原発裁判と地方自治 ー 自動車任意保険未加入や原発は違法?

 原発容認の主張では,原発と交通事故の比較するものがあります。日本で交通事故で毎年5000人の死者を出しているのに,原発は50年ほど経ってもまだ直接的な死者を出していないのであり,自動車を許容するなら,原発も認めるべきだ,というような意見です。これに対して,直接的な死者は出していないにしても,福一事故では15万人が避難を強いられ,生活を破壊しており,間接的な死者も出しているという反論が有ります。

 でも,これって十分な反論になっていません。交通事故も30年間だと,15万人の死者になってしまいます。一方の原発は,過去の実績からは30年に1回も事故は起こしていません。しかも,原発の15万人は死者ではなくて避難を強いられた人です。死者の見積もりは,スタンフォード大の試算が有ります。それによると,福一事故に起因して将来発生する癌死者は180人,避難等が原因での死者が130人となっています。また,福一事故後に政府が見直した原発の過酷事故確率は1回/500年炉となっています。国内には50基ほどありますので,これらから10年に1回ほど過酷事故は起こりえます。これは実績からして多すぎますが,それでも10年に310人の死者ですから,交通事故の10年で5万人より遙かに少ないです。

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 ただし,以上の比較は被害者数の期待値で行っています。期待値はいわゆるリスクと呼ばれるもので,1回の事故の被害が大きくても,発生確率が小さければ期待値は小さくなります。ところが,人間はリスクだけでなくハザードと言われる1回の事故の大きさでも判断します。例えば,保険はリスク(支払い額の期待値)の観点からは,馬鹿げていますが,バザード(万が一の支払い額)を減らすために大抵の人が加入します。危険分散もリスクは全く減らさないどころが増やす場合が多いのですが,ハザードを減らすために投資を始め色んなところで行われています。

 このハザードの観点から見ると,1回の事故で15万人の避難者は深刻です。毎年5000人の死者をもたらす自動車を我々は受け入れていますが,仮に,30年の内29年間は死者ゼロで,ある年に集中して15万人の死者を出すとしたら受け入れられそうにありません。しかも全国に散らばって15万人ではなくて,福島県の一部地域に集中して発生するとしたらなおさらです。

 では,ハザードの視点を取り入れれば反論になりうるかというと,別の見方を提示しただけで,どちらが正解とも言えないような気がします。人によって許容出来るハザードも違って来るからです。ハザードを許容出来るか否かは,それに耐えられるだけの体力があるかによります。平均的年収の個人では1億円の賠償金は払えませんので,任意保険に加入するのが賢明です。しかし,財政規模の大きい国の公用車は任意保険に加入していません。事故を起こしても賠償金を支払えますし,支払った方が保険料より安上がりで,会計検査院からの指摘の心配が無いからです。つまり,回復可能な小被害に分散されているか,破滅的な被害に集中されているかで,被害の期待値が同じでも判断が違ってきますが,回復可能な小被害の程度は体力次第です。

 保険加入の判断と同様に,原発を受け入れるかどうかも受け入れ側の体力で違ってくるのではないでしょうか。国と地方自治体では違いますし,個人の場合は自治体との結びつきの強さで違って来ます。そのため一般的な是非の判断は出来ないと思います。個別の受け入れ側がデメリットとメリットをどのように考えるかで異なってくる選択の問題であって,違法合法という問題とは違うと思います。原発は国策事業の面がありますので,微妙ですが,ダムや道路といった純粋の公共事業と違い,基本は受け入れ側の自由意志で決める事です。

 株の購入判断や手術の判断も同じです。証券会社のセールストークに「絶対に損はしません」などと言うウソが有ったり,医者が治療の結果を保証するとうウソがあったのなら,司法の判断を求められます。しかし,株が儲かるのかどうかの判断を裁判官に求める事は出来ませんし,治療法の選択を裁判官が決める事も出来ません。選択の最終判断は投資家や患者が行うもので,証券会社や医者はその判断の材料になる専門情報を提供するだけです。

 原発裁判は,証券会社や医者の説明にウソがあったという訴えと同じで,電力会社の説明にウソが有ったという訴えじゃないでしょうか。裁判とは、その裁定を専門家の証言などから行うのであって、原発の是非を決めることではないと思います。それを決めるのは立地する地域の住民のはずで、住民が嫌だと言えば電力会社も無理に作ることはできません。裁判所が行えるのは、契約したけどトラブルが発生し契約解除をしたいが可能かどうか、の判断ぐらいじゃないでしょうか。原発容認も反原発もお上の判断にお任せという空気を感じます。裁判所が地方自治を侵しかねないというのは杞憂かな。