一瞬で分かる「これアカンヤツだろ」をくどくどと解説してみる

 少し前に,鳥取城跡のかつ江さんというキャラが公開中止になったというニュースがありました。戦国時代に兵糧攻めを生き延びた庶民をイメージしたキャラで,批判の声が寄せられたための措置でした。
http://www.47news.jp/CN/201407/CN2014070901001719.html

 「これはひどい」というような批判が多かったのですが,厳密にはセンスの問題ではないと思いました。キャラのデザインというレベルならセンスの問題で,結局は好みですから,正しい悪いという話ではありません。多くに受けいられるキャラにすればよいだけです。しかし,かつ江さんはキャラが何の目的の為にあるのかという,そもそもの所が吹っ飛んでしまっています。それはあまりに明白な理屈なので,センスの問題と言ってしまってよいような気もします。しかし,一目瞭然と思えても勘違いしている人もいるようなので,馬鹿丁寧に考えてみます。

 まず,キャラは何の為にあるのかです。何かをPRしたいのが目的であるはずで,キャラになるのは当然肯定的イメージでなければなりません。犯罪や飢餓をPRしたい教育委員会は存在しないと思います。ふなっしー船橋の梨がいいもんだとPRしたいわけです。そのため,一般的にはかわいいイメージが多用されます。中には,ありふれた感を避ける為あえて変なイメージのキャラにする場合があります。しかし,それらにしても「きもかわいい」というように,結局は肯定的に受け入れられなければ話になりません。

 では,鳥取市教育委員会は何をPRしたかったのでしょうか。それは鳥取城趾の歴史だと思います。もう少し詳しく言えば,兵糧責めを生き延びたたくましい庶民とでも言えるでしょう。ところが,かつ江さんキャラは餓死や飢饉というマイナスイメージそのものです。兵糧責めという繰り返したくない歴史を肯定しているかのような印象を与えます。あるいは,飢餓を冗談にして笑っていると受け取る人もいるでしょう。

 既に歴史になっているので,かつ江さんのモデルは生存していませんが,生存者や関係者がいる場合に置き換えて見るとその酷さがはっきりします。例えば,難民キャラ,被災者キャラ,虐待児童キャラを当事者や関係者がどのように感じるかぐらいは想像すべきだったと思います。これらの人々は,かわいいとか面白いとか軽い気分でPRするような対象ではありません。

 映画や落語では,被害者や死者を茶化したブラックユーモアもあります。その種のものは強烈な皮肉や風刺であって,表面的な表現の裏に一筋縄ではいかない複雑さをはらんでおり,限られた観客が意識して観賞するものです。しかし,キャラは別に深く考えようとは思っていない不特定多数に垂れ流す軽いものなんですね。表面的なデザインのままに軽く受け入れてもらうためのものです。なので,「栄養失調のかつ江さん,きもかわいい!」になってしまいます。教育委員会兵糧攻めという歴史は知ってもらいたいにしても,きもかわいいかつ江さんをPRしたいわけでは無いでしょう。つまり手法が間違っていると言うことです。

 わかりきったことを長々と解説してしまいましたが,世間の反応が手法への批判だと思わない人もいます。そう言う人は「黒い歴史を抹殺するのか」のようなことを言います。でもね,黒い歴史をキャラ化してしまったら白い歴史になってしまいます。