昭和17年10月14日

 早朝,高射砲隊に島原港出身者が居ると戦友より聞き,船首の高射砲砲座に行って見る。(当時佐渡丸は船首,船尾に高射砲3門,計6門装備)観測下士官で一度佐渡丸でガダル往復したと聞き,参考までに戦況を教えて貰う。その弟さんは第3小学校で学校対抗の喧嘩仲間であり,又真宗安養寺日曜学校の仲間でもある。色々と島原の昔話等懐かしいひとときだった。
 午前7時頃敵飛行機と接触,空襲は時間の問題となる。佐渡丸は船首,船尾に6門の高射砲,船橋には高射機関砲(HMA)高射機関銃(HMG)がぎっしりと砲座を占めている。実に頼もしい限りと思ったが?
 午前10時過ぎ,いよいよ空襲警報鳴る。ちょうどその時高射砲隊のところにいたが,船団の彼方に敵機群が見えてきた。護衛の駆逐艦は防空弾幕を打ち上げ全速力で突進している。佐渡丸も全速を上げジグザクで突っ走る。敵機は数群に分かれ船団めがけてやってくる。
 爆撃の急降下ブーンと音が大きく,高射砲隊も砲口を開く。すごい撃ち合いになって来た。機関砲,機関銃が一斉にバラバラと撃つ。ヒュルヒュルと風を切ってくる爆弾,危うくそれた弾が海面に水柱を上げ爆発する。敵機は次々に群がり降下してくる。繰り返される投弾に海面は水柱水煙で一杯だ。「非戦闘員は船内へ」と船員がいう。山砲を積載した船倉へ行く。
 山砲も甲板に置くべきだったと砲身を撫でる。外では敵機の急降下ブーンとくると高射砲のドンドンドン,圧迫してくるような金属音,高射機関砲,機銃のバラバラという音。ヒュルヒュルと聞こえれば頭上を通過したと思われ,先の海面で爆発している。繰り返し繰り返しよくやってくるが,佐渡丸も優秀船だけあって左に右に爆弾をかわしつつ全速航行している。然しこれだけしつこく波状攻撃を受けたら逃げ切れるのは難しい。あっと思う瞬間船が大きく飛び上がり,船倉内に積んだ弾薬箱が崩れる。小生も倒れ左手が弾薬箱の下敷きとなりなかなか抜けない。上を振り向くと硝煙が立ちこめ舷側に穴が開き,波の反射の光が船倉内を揺れて照らしている。余程の至近弾が海面で爆発したものだろう。やっとのことで左手を抜き出して見たが,傷はない。が時計は10時54分で止まっていた。
 甲板上は相当にやられ混雑を呈して居る様だ。又船が飛び上がった。今度は船橋に落ちた模様だ。甲板がざわめき機関砲座では戦死傷者が出たらしく,船倉内へ射手交替を呼びかけている。待機の歩兵が命を受け船橋へ駆け上っていく。戦死傷者は階段をわめきながら引きずるように船倉内へおろしている。
 爆撃を終えた敵機は今度は銃撃でやってくる。甲板上は修羅場と化し船橋付近に転がる無残な屍体呻吟する重傷者,甲板は血だらけで煙突には人の脚がぶらさがっている。「火事だ」という大声。消火班も編制されたが,消火栓が破壊されおり水が出ない。弾火薬を満載しているので急遽消火せぬと危ない。やっと敵機も遠のき,皆鋭意消火に努めた。それまでやられっぱなしで他船のことは忘れていたが,甲板に出て海上を見る。右舷の彼方に火焔に包まれた船が一隻,傍らに駆逐艦がついている。亦佐渡丸の陰になり後で発見できたが,火焔に包まれ船尾は海波,船首は空を向いており,沈没寸前の船がある。日本軍船舶がこのようにやられている有様を見ると,本当に何も言えなくなった。佐渡丸もやや右に傾き船橋が吹き飛んでいるので,船首より伝令で船尾操舵室に方向を指示,船尾で舵を取る。
 再び熾烈な護衛艦の対空弾幕。敵の大編隊だ。急降下。高射砲機関砲銃。風を切る爆弾の音、爆発の音。敵もさることながら、歩兵高射砲隊、佐渡丸の船員、運転もなかなかの勇戦奮闘である。歩兵の分隊長が突然大声で万才と叫ぶ。指差す方向を見ると敵機が切揉みし乍ら落ちてゆく。又紅蓮の炎に包まれた敵機から落下傘で降りてゆくのも見える。思わず「やった」と喝采を叫ぶ。ふと我に返り気がつくと佐渡丸は停止して静かになっており、エンジンの音も聞こえない。戦死した船長に替わり運転していた一等運転士が「船は動きません。兵隊さん、乗艇準備してください。」と言って廻っている。
 乗艇どころか海に飛び込むつもりでいたところだ。「全員甲板に集合」で総員退去の命を待つばかりだった。皆話し合う。一番近い島はあそこだと言いながら、サンタイザベラ島を指すものがいる。海に飛び込むのも、こんなに大勢いると恐くはない。島まで何粁か。10粁はある等思い思いの距離を言い合う。皆水筒に水、飯盒にはご飯を炊事場で一杯詰め込み司令官の命を待っていたが、突如エンジン音が聞こえだした。船が動き出したのだ。皆喜び合う。
 船倉へ引き揚げようとした時「○○ハッチ火事です」と叫ぶ声。山砲を置いているハッチだ。弾薬を一杯積んでいる。「大変だ」と皆、桶、樽などに水を入れ消火に努める。船橋でも機関砲座が引火してパンパン破裂している。
 15時頃漸く鎮火した。船はイザベラ島に擱坐の予定であったが、このままで全然戦闘力がないと言うことでブインの出発地に引き返した。
 ガ島へは広川丸、山月丸、山浦丸、鬼怒川丸の4隻が突入。15日午前2時より6時迄揚陸を強行するが、海空よりの猛攻に撃沈又は浅瀬に乗り上げ炎上。この時2000名が上陸、ガ島日本軍は27000名になった。揚陸した米は1500俵で、日本軍の約1週間分である。
 
 その頃のソロモン状況。

 昭和17年9月14日夜、わが高速輸送船団4隻がガ島へ入泊するも空襲を受け、弾薬の1/5と半量の糧秣を揚げるにとどまる。
昭和17年9月17日、駆逐艦数隻によりネズミ輸送。不充分ではあるが総攻撃前の補給を完了。
 昭和17年9月18日、第2師団行動開始。だが兵は既に弱っており、ジャングルの中を重い砲身砲架を運搬するのに苦労し思うように進めない。
 昭和17年9月23日、夜飛行場に総攻撃をかけるも先頭揃わず相互の連絡も不能、支離滅裂の攻撃になってしまう。
 昭和17年9月25日、乏しい弾薬も使い果たし壊滅的損害を受け、空しく敗退。第17軍司令部は第2師団の敗北に懲りず、更に第38師団を揚陸させることにした。その先発隊を駆逐艦16隻で輸送、ネズミ上陸に成功。