時代の変化

 当たり前だけど、時間は1秒に1秒しか流れないので、物事は徐々にしか変化しません。徐々の変化は感じにくいので、あまり変わっていないように思ってしまいます。私の子供の頃は高度成長期で、未来社会の想像図が雑誌などによく載っていました。21世紀はものすごい未来でまるで違うものになるだろうと感じていました。

 ところが、実際に21世紀に入って、10年以上が過ぎたのに、子供の頃と対して変わっていないとしか思えないわけです。当時も今も日常の移動は自動車で、エアカーは使っていませんし、着ているものも、仕事ではスーツでカジュアルではジーンズ(当時はジーパン)と変わりません。

 変わらないように感じるのは、特に衣類のデザインや輸送関係で、子供の頃はこれらが大きく変化していた時代だったので、将来も大きく変化すると想像していたためだと思います。一方で通信関係の変化は想像しにくかった面があります。スーパージェッターの腕時計型の通信機のような無線通信程度までは想像できても、スマホなどは全く想像外の世界でした。

 不思議なのは、想像もできないほど大きく変わったのに、印象としてはすごい変化という感じがあまりしないことです。重厚長大な輸送機器や建造物が変化すると印象に残りますが、その中にある通信機器などの変化はそうでもありません。更に、建造物の安全管理のような形のないものになると変化を意識することすらありません。でもこれはものすごく変化しています。

 約45年前の私が通った中学校は木造2階建てでした。教室には天井がありましたが、廊下部分の天井板はありませんでした。それは戦時中に焼夷弾が引っかかってしまうので剥がしてしまったという説明を聞きました。本当かどうかは知りません。生徒の中には屋根裏まで登って遊ぶものもいました。今だったら、屋上に生徒が侵入出来るだけで安全管理上の責任問題になるのは必至ですが、バレーボールが屋根裏に引っかかったのを先生が身軽そうな生徒に命じて取らせたりしてました。

 それから、教室の窓ガラスは100%近く入っていましたが、廊下の外壁側窓ガラスは半分ぐらいが割れてなくなっていました。別に校内が荒れていたわけではなくて、単に古いからです。窓ガラスどころか、窓障子そのものが無い箇所もかなりありました。障子が落下する事故も時々ありましたが、幸いに人身事故は私の居た3年間にはありませんでした。ひょっとして記憶に残っていないだけかもしれません。教室の窓ガラスが割れると、無傷の廊下の障子と交換したりしていました。その結果、廊下の障子はガラスがどんどんなくなって行きます。写真は卒業アルバムのもので廊下側の窓の状況がわかります。黒い部分はガラスがありません。向かって右側の大きな黒い部分と中央の窓桟が見えない部分は障子ごと無い箇所です。1階では壁板の剥がれ状況も確認出来ます。)

 壁にも穴があいていたり、板が剥がれたりしていましたが、危険なのは床の穴です。そして事故が発生しました。講堂の床の穴に保健の年配の女性の先生が足をツッコミ大怪我をしたのです。ふくらはぎの肉がベラっと剥がれそうになるという聞くだけで身震いしそうな怪我と説明を受けました。荷物を両手で抱えていたため、足元が見えなかったのが原因でした。流石にその穴はすぐに塞がれましたが、他にも穴はたくさんあって、まあ注意しましょうということで終わりでした。廊下には修理した跡が沢山ありましたが、同じ厚さの板を使っていないので凸凹していてつまずくこともありました。

 私が卒業してすぐに鉄筋コンクリート造の校舎に建て替えられましたので、特に酷い末期状態を経験したことになります。間もなく建て替えだから仕方ないという感覚だったような気がしますが、今だったら、考えらない管理状況です。ちょっと特殊な例かもしれませんが、安全管理や、管理責任に対する厳しい目は随分大きく変わったことがわかると思います。しかし、こういうことって意識されませんね。