20年8月20日

 エレベンタ海岸に出てみると夕食の炊事の火が赤々と照り、海岸線をずっと先まで続いている。あんな所まで日本軍は居たのかと思う。と同時に本当に戦争は終わったと実感する。
 今日まで苦楽を共にしてきた戦友が一人減り二人減り、自分の番はいつだろうかとそんなことを考えてきたと。大隊本部病院に入院途中准尉の好意で助かり今日までやってこられたこと。一ヶ月前のN村伍長海上での戦死のことなど色々なことが目の前に浮かんでくる。
 数日後、吾々独立山砲10連隊第2大隊は六師団配属だったので、その地区内へ宿舎を移動する。
 朝の点呼前、銃を肩にした衛兵が10数名ジャングルの奥へと入っていくのを見る。六師団は点呼の時いつも「海行かば」の軍歌を合唱していた。点呼の時間毎日銃声がする。亦今日も終戦に殉じ消えゆく兵士が居たのかと感無量の想いである。(合掌)

 戦争中行方不明になった者は今出てくるものではないと思う。が矢張り出てくる。かわいそうに、日本の軍紀が無くなるまでどうして山の中にいないのか。一方部隊では生死を共にし病人を助け軍の使命に邁進してきたのだ。矢張り賞罰は明確にしなければならないのだろうか。
 前島警備の時、Y上等兵は食糧採集に行き帰って来なかった。部隊を捨て元気に任せ自由に生活してきたのだろうか。終戦を知り六師団歩兵部隊へ出てきた。歩兵より山砲へ廻されたのは当然であるが、山砲指揮者も六師団へその報告の義務があるものと思われる。Y上等兵も覚悟せねばならない時が来た。(合掌)