1943-01-01から1日間の記事一覧

昭和18年7月

ソロモン戦隊はガダルカナルを占領され,今又ニュージョージア島も苦戦。飛行場も完成と同時に壊滅的に叩かれ,戦況は悪化の一路をたどる。此処に来て今更出るに出られず,引くに引けない情況となっている。 大本営も半ばニュージョージアを絶望視し,第8艦…

殺気立つ歩兵部隊

同日夕刻揚陸地点へ火砲荷物その他を取りに行く。中隊の兵40名引率海岸に向かう途中,今晩ムンダへ進撃中の13連隊歩兵と出会う。全員前鉢巻きで相当殺気だった様子に見える。路上途中で引率中の兵が前鉢巻きをした歩兵曹長に突き当たる。曹長は大声で「この…

昭和18年7月上旬,ニュージョージア進撃

我々山砲5中隊も駆逐艦に乗艦。歩兵13連隊等と共に駆逐艦数隻でニュージョージアに向かう。夜の空は真っ暗闇である。コロンバンガラ島近くまで来た時待ち伏せの敵艦隊に出会う。敵は遠方より砲撃してくる。夜間の米軍砲撃は花火打ち上げを見ているようで,き…

昭和18年6月 

敵はムンダの鼻先に横たわるレンドバ島に真昼間堂々と上陸。その間ガダルカナルの飛行場から間断なく米機が飛来,海上では魚雷艇や駆逐艦が威圧し,貨物船はゆうゆうと荷揚げしておる。それに何をしているのかハッパをかけている。(後で判ったが重砲の砲座…

昭和18年4月18日,山本元帥の死

戦況が厳しくなるにつれ陸海の別なく軍司令官が視察されることになり,又当時は誰という名前の発表もなく,ただ偉い人が来島視察されると言うことであった。ジャングル内で地面も水気があるので,4,5日前から海岸より砂を運び通過される道路に一米幅くら…

昭和18年3月中旬

レガタを駆逐艦で引き揚げ,ブインのジャングル内元歩兵の宿舎に入り,次の作戦を待つ。 或風も無い静かな闇夜の事だった。就寝中ミリミリーッ,ザザーパリパリッと大音響がした。思わず跳ね起きたが闇夜でどうしようもない。椰子葉で葺いた宿舎の屋根を突き…

昭和18年3月2日(「ソロモン海敵中突破」*1より)

ムンダ・コロンバンガラ島の飛行場造成に食糧・弾薬欠乏。補給のため種子島少佐指揮の駆逐艦村雨と峯雲は2月下旬トラック島出航,3月2日朝ラバウル着。米を詰めたドラム缶を200本づつ,25mm機銃弾,缶詰など上甲板に満載,3月3日夕刻ブーゲンビル島へ向かう…

昭和18年2月1日〜2月7日

この一週間日本駆逐艦20隻ガダルカナル往復。奇跡的に1隻も損せず半死半生の12000名の生存者救出に成功。1000名の捕虜を除き23000名以上が遂に再び帰らなかった。 然し海軍航空隊は航空基地重要性を痛感。ガダルとボーゲンビルの中間にあるニュージョージア…

椰子の木(根元80cm)倒し

中隊本部へ用件で出向き午前11時頃帰る。見ると分隊全員がマラリア熱で,この暑いのに毛布を被り「寒い寒い」と言って居り,中にはうめき声も聞こえる。30米横の第一分隊宿舎では,椰子の実をグイグイ喉を鳴らせて飲んでいる。それをうらめしそうに寝ながら…

南方ならではの魚獲り

昭和18年1月中旬,佐世保出身の同年兵T木という人は,小柄ではあるが万事に器用で分隊では無くてはならぬ人だった。同君が宿舎で初年兵に手伝わせながら何かコツコツと作っていた。その後宿舎裏の海辺のジャングルへ行き,海面に突き出た木に登って行った。…

昭和18年元旦

午前10時山崎少尉の指揮で水上基地着水場砂浜に一同整列。元旦の祝辞の後北の方に向い皇居,夫々の国元へ敬礼。ソロモンの苦戦も上聞に達しねぎらいの言葉が出たと聞く。今日は敵機も静かだ。