19年7月 S田上等兵(島原市白土)の死

 同じ島原市出身で顔見知りのS田上等兵は会えば必ず言う。「N田さんの店で松の緑,おこしをよく買ったものだが本当に美味しかった。塔にき(付近)の菓子屋といって島原でも大きな店で,慰問袋に入れて送ってもらいたいくらいだ。内地へ帰ったら島原の名物だから一度食べてみんね」と同年兵の者に宣伝していた。亦島原の精霊流しのこともよく話していたが,同上等兵は奉公兵として中隊の装具の係。小生は戦砲隊としてその方専門だったので普段は話し合える機会もなかった。今回初めて同小隊となり,懐かしい話も出たものだった。
 マラリアで熱発。食事も進まず三日くらい休んでいたが「N田君,明るくて涼しい海岸へ連れて行ってくれ」と言う。5月4日小生が同じマラリア熱で苦しんだ時矢張り明るく涼しい所ということで,海岸の椰子林を思い出し其処へ手を引き連れて行った。勿論ささやかな小屋を建てた。二日後の朝飯盒に,島原の誼みとして余分に芋,焼き魚等を,水筒に湯を沸かし持って行ったところ,すでに呼吸が切れて衛生兵を呼んだが駄目と判る。
 浜辺の涼しい明るい椰子の木の根元へ北向きに寝かせ土葬した。(合掌)