昭和17年10月

 この最大激戦地ガダルカナルへ独山10連隊も全力をあげ参加することになった。
 吾々第五中隊は広東出発,黄浦,台湾高雄に寄港,下船は禁止されていたが,色々な話が出てくる。やれ豪州行きだ,否ハワイだ。先に行った日本兵は素足で腹を空かし,ジャングル内を歩いて居る等等。又将校の中には「これが日本の見納めだ,台湾人であるが日本婦人ともこれでお別れだ」と話す者もある。高雄に一泊しそれより南下,南洋諸島トラック島へとジグザグ航進の長い長い航海であった。途中珊瑚礁の白波を敵潜水艦に見立てた射撃訓練も実施された。
 愈ラバウル港である。手前のココポに上陸。馬も久々の青草に喜んでいる。
 敵機来襲。日本機も応戦に立ち向かったが海中に落ち,大発が乗組員救助に向かう。
 吾々はガダル行きと決定。これより先はいよいよ慎重さを要する。敵情もただならぬ状態であり,なかなか先に進めない。やっと,ブイン行き輸送船に乗船したが,個人梱包,馬具等必要以外はココポに残す。船は大きいが,船倉の区切りがなく速力もぬるく,敵機に会えば一発でその場限りである。
 ブインで下船待機するが,なかなか先に進めない。猶第一大隊は第一中隊をニューギニア戦線へ注ぎ込んでいたので,第二,第三中隊が既にガ島へ進出していた。第6中隊はその時水上機母艦千歳に乗艦していたが,事態の急変と千歳の速力装備戦力なきによりブイン基地に帰投してきた。
第38師団主力がラバウルより11隻の輸送船に分乗,駆逐艦11隻に護衛されブインに寄港する。待機中の第5,第6中隊はその1隻に間に合った。愈これでガダルの戦列に加わることができる。一応ホッとする。然し兵は,山砲弾3発,米副食物15日分をそれに小銃手榴弾装具合わせて60KG以上の携帯である。座って肩に担ぎ立ち上がろうとしても直ぐには立ち上がれない。互いに助け合うことにした。
 ブイン港内外には日本艦隊が堂々の姿を見せ頼もしい限りである。この艦隊は増強作戦支援のためトラック根拠地よりはせ参じたものと聞く。然しラバウル出発当時米軍は既に情報をキャッチ。ガダル上陸作戦を阻止せんとする敵艦隊はとの間に海軍は死闘を繰り広げた。これが12日より3日間の第3次ソロモン海戦である。吾々5,6中隊は砲6門兵員100名近く佐渡丸に乗船する。船団は広川丸,山月丸,山浦丸,鬼怒川丸,佐渡丸,長良丸,かんべら丸,那古丸,信濃丸,ありぞな丸,ぷりすべん丸の11隻である。吾々の乗船佐渡丸は当時最優秀船で7200屯速力17節の快速船であるが,船団を組めば低速船に合わせ11節に制限,然もジグザグ航進である。軍上層部も乗船して居ると聞く。船団輸送そのものが戦闘であり,総てが決死でかからねばならない。
 敵制空権下の海上で,重い装具を担い火砲の積み替え等無事出来るだろうか。不安であるがやらねばならぬ運命に立つ。軽いスコールに暮れる。