素人判断で行われる初等教育ー組体操の安全管理

 全くその通りで、一番多い建築関係の事故は転落であり、事故全体の約4割を占めます。そして、脚立からの転落でも死亡事故になります。私が直接知っている事故にも、脚立から滑り落ちて尻もちをつき、脊椎の圧迫骨折で入院というのがありました。

 危険作業の専門分野では安全教育がしっかり行われますので、この種の知識は常識になっています。ところが、一般人にとってはそうでもありません。例えば、日曜大工や日常の作業での脚立の使い方は、業務として見れば違法になるものがいろいろあるはずです。私的な行為なので、違法とはなりませんが、危険であることには変わりはありません。

 同じような行為でも、職業として行う場合は第三者への影響があったり、業務命令として強制されたりするので、厳しい制限があるのだと思います。私的な行為は、あくまで自己責任で事故になっても自業自得ですから、法令による規制がないのでしょう。

 ところが、盲点なのが学校の教育です。学校の教師は当然、職業ですので、さまざまな法律の規制を受けています。ただその法規制は教育にかかわる一般的なもので、個々の具体的の行為まで及んでいません。小中学校教育は広く浅くならざるをえないので、専門的な職業分野の規制をいちいち準用することは非現実的です。組体操の危険性を労安法の規制を調べて判断するような教師はいません。

 つまり、自己責任の私的な行為として、教師の常識で危険性を判断しているわけですが、実際に行為を行う生徒は教師に強制されていますので、自己責任ということはできません。生徒は教師の素人判断で安全管理されているのです。

 安全管理の他にも、規則にも似たような問題があります。大人が務める会社の規則である社則ならは人権侵害と思われるような規則が校則にはあったりします。社則は対等な大人同士の契約書みたいなものですが、校則は未熟な子供の教育の手段なので、大人なら人権侵害と訴えられる行為も許されているところがあります。社内レクリエーションで10段ピラミッドを社員に強制すれば、争議事案です。

 教育はパターナリズムにならざるを得ない面がありますが、家父長たる先生が大人の社会から見れば素人の知識で子供を扱っていると言えます。家庭の親の教育も素人判断ですが、その延長として甘くみられるのかもしれません。私も今思い返せばびっくりするような時代錯誤の行事をやらされました。生徒のころは別に疑問にも思いませんでしたが。