倫理第一,品質第二,論文数第三

■デミングの14原則と事故ゼロ標語

 日本の品質管理の世界では著名なデミング博士は,デミング博士の14原則なるものも提言しています。その10番目は「ゼロ欠陥スローガンや標語の廃止」で,11番目は「数値のみの目標やノルマの廃止」です。この両方に抵触しそうなのが,工事現場などで見かける「事故ゼロ達成!」の標語です。産業界はデミング博士を品質管理の神様の様に崇める一方で,現実の現場では真反対のことをしているという実態があります。

■標語は精神論

 それはともかく,何故,標語や数値目標がいけないのかその理由を読んだことがないので,自分なりの考えを述べます。これらは,対策をしているような気になるだけで,具体的に何か作業や行動をやりやすくする方策は何も示していません。作業者に「注意しろ,頑張れ」と激励しているだけです。選手の精神力に期待して「根性」と連呼するのみで,技術面,体調管理面等の指導を行わないコーチのようなものではないかと思います。

■無理な目標がモチベーションの低下を招く

 無益無害なだけならまだしも,原因があって業績や安全性の低下が起こっている時に,業績のノルマや事故ゼロのスローガンだけを唱えるのは,目標と実態の乖離が益々進み作業者のモチベーションも下がってしまいます。業績不振時にこの様な対応を取りがちですが,それは破綻への道をひたすら進んでいるのだとデミング博士は警告したのだと思います。

■標語目標値と品質管理値の違い

 また,「事故ゼロ」は理想の姿ですので,理念や個人的目標にはなっても,実現すべき品質管理の目標とするのは間違いです。誤差ゼロの品質管理基準値があり得ない様なものです。現実には事故は起きますので,具体的方策もなく注意喚起の徹底だけで無理なことをしようとしてもいづれ破綻します。注意力の持続には限度があります。事故が起きていないとすれば,たまたまか,別の安全対策が効果を発しているだけで,スローガンは無関係でしょう。

■事件後の標語は対外的

 贈収賄事件,背任事件,業務上横領事件,論文ねつ造事件もゼロには出来ませんが,事件が起こると,「職場からの一掃」というスローガンが唱えられます。これは,対外的にアピールしているだけで,本気でゼロにしようと考えてはいないと理解すべきです。絶対病気に罹らないぞと決意するのは,健康の為なら死んでもよいという奇妙なことになりがちです。多少の病気に罹っても致命傷にはならないことが肝心かと思います。

■重い負担の一時的な対応と負担が減る永続的な対応

 実際のところ,事件後の対応は一時的なもので,永続的に行うには負担が大きすぎます。大抵,世間のほとぼりがさめた頃には通常モードに戻るものです。もちろん,永続的な改善が行われる事もあります。ただ,その種の改善は負担増を招きません。一見負担が増えた様に見えても,総合的には減るものです。安全上の手順を一つ増やせばその部分の負担は増えますが,すぐに慣れますし,それが効果を発揮して,事故や手戻りが少なくなれば,総合的に負担は減ります。それに対して,注意力を維持し続けるのは負担を増やし,最終的に生産性を下げ,生産当たりの事故は増える可能性が有ります。

■永続的な対応は負担を減らす

 永続的な対応とはイノベーションのことで,歴史的にみてもイノベーションは負担を減らし余暇を生み出して来ました。短期的な変動を別にすれば,過去より現在の方が仕事が厳しいというのは基本的に有り得ません。仕事の成果は複雑で高度なものに発展していて,同じ方法で行うなら過去より現在の成果を上げる方が労力は大きくなります。しかし,イノベーションで方法が変わるため,労力も少なくてすむようになります。余暇の時間を新しい仕事に振り向け,ヒマにならない人もいますが,その場合でも,労働当たりの生産は増えているはずです。

■安全第一の意味

 以上は,事故ゼロを目指すことは安全には繋がらないという意見ですが,一見,逆のことを言っているように見える「安全第一」も実は同じことではないかと私は思います。安全第一とは安全だけを考えるのではありません。「安全第一,品質第二,生産第三」というのが完全な表現で,事故が多発して,生産性も下がってしまったUSスチールの社長が唱えたと言われています。従来は「生産第一,品質第二,安全第三」が常識だったのをひっくり返したところ,事故が減って,結局生産性も向上したそうです。つまり生産のことはちゃんと考えているのです。利益を出さなければならない企業なら当然のことですが,生産の事しか考えないのでは生産は向上しません。安全,品質,生産のバランスを考慮し,安全第一ぐらいでちょうど良いという加減の問題だろうと思います。

■第一と唯一

 従って,安全第一が行き過ぎて安全の事しか考えない安全唯一になれば,生産性は下がります。究極の安全唯一は生産を止めることで事故ゼロに出来ます。でもそれじゃ無意味です。研究所も研究成果をあげるために研究しているわけで,不正ゼロを目指した結果,研究成果ゼロでは無意味です。もし,昨今の組織改革で,「論文数第一,品質第二,倫理第三」になっていたとすれば,この順番を入れ替える必要があるかもしれません。かといって,研究倫理唯一になってしまうと無意味ですが,事件後は,反動でそうなりがちです。