スカイツリー怖い

 ちょっと前に,オードリー春日が,パプアニューギニアの村長を日本に招待し案内する番組を見ました。その村長さんがスカイツリーを見たときの反応は尋常ではなく,凍り付いていました。そして,「こんな高いものに登れば死んでしまう」と昇るのを拒否していました。なんとか説得して登らせていましたけどね。

 村長さんの反応はごく自然なもので,日本人が怖がらない方が不自然といえば不自然です。日本人はなぜ怖がらないのでしょうか。それは単に慣れの問題に過ぎないと思います。殆どの日本人が,建築技術を理解して,壊れることはないと安心しているわけではありません。建築の専門家を信用しているだけのことです。その信用は一朝一夕で築かれたのではなく,長い年月の実績によります。周囲に沢山ある建物や鉄塔が壊れずにちゃんと建っているのを見てきているから信じているのです。この信頼を築くには時間を要しますが,失うのは一瞬です。マンションの構造計算書偽装事件みたいなことが起こると,脆くも信頼は崩れ去ります。

 もし落ちてきたら圧死するような重量物が自分の頭上にあるというは極めて危険ですし,墜落死するような高い所に行くのも危険です。そんな危険を孕む建築物を何故造るのかというと,絶対壊れないと思っているのではなく,危険を上回るメリットがあるからです。それは建築の歴史を振り返ればすぐわかります。建築物の歴史は崩壊の歴史でもあります。別に古い時代まで遡る必要はありません。現代の日本でも地震で建物は壊れていますし,雪や雨でも壊れています。

 しかし,いくらメリットがあるとはいえ,万が一事故が起これば死んでしまうようなものを何故受け入れるのでしょうか。例えば,雨露をしのぐだけなら,テントでも十分です。壊れても死ぬようなことはなく安全です。実は,この理由は私にはよく分かりません。ただ何となく感じるのは,個人として考えれば人間はいずれ死ぬと言うことです。だから,個人の死だけなら場合によってはそれほど恐れることが無いのかもしれません。

 人間は破綻的な状況を避けるために保険をかけます。1つのプロジェクトに会社の命運を掛けるというドラマは有りますが,現実にはあまりそう言う危険は犯さず,危険分散を図ります。それは個人レベルでも同じで保険に加入したりします。ただ,独身者はあまり保険に入らないのではないでしょうか。結婚して家族が出来たら保険を考慮し始めることが多いのではないでしょうか。つまり,自分だけの破綻や死を掛ける冒険はしても,家族や会社(多くの社員の生活を支えている)の破綻は避けようとする傾向が有ります。

 個人の死は避けられませんが,家系(子孫)や会社は存続出来ます。これらは,破綻することなく永遠に続いて欲しいと願うのではないでしょうか。ただ,悲しいことに一家全員が亡くなってしまうという事故はしばしば起こります。家族のように小さな集団は,比較的小さな事故でもそういう事態になりやすいためです。家が地震で潰れて一家全滅ということも有れば,テントに巨木が倒れてきて一家全滅ということも有り得ます。従って,建築物を止めたからといって一家全滅の可能性はそれほど減りません。それよりも建物に住んで健康的な生活をした方が一家全滅の可能性が低くなるとも言えます。こういうことは複雑過ぎてとてもリスク計算出来ませんが,膨大な歴史の実験で経験的に実感しているのだと思います。

 しかし,集団規模が大きくなってくると様相が変わってきます。町や国が自然災害で崩壊してしまうことはそうそう多くは有りません。むしろ,人為的な紛争が原因であることが多くなって来ます。これらの人為的要因を除くために,同盟や協定という保険を掛けて集団の崩壊を防ごうとします。家族のような小さな集団では,全滅を防ぐことが難しいのですが,大きな集団になれば,一部に被害を受けても全滅を防ぐという危険分散がやりやすくなります。

 件の村長さんがスカイツリーに昇る決心をしたときの言葉が感動的でした。「私は村長で,村人に報告するために日本に来たのだから,登らなければならない」まるで死を覚悟したかのようでした。逆にいうと,村人全員をスカイツリーに登らせるような決定は村長として決してしないのではないかと思いました。

 以上のようなことから,例えば,1つの町の住民が1つの巨大建築に居住するというような計画は危険の集中であり,避けるのではないでしょうか。ただし,巨大建築全体が崩壊することはなく,部分的な崩壊しかあり得ないというのなら可能性はあります。このような巨大建築物は建築物というより自然の地形に近いものかもしれません。

 一方で,高さ800mの超高層建築ブルジュ・ハリファのようなものは少し,考え直した方がよいのではないかと感じます。パプアニューギニアの村長ではありませんが,日本のスカイツリーも少し不安です。というのも,あれが倒れたら周囲のどれだけの範囲に被害をもたらすのだろうかと気になるからです。直下に崩れ去るような壊れ方なら良いのですが,横倒しになることはあり得ないのでしょうか。
 
 程ほどの規模の建築物は壊れるものであり,その際どの程度の被害をもたらすのか理解できます。その上で利用してきました。ところが,巨大建造物の場合,絶対に壊さないという意気込みのあまり,壊れた場合の被害の想定を忘れているのではないでしょうか。原発も巨大技術ですので,原発が壊れた場合の被害を理解した上で立地を了解する必要があると思います。実際に被害想定はしています。ところが,どうも,とても了解できるものではないので,絶対壊れないようにしようと頑張っているような気がします。