1回の実験で決定的なことは言えない

 本箱の隅にあった「背信の科学者たち」を再読しました。復刊版ではなくて化学同人版13刷です。全部が納得できるわけではありませんが,科学者も人間という当たり前のことを再認識させてくれます。様々な不正事件に共通しているのは不正の追及を組織の上司や幹部はあまりしたがらないことです。声を上げるのは同僚や部外者が殆どという事実を示しています。このような傾向は普通の企業と同じで何も特別なことは有りませんが,科学者は真理追究を行っているのだから不正には厳しい態度で望む筈という幻想があると意外に感じるかもしれません。

 STAP細胞が存在するなら,不正をする必要もないというのは素朴な見方ですが,人間は馬鹿な事をいくらでもしてしまいます。そもそもねつ造はいずればれますから,馬鹿げています。しかしその馬鹿な事をする人間は絶えません。大局的には不正は馬鹿げていますが,目の前のことしか見えなくなると馬鹿なことをしてしまいます。

 論文は正しくても不正になる例として剽窃がありますが,STAP細胞の場合は該当しません。可能性としてあり得るのは,予備実験で上手くいって確証を得て本実験に望んだけれども失敗したというケースです。正しいのは間違いないという確証が強いと,この程度のズルは構わないだろうという心理になります。予備実験では本人も気づかない要因で成功しており,後でそれが見いだされ,論文は結果的に正しかったことが分かるというようなケースです。しかし,焦って不正を行ってしまったという事実は変わりません。

 この種の論文は結論は明確でも,根拠となる実験方法が曖昧な記述になります。なにしろ,本人にも実験を上手く行う方法が言葉では説明できないからです。曰く言い難いコツとしか言えません。当然,追試での再現も困難になります。このような論文は,結論は正しいとしても,まぐれ当たりみたいなものでしょう。

 不正とまでは言わなくても,見たいものを見てしまうという自己欺瞞もあります。科学的真偽と実験や観測が必ずしも一致しない例としてロバート・フックのことが書かれています。1669年にフックは星の30秒の視差を観測し,コペルニクスの説が実証されたと王立協会に報告しました。しかし,当時の望遠鏡で観測できるほど視差は大きくなく,実際は1秒程度なのでした。コペルニクスの説は正しくても,フックの観測は誤りでした。しかもフックだけでなく,ジョン・フラムスティードも40秒の視差を観測したのです。 

 小さな視差の観測は微妙なものです。上手くいく場合もあれば,そうでない場合もあります。STAP細胞の実験がどの程度微妙なのかは知りませんが,小保方氏でしかできないようなコツがあるとすれば相当微妙なものだと想像できます。1回の再現実験で決定的なことが分かるとは思えません。いろいろと誤解している人には決定的だという印象は与えることができるかも知れませんけど。