20年5月4日 煙草、土人と交換

 芋、魚、豚等はどうかすればどこかにあり、どうにかなる。が煙草だけは土人も最近出入りしなくなり誰に話しても手に入らない。本当に煙草好きの人は枯れ草でも吸っているのだろうかと気になる。そんなある日、元気者のY永上等兵が「N田班長、どこか煙草の有る所知らないか」と言う。「将校かそれとも土人でしょうね」と答えると「その土人から何とか手に入らないだろうか」と問い返して来る。「土人の欲しがっている物と交換でしょう」と言うと「敷布の新品を持って居る者がいる」と言う。「新品でなくても良いから交換に行けば多く持っているように思わせ、せめて10枚近くでないと言った甲斐がない」言った所、では全部から集めてみようとY永上等兵は早速呼びかけて廻った。「今度煙草交換に土人部落に行くことにした。敷布、天幕其他土人の腰巻用となる布を所持しているならそれと交換してきてやる」と言った所皆煙草欲しいものばかりで、キチッと装具の中に納めていた敷布、天幕其他小さな布切れ、綿の晒し等持ち出してきた。Y永上等兵は名前を控えておりとうとう行かねばならぬようになった。新品の敷布は小隊長が所持していた。
 善は急げと翌朝弁当(芋、魚)を提げカヌーで本島迄送って貰った。さて行く先は不明。山の奥へ登って行けば土人部落に突き当たるだろう位の大まかな考えであった。Y永上等兵も北九州出身の大まかな気性の持ち主であるが、切実に煙草が欲しかったのだろう。煙草集めの手伝いで不安定な状況下にある土人部落を訪ねることは、命を賭けるも同じことだと思う。
 山の中を歩き回ったがその日は土人部落に行きあたらなかった。弁当を食べながら「明日こそ土人部落を見つけ、土人料理でもお世話になろう」と話し合い、天幕にくるまって寝る。
 さて翌日、随分奥へ登ってきたと思うが海が見えないので方角が判らない。午後3時頃岡の上に辿りついたところ、見える、見える50戸程のヤシの葉で葺いた家に部落の土人も見える。部落に行くことにして岡を降りる。部落の入口迄行くと、思いがけぬ二人の日本兵に面食らったらしい子供が奥へ行き、キャプテンを連れてきた。Y永上等兵は話に容量が良いので任せていたが、やっと煙草とラブラブ(腰巻)の交換の意思が通じたらしく奥の家へ通された。土人もラブラブには相当苦労しているものと見え、大変喜んでくれた。所がY永上等兵は「日本兵は強いということを見せなくてはいけない。土人と腕角力をしてくれ」という。
 もし負けたら大変なことになりかねない。騎銃を射って見せると話させたところ、土人も見せてくれというので外に出る。50米先に転んでいた椰子の実を的に射った所命中。四部六部位に割れたので六分の方へ又射ち込んだ所命中、弾けて吹き飛んだ。見ていた土人は感心したのか声を上げて叫ぶ。Y永上等兵もこれで安心しておられると喜んだ。
 早く煙草、布の交換をしておいた方がよいと思い、話をして煙草を持ってきてもらった。夕食にはタル芋、バナナ、パパイヤ、パンの実等を出して接待してくれた。
 夕刻丸太の太鼓を叩き子供以外全員集まっている。何事なのかわからないまま不安になってくる。最近タロキナに米軍上陸。日本軍に謀叛し、証拠として日本軍の武器を持参又は日本兵を連行して米軍に忠誠を見せることがよく行わっれていた。「どうする」と言うとY永上等兵は「煙草は手に行ったし此処に用はないよ」という。煙草をしっかり包み土人が解散した内に裏口から出る。低い方へ急ごうとお互い注意し合い道なきジャングルを下っていった。
 中学時代山岳部に居り「山で迷ったら谷川を下れば良い」と習っていたので低い方低い方へと下る。途中谷川に出会ったので谷川に沿い水の中をドンドン下った。早いこと。
 夜明け前不意に「誰か」と呼ばれたのでビックリしたが日本語であり一先ず安心。「山砲隊の者で糧秣募集に行き分隊と別々になり前島へ帰る途中だ。前島へはどちらに行ったらよいか」と尋ねた所、この道を真っ直ぐ下れば良いと教えてくれた。今まで危機感一杯であったが「コレデ一安心」と二人で話し合いつつ言われた一本道を下る。夕方前島に小銃2発、銃声を聞いた前島の兵がカヌーで迎えに来た。
 久々の煙草に分隊員皆が喜んだこと。