自白偏重主義

 理研のSTAP細胞再現実験の中間報告がありましたが,難航しているようです。となると渦中の人物は精神的に相当苦しいのではないかと気になっってきます。当然,理研は笹井さんのような事が無いよう最大限の注意を払っているはずですが,こういう展開は予想通りと見ることも出来ます。

 そもそも,再現実験はそうでもしないと決着が付かないという理事長の判断で始めたという報道がありました。決着が付くとは多分科学的な決着ではなく,政治的な決着です。渦中の人物とその政治的支持者を納得させる為とでも言えば良いでしょうか。唐突ですが,これは警察の古い自白偏重主義を連想させます。犯罪の証拠を挙げても,なんだかんだと言い逃れするだろうし,解釈の違いはつきまといます。証拠を突き付けたところで容疑者は否定を続けるかもしれず,スッキリとは決着しません。ならば,容疑者の自白が最良の決着であるという考えです。ただし,容疑者に直接ストレスを与えますので,下手をすると自殺されかねません。そのような失態をしないため留置場には自殺防止の工夫がなされていますが時々事故があります。

 また,自白偏重主義は罪の判定は容疑者自身の行動にかかっていると言う点で,容疑者が無罪を立証出来なければ有罪と見なすという考えと親和性があります。しかし,それは危険な考え方で,通常は訴追側が有罪の立証をする必要があります。自白偏重主義は訴追者として怠け者と言えます。

 何度も述べていることですが,再現実験と研究不正の有無は直接関係ありません。再現実験に成功しても潔白の証明にはなりませんし,失敗しても不正の証拠にはなりません。しかし,理研は無関係の事柄を結び付けて考えてしまったのではないでしょうか。再現実験は,容疑者自らにアリバイの立証をさせるようなものと考えた可能性があります。立証に失敗した容疑者が諦めて自白するように,小保方氏も不正を認めるだろうし,支持者も諦めるだろうと。しかし,八方ふさがりになって身の潔白を訴えながら自殺という展開も十分有りえますし,相変わらず不正を否定し続ける可能性もあります。

 決着を付けるためであるならば,再現実験が成功すれば不正は無かったと言うことが出来,片や失敗すれば容疑者の自白があり決着出来たはずです。ところが,そう簡単には事態は進んでいないようです。もはや成功の見込みはなさそうですが,自白もなさそうです。そのため,かどうか分かりませんが,本格的な研究不正の調査を進める方針だそうです。つまり,やっとここにいたって再現実験は研究不正の解明とは関係なく,何も決着しないことに気づいたように見えます。

 いやそれは甘い見方かもしれません。一抹の再現成功を期待して,その場合は本格的な研究不正の調査も不要になると見込んでいたのかもしれません。その見込みが無くなって来たので,調査をせざるを得ないと判断したのかも知れません。しかし,再現できたとしても,多くの疑惑があるのですから不正調査は不可欠です。それにしても随分回り道して,時間と費用を無駄にして,なお再現実験は続きます。