基準は何か。いったいなぜ,多元主義は維持する価値があるのだろうか。いかにして,ポピュリストに投票する者たちを,不満・怒り・憤懣に衝き動かされた男女の病理学的事例としてでなく,自由かつ平等な市民として理解し,彼らの懸念に取り組むことができるのか。本書がこれらの問題に対して,少なくともいくつかの予備的な答えを提示できたことを願っている。」

 なぜ,多元主義は維持する価値があるのだろうか・・・