自給自足はつらい

■私には自給自足は無理

 私が無人島に流されたら,1週間ともたないでしょう。食糧を得る為の狩り,漁,野草採取,農耕の技術を全く知らないからです。サバイバル能力ゼロです。しかしまあ,無人島で生活する可能性は殆ど有りそうに思えませんので,サバイバル能力を付けようという気にもあまりなりません。少なくとも現代社会で暮らしている限り,食糧は誰かが生産してくれて,自分はそれを買えるだけの収入をえる為に仕事をすれば良いと考えています。その仕事は農業や漁業よりも私は得意です。

■分業は信頼に基づく

 ただ,それには前提が有ります。農家の皆さんが安全な農産物を生産して,売ってくれるという信頼です。さらに,生産地から私が消費する場所まで輸送,流通してくれる人々への信頼も必要です。最終的に小売店の店主が売り惜しみせずに売ってくれるであろうという信頼もです。最後の小売店の店主以外は顔も見たこともなければ,名前も知りません。そんな人々を信頼して大丈夫かと不安になることも有りません。

■信頼できなければ自給自足するしかないが

 ところがですよ,心配する人もいるんですね。生産者の顔写真入りの作物じゃないと不安と思うひとが結構いるらしくて,人気になっています。それも信頼出来ないひとは,自分で農業を始めます。そう言うのが一部で流行っているらしいのです。ただ,私にはとても出来そうに有りません。自分と家族の食べる分を生産するだけで,現在の労働時間以上が必要かもしれないからです。そうすると,光熱水費や被服費,交通通信費,税金などのための現金収入が得られません。生活できません。いや,水準を落とせば生きて行くことだけは出来るかも知れませんが,そんなのはまっぴらです。

専業農家は自給自足でもなく他者を信頼している。

 では,実行している人はどのようにしているのでしょうか。一つのパターンは本格的な専業農業を行っている場合です。自分の食い扶持だけでなく,余剰生産を販売して現金収入を得ているわけです。このような人は,農産物以外の生活必需品は購入しているのですが,それらが買えなくなるという不安は無いのでしょうか。多分,無いと思います。自給自足でないと不安という理由で専業農家をしている場合は現実には殆ど無いと思います。

■農業資材や燃料も自給自足する例はない

 自給自足といっても農作業にはトラクターなどの農業機械やその燃料,肥料や農薬が必要でこれらは普通自給自足ではありません。これらも給自足しないで不安は無いのでしょうか。実は不安に思う人もいるようで,機械を使用しない人力,無農薬無化学肥料農業を行っている人もいます。ただ,これを厳密に行うと生産性が極端に低下しますので,現金収入を得るだけの余剰生産は出来ません。専業農家は無理です。一般的な有機農業や無農薬農業というのは程度問題で,完全な自給自足ではなくて,何らかの外部の生産品を利用しており,それらの生産者を信頼しています。

■完全な自給自足は原始農法ぐらい

 従って,自給自足できない不安から農業を行っている実際のパターンは,生活するだけの十分な収入が別途有り,農業は余技,趣味として行っている場合ぐらいです。この場合は自分の食べる分の生産ぐらいなら,原始的な農法でも可能でしょう。多分,八百屋やスーパーで買った方が安く済みますが,趣味なのでお金をかけても良いのです。裕福な人,あるいはスポンサー(TV局など)が付いている人でなければ困難なパターンです。別途収入を得るための関係者やスポンサーを信頼しているから可能なのですね。

■自給自足は極貧

 以上のことから(と考えるまでもないような事ですが)食糧生産を他者に任せるのが不安で自給自足を望めば,裕福な人かスポンサーがいなければ,極貧の生活をせざるを得ないということがわかります。いや専業農家があるではないかというご意見もあるかも知れません。確かに専業農家なら生活水準を保つことが可能ですが,それには前提が有ります。自分の農作物を買ってくれる消費者が存在することです。つまり,みんなが自分の食糧は自分で生産しないと安心出来ないと考え出したら,専業農家は成り立ちません。現代社会において自給自足など非現実的な話です。

■国際関係では

 国内の話であれば,上記の結論に異論を唱える人は少ないと思います。しかし,国際関係となると食糧安全保障論はそれなりの支持が有ります。同じ日本人なら信頼出来るけど,外国人は危険な食糧を作るかも知れないし,いざとなったら売り惜しみするかもしれないから信頼できないと言うわけです。

 という一方で,日本ブランドの農産物を海外に売り込もうとしたりしていて,対等な視点からは奇妙なのですが,外国人は信用出来ないけど,日本人は世界中から信頼されていると都合良く考えているのでしょうか。外国人は信用できないので,日本では農産物は自給するが,外国は日本を信用して日本から買いなさいというのは随分勝手な言い分だと思います。それに日本人と外国人の信頼性の問題なら,農産物以外も同様に扱わなければなりません。

■自給自足で養える人口

 農産物以外は輸入できなくなっても我慢すればよいけど,食糧は食べないわけには行かないという食料特殊論も前述のように無理が有ります。農業には,農業資材や燃料などの輸入品が必要で,農業だけ分離できないからです。輸入品を一切使わない原始農業が出来たとしても,それで養える人口は江戸時代のレベルではないでしょうか。国際的な経済封鎖を想定した食糧安全保障を成り立たせるには,先ず人口を減らす必要があると思います。

 いや,人口だけではありません。その他の生活レベル,文化レベルも相当後退せざるを得ません。生活や文化の向上は交易によってもたらされたのですから,必然的にそうなります。農業も他の産業も密接に関連しています。農業だけ切り出して特別扱いできるとは思えません。

■交易範囲に応じた生活レベル

 一個人や一世帯で,自給自足生活を行うとすれば,原始生活のレベルしか保てません。これは明白でしょう。一個人で携帯電話やハイブリッド車を生産するのは明らかに無理です。一国のレベルで自給自足を行うとすれば江戸時代以下の生活レベルしか保てないでしょう。江戸時代は鎖国といっても実際には貿易はしていましたから。では,農業以外は国際交易を行い,農業だけ自給自足をするとどうなるでしょうか。多分,現代の人口を養えるだけの生産は無理ではないでしょうか。

■食糧安全保障は紛争の歯止めをなくす

 戦争や国際紛争で食糧輸入が止まることを恐れ自給自足に向かうのは考え方が逆立ちしていると私は思います。国際的な分業関係にあれば,紛争は経済的な損害となるので,紛争の歯止めになります。しかし,自給自足で孤立していれば他国の思惑を気にすることなく,紛争も自由に出来ます。日本が戦争に突入したのは,経済封鎖を受け孤立したからではないでしょうか。孤立しても人口を減らし,生活レベルも下げれば存続可能ですが,それに甘んじる国は少なく,紛争で打開を図ろうとするのではないでしょうか。そのような国は日本の近くにも存在しますが,日本自身がそうなることはないと思います。