アランデル島へ

 組立式渡河用舟艇で日本の櫂で漕ぐ船である。砲身を二人で担いだまま乗船する。歩兵が乗ってきたので大声で「歩兵の軍旗と同じ砲身を積み込んだ。歩兵は特科隊を警備するのが当然だ。山砲早く積み込みするんだ」と叫ぶ。歩兵の将校が「では次に乗ろう」言って歩兵を下船させた。
 山砲一式積み終わって船は流れの早い海を静かに静かに漕ぐ。20分ほどでアランデルに着く。運命の岐かれ道とは一寸先も判らない。吾等も神ならぬ身の知る由もない。(合掌)
 アランデル島上陸。山砲機械等上陸地点より100米程奥のジャングル内へ搬入一休みする。
 これから先の移動方向がはっきりせず。長引きそうなので誰言うこともなく夜食になる。小生も座って飯盒にスプンを入れ口に頬張らんとしたところ、何か不愉快な臭いがする。思わず「亦誰か死んでいるな」つぶやいたところ、小生の左横に座り食事していたK池上等兵が「N田班長のズボンに銀蝿が一杯たかっていますよ」と教えてくれた。不審に思い左腰後方を振り向いてみてビックリした。銀蝿が真黒にたかっている。4日前岡の上で空襲を受けた時、土砂と共に何か重いものが腰に落ちてきたなと思ったが、爆弾の破片でやられていたことに気づく。重い砲身を担いで逃げ回ることに精一杯で、痛みを覚える間もなかったのだ。
 その時である。ヒュルヒュルと音がしたと思うと、たった今下船した付近でドカンと大きく破裂した。すかざず「衛生兵至急船着場へ」と繰り返し大声で叫んでいる。聞けば、先ほど渡河の乗船争いした歩兵で乗船中の真ん中に砲弾が落ち、死傷者多数を出したとの由。(合掌)
 今夜は現地点野宿となる。地面に水分が多く気になるが仕方がない。夜中目が覚める。見ると汐が満ちて服もジュクジュクだ。適当な木の枝がないかと探し、地上1米位の所に大きな枝が2本横にのびているのを見つけ、跨いで寝込む。猿ではないが内地の人で気に登り寝た人があるだろうか。
 翌朝腰の傷が気になり軍医に処置をお願いに行くが「2時間くらいして来てくれ」と言われそれまでの時間が待ち遠しいこと。愈軍医の診断を受けた。「よくこの傷で砲を肩にやってきた。今晩潜水艦が来るので先にブインまで帰り治療を受けたら」と言われる。「今になって砲を放任しブインへ行くより部隊と共にいます」とはっきり言った所「よしでは横になれ」といわれズボンを下げる。傷は約15糎直径で膿の中に蛆が動いているのが見える。初めて見る自分の傷、痛みが急にやってきた。他に治療中の衛生兵2名を呼び、足と腰を押さえさせた。「ちょっとの辛抱だ」の軍医の言葉に思わず「宜敷お願いします」と言おうとしたが、軍医の手はもう傷にメスを入れている。とうとう言葉も出ず「よろしくおねがいし・・・」と声が切れてしまった。メスは15糎程の傷の膿をこさぎ取ったらしく出血も相当あったことが、消毒で拭き取ったガーゼで判った。傷口を新しく再生ということで銀蝿を付着させないよう注意を受け、ガーゼを被せ周囲をテープで止めて貰った。ズキズキと痛む。
 その後四国善通寺出身のA吹上等兵が「弾薬運搬中左手首を撃たれました」と顔面蒼白となり、本当に痛そうに手拭きで手をグルグル巻きにしてやってきた。多分ムンダの海岸より撃ち込んできた弾にやられたものだろう。その後島では見受けられなかったので、その夜の潜水艦で退ったものと思う。戦後四国で会った人がいるので、一度会いに行ってみたいと思う。翌日コロンバンガラ島に近い海岸に移動したが、S木支隊本部より次のような命令が来た。
 「ムンダの海岸線に敵が亦何かを作っている。更に敵の上陸用舟艇が海岸の珊瑚礁を爆破し、アランデル島に向かって陣地を作っている模様。山砲を撃ち込め」と。
 大架(砲の脚)が半分爆撃で吹き飛んでいる旨を一応報告、射撃準備にかかる。T木君の器用な手さばきで、大きな棒を砲の脚に綱でぐるぐる巻きにしその上に乗ってみたが「これでよい」と自信満々に答えてくれた。他の砲手も椰子の枝葉を落とし、射撃の方角を広くし準備を終わる。命令「1800米高低なし、榴弾瞬発信管続いて撃て」。椰子の枝に触れないよう、方角を少しづつ移動、思う存分撃ち込んだ。がその後は数日間、敵機、ドドドドンに悩まされ重い火砲を担いで廻らされた。鬱憤というものだろうか。ムンダの海岸で作業していた米兵は、思いがけない日本軍の砲撃に慌て狼狽したものと思われる。海岸は一面に砲煙に包まれて居ると聞く。敵機もいなかったので50発程撃ち込んだ。
 射方止めの命で中止、砲を分解手入れをする。その時である。やってきたやってきた。敵のドドドドンである。吾々の所も当然飛んでくるものと用心していたが一発もこなかった。遂に吾々の射撃位置は判らなかったらしい。それから15分後である。ムンダと相対視警備していたアランデルの海岸歩兵陣地に、かなりのドドドドンが撃ち込まれてきた。相当の死傷者が出たらしく、タンカに担がれるなどゾロゾロと血だらけの歩兵が退ってくる。丁度山砲を組み立てている時でそれを見た。担架に横になった兵が「このクサレ山砲、お前らがいらぬ射撃をしたので吾々はその仕返しを受けたのだ。山砲を恨む。」と言い横目でにらみながら通り過ぎる。亦その後の担架からも「この腐れ山砲」とののしられる。10人程通過したが皆担架の上から「この腐れ山砲!」とののしってゆく。何れにしても軍命令であり言葉の返しようがない。戦死者も6名だったと聞く。(合掌)