20年7月下旬

 中隊の週番下士を努めた時である。ボーゲンビル島の部隊はブイン、エレベンター地区へ集結の軍命下る。敵の上陸に備えのことと聞いたが、愈々玉砕の前準備かと兵は皆考えた。農園に植え付けた陸稲は未だ収穫には早い。出発は一週間以内だ。早いようだがそのままでは勿体無い。中隊で「早いが刈り入れして良い」と許可が出る。各兵は刈り入れ、三日くらい乾燥、その後鉄帽に入れ、径5糎長さ50糎位の棒を作り稲の籾殻取りに熱中した。大切な食糧なので小生も籾殻取りしたいが、移動準備のため中隊の事務其他の用件も多く自由が利かない。仕方なく鉄板の上に籾をのせて焼き、両手で揉んで不充分ながら籾殻を取り除き、靴足5足分をやっと出発までに仕上げた。週番下士も交代と同時に部隊はエレベンタへ向け出発した。約一週間くらいかかったと思う。行軍途中折からの雨に兵が歩き続けるので、道は田植え同様となり足も重い。ふと見ると道路脇の草の上に軍靴が落ちている。というより重いので捨てたものらしい。取り上げてみるとまだ立派なものである。小生の靴と比べてみると同じサイズだ。直ぐ履き替えた処捨てた靴を素足の兵がその侭足を入れ紐を結んで先へ立ち去って行った。夜になった。先が進まない。立ち止まって待つこと30分。雨で増水。渡河が遅れているという。吾々の順になり川の中に入ったが胸近くまでの水だ。川底の砂も流れておりじっと立ち止まっていても体は下の方へ移動する。お互いに倒れないよう流されないよう注意し合い手を握りやっと渡り終える。
 吾々中隊の後から渡河した大隊弾(?)の曹長佐賀市嘉瀬町出身)が渡河中、足を取られた兵を救助しようとして流れに押されていった。朝まで河下を探したが遂に行方は判らなかったと聞く。(合掌)
 夜は3人一組となり、一人は食糧収集、一人は使役、一人は宿舎作りと決める。
 ここでも夜は魚雷艇、昼は敵機の襲撃に悩まされた。

 第5中隊キエタ出発後、中隊の重症病者、火砲、砲弾、梱包其他を大発で運送、一週間後残留整理していた第3分隊もブインに到着したが悲しい話を聞く。
 それは5名でカヌーを漕ぎ農園に芋取りに行った時のこと。夫夫の天幕に一杯詰め込んで山を降り海岸に出てカヌーへ荷物を積み込み30米位沖へ漕ぎ出した時である。突然岸のジャングル内から狙撃を受けた。一同海に飛び込み身をかわしたが既にその時不運にもN村伍長は弾に当たっていたらしく海が真っ赤である。狙撃が止みカヌーへ乗って皆で引き揚げたが苦しそうである。手当もタオル等でグルグル巻きにして止血だけはしたものの、突然頭をあげて声を絞り上げ「天皇陛下万才」と叫び次第に言葉も弱くなって戦死されたと聞く。(合掌)

 タロキナ米豪軍に何か戦利品をと考えた土人が、先日大隊農園土人襲撃の折持ち去った歩兵銃、弾薬を携帯、農園に来た日本兵5名の後を着けた。自由のきかない狙撃に都合の良い海上30米程で5人か6人で一斉に狙撃してきたと推察された。
 N村伍長は佐賀県杵島郡白石町出身であるが次のようなことがあった。
 16年2月香港作戦黒山陣地に於いて沢本砲兵団約180門の火砲が一斉に火蓋を切ったその翌朝、我が陣地を測量した敵15糎砲の反撃を受けた。(ここで、T原上等兵戦死)敵射程の確実さに小隊長命で一時砲側を砲手全員で遮蔽した。その時3分隊の砲側を通るとN村伍長が一人毛布を被ってうずくまっている。「N村班長、命令が出たので一時退っている。まだいるのですか」というとN村班長は「天皇陛下より預かった砲をその侭おいて避退することは出来ない」と言ったので赤面したことがあった。
 これは私自身の考えだが次のように思う。
 砲は軍の中心として大事にせねばならない。然し我らは生命の続く限り生きて生きて砲を操作しなければならない。敵兵が砲の側迄来て破壊乃至分捕ろうとした場合、彼らと死を以て対決せねばならないと思う。生きて生き延び戦う決心だ。

 エレベンタに着いた部隊は山砲の砲座を何処へ置くかということで、敵機の合間を見て海岸に出る。中退の方針として砲3門を海岸線に備え、撃ち終わったら300米後方中隊本部陣地へ後退し一緒に玉砕するとの話である。
 私は「敵は上陸する前に爆撃が激しくやってくる。その後に艦砲がくる。ほぼ海岸線が破壊されたところへ上陸舟艇がやってくる。そこで海岸近くまで舟艇をそのままおびき寄せ一斉に射撃。撃ち尽くして空よりの攻撃もある中で300米後方迄退り得るだろうか。砲爆撃混戦の中でそれは無理、それより我々は砲が健在ならば砲の側で射撃し尽くして敵弾に倒れ死んでもそれが本望ではないか」と言った。小隊長は「そうだよな、然し中隊長がそのように命じたんだよ」ということで話は中断する。各地の玉砕状況は聞いているが、考えるとなかなか難しくなってくる。
 一応第2分隊砲列位置はY崎隊長指定位置にする。然し天候も良く風景もよく戦争さえなければ本当に立派な避暑地である。
 その時海上に敵機が現れ、続いて直ぐ同方向より日本軍機も姿を現し空中戦となる。どちらも海中に落ちたが一機からはパラシュートで飛び降りてくる。直ぐ海軍大発が救助に向かう。空中戦が終われば又のどかな風景である。
 タロキナ岬に上陸の米豪連合軍は、今のところエレベンタ、ブイン侵攻の気配はない。本当に真正面海上より上陸してくるものだろうか。いろいろの話を総合して、エレベンタ、ブインよりもっと重要な島々を飛石伝いに日本本土の方へ飛んでいっているのではなかろうか。
 事実最近敵の50機以上の重爆編隊とそれを護衛する小さな戦闘機群は重爆の周囲で速度をゆるめたり或いは宙返り等余裕を見せながら、頭上を通過する。何処へ行くのか判らないが既に我々を「相手にするのは馬鹿らしい。そのままでも自滅寸前の日本軍さん、一人前でない日本軍さん」と見捨てて通過しているようだ。