国家財政と家計の違いは何かな?(その7 地域通貨)

■ 通貨の発行者の通貨の累積収支は「赤字」

 その4で述べたように、偽札でも出回らない限り、通貨の発行者は、発行した以上の通貨を徴収することはできません。従って、累積収支は「赤字」にしかなりませんし、それで何も問題ありません。通貨を発行するのは、政府が公用で使うものを調達するためというよりも、国民にお金を使って経済成長してもらうためです。公用の調達目的だけなら、通貨を発行して使うなどと回りくどいことをせずに、直接、必要なものを供出させればよいわけで、実際に年貢米というものがありました。政府はその権限を持っています。

 通貨の発行に当たっては、調達の対価という形式で支出し、通貨として使えるという信用を与えています。政府と国民は対等な立場で商取引を行っているのではありません。また、信用を損なわないよう、通貨発行者が注意しなければならないのは、通貨流通量を適正に調整する事です。穏やかなインフレで通貨発行量が増えていくことが経済成長であり、政府財政は、一時的に黒字になることはあっても、長期的には適正な赤字でなければなりません。そもそも、通貨発行者に対して赤字とか黒字という言葉を使うこと自体が間違いでしょう。

 しかし、財務省は馬鹿の一つ覚えのように「健全財政」という念仏を唱えるばかりです。健全財政が「黒字」を意味するのならば、その馬鹿馬鹿しさは、単純化した地域通貨を考えてみることでよくわかります。

 

■ 地域通貨の発行と回収

 地域通貨は、地域活性化のために「使われる」ことを前提とした通貨です。貯蓄には適していません。例えば、マイナス金利や使用期限を設けて、ため込まずに使わせるようにできています。

 地域通貨を手に入れるには、ボランティア活動を行うほか、日本円で買うなどの方法があります。前者は、ボランティア活動を事務局が発注し、地域通貨で支払うとも解釈でき、国の公共工事等の発注に対応しています。

 後者の場合は、地域外の観光客などが日本円を地域通貨と交換するような例があります。普通は、地域通貨を日本円には替えることはできないので、地域内で消費するしかありません。これは、日本円という外貨を得たことに相当します。

 以上が地域通貨の発行になりますが、使用期限がある場合は、特に、税として回収する必要はありません。徴税は通貨流通量の調整のためで、支出に使う為の収入ではないことが、地域通貨だと理解しやすいと思います。地域通貨では、徴税しなくても、期限が来れば消滅し、流通量は発行だけで調整できます。

■ 地域通貨事務局の収支

 地域通貨の事務局は、日本円での会費を徴収する場合もありますが、地域通貨は徴収しません。従って、支出だけあって収入がないのですから、事務局の「地域通貨の収支」は、当然「赤字」です。事務局の「赤字」が地域住民の「黒字」であり、「黒字」自体は単なる数字もしくは紙切れに過ぎませんが、経済活動に使われ、実体的な富を生み出します。それが地域活性化です。

 では、事務局の人件費などの経費はどのようにしているかといえば、ボランティア活動や日本円での会費で賄います。地域が活性化して潤えば、そのごく一部を戻せば済みます。というか、ごく一部で済まないようであれば、地域は活性化しておらず、地域通貨は失敗です。

 このように、事務局の運営と地域の活性化が地域通貨では明確に分かれています。地域の活性化のために地域通貨を発行し、その管理のために事務局は運営されるわけで、事務局の運営のために地域通貨があるのではありません。以上について、大抵の人にはご理解いただけると思います。

 ただ、世の中にはいろんな人がいて、国レベルの規模になり、さらに事務局(政府)の運営も地域経済(国民経済)も同じ日本円で行われていると、ご理解いただけない人々も少なからず存在します。

■ 財務省地域通貨(フィクション)

 日本村の財務省は一風変わっていました。新しく地域通貨を発行しようと計画しましたが、そのために地域通貨を集めようとしたのです。つまり、世の中に存在しない「地域通貨」を税金として徴収しようと不可能なことを考えました。さすがにこれは無理なので、とりあえず地域通貨を発行しました。しかし、これはバラマキであり事務局の「赤字」ということなので、解消しなければならないと決意しました。とはいえ、集めた地域通貨を全く支出しない訳にもいきませんので、多少はボランティアに支出しました。ただし、全額支出はせずに必ず手元に残す「黒字」の健全財政を目標としました。累積では絶対に黒字にはなりませんが、単年度の収支では黒字もあり得るため、妄想の目標が実現すると信じ込んだのです。その目標に向かって邁進し、やがて地域通貨は総て回収され、累積赤字も解消しました。ただし、地域経済は活性化どころか、停止しそうになりました。現実には日本円や民間通貨が使われて経済活動は続きましたが、財務省という地域通貨事務局は地域通貨と共に消滅しました。

国家財政と家計の違いは何かな?(その6 日銀当座預金は何のためにある)

 先ず、言い訳です。本シリーズは、素人が財政、経済、金融を聞きかじって自分なりに確信したことを書いてきましたが、今回は確信がありません。確信がないと、言い切ることができないので文章が長くなって書くのが面倒くさくなってきました。そこで、あえて言い切ることにしました。言いきっていますが、怪しいこと書いてます。

 

■ 日銀当座預金の原資は何?という質問

 ネット上には、もやもやしたQAがあります。

日銀当座預金の原資はなにか?

日銀当座預金は、日銀に銀行が預けているのか、日銀が銀行に貸しているのか?

 これらの回答は分かるようでよく分からない釈然としないものが多いですが、形式的な答えは明確で、日本銀行が模範解答しています。

日本銀行が取引先の金融機関等から受け入れている当座預金のことです。

 つまり、銀行が日銀券を預けています。では、その日銀券を銀行はどのようにして手に入れるかというと、銀行の取引先が預けたもので、さらにその現金は日銀が発行しています。ということは、日銀当座預金の原資は日銀が提供していることになります。ただし、何もせずに、日銀がお金をくれるわけがありません。何かと交換してしているはずですが、何でしょうか。もやもやします。

 さらに、次のような事実もあります。

金融自由化以前は、銀行は準備預金の大部分を日銀から借入することにより調達していた。自由化以後は、インターバンク市場で他の銀行からの借入により行っている。

 金融自由化以前だと、日銀から借りて日銀に預けていたことになります。これは一体何をしているのでしょうか。また自由化以降のインターバンク市場というのは、日銀当座預金に余裕のある(法定準備率より多い預金がある)銀行から他の銀行が借りるのですから、日銀当座預金の中で融通しあっているだけです。相撲協会年寄株みたいです。

 この疑問と少し違いますが、似たような疑問もあります。

whatsmoney.hateblo.jp

 ここで、言われているのは、日銀は、日銀当座預金を民間銀行から調達したのかという疑問です。冒頭の疑問は、その逆で民間銀行は日銀当座預金に預ける現金をどこから調達したのかです。鶏と卵の議論みたいですが、明らかに日銀が最初に日銀券を生み出しています。「収入」、「支出」、「借金」という言葉は、お金を発行する政府日銀の行為に使うことは不適切ですが、「調達」や「原資」も同様です。言葉使いの間違いです。

■「負債」という言葉の意味

 再び、基礎の基礎にもどり、負債としてのお金の発祥を考えます。物々交換は時間的に同時に行われ、両者は対称な関係にあります。しかし、先ず、釣り針を受け取り、後で釣れた魚を渡すのは、時間的に非対称な関係になります。将来は不確実なので、履行を保証する借用書を書きますが、それがお金の発祥でした。借用書があっても確実とはいえないので、利子をつけて補います。交換しているものは、物品と紙切れ(信用)で、全く性質が異なります。

 また、借用書を発行する側が負債を負い、その時点ではまだ取引は完了していません。後で負債を負った側が約束を果たして、取引完了です。完了すれば借用書は消滅します。最初は釣り針と借用書を交換し、次に、借用書と魚を交換するという二段階があります。現在ではお金を使った取引が普通ですが、それらは、本来の取引はまだ完了していないとも言えます。負債を負った人がいなくなって完了だと考えれば、貨幣経済では、多人数の間の複雑な取引が継続して行われ決して終わることなく続いていることになります。

■借用書と借用書の交換

 さらにややこしいことに、借用書と借用書の交換も行われます。現代の金融ではそれがほとんどです。さて、この場合の負債を負うのはどちらでしょうか。それは、信用度の低い借用書を発行した側でしょう。信用度を定量化すれば、借用書の利息になります。利息の小さい借用書は、信用度が大きいということになります。

 この例として、銀行の融資があります。融資では、直接、現金を貸すのではなく、融資を受ける側の借用書と銀行の借用書を交換します。銀行の借用書とは銀行預金のことです。銀行預金は現金と交換を約束した借用書です。非常に信用度が高く、現金に交換せずに預金のまま取引に使われるので、現金と同じ通貨と日銀も認めています。現金や当座預金には利息はありませんが、融資を受ける側の借用書にはしっかり利息があります。融資とは銀行が貸し手側というのが常識的解釈です。

■ 銀行預金通帳を通帳発行銀行に預ける。

 ここから、仮想的な話になります。当座預金には預金通帳がありませんが、仮に通帳があったとしても、預金通帳を銀行に預けることは普通しません。会計的意味がほとんどないからです。そんなことしても、預金通帳預かり証(預金通帳の通帳)を銀行に持っていき、預金通帳を引き出して、その預金通帳を銀行に示して現金を引き出すことになり、手間が増えるだけです。

 普通預金には通帳がありますが、預金者は、それを発行銀行に預けません。借用書の発行者に借用書を預けることもしません。ところが、それと同じことを銀行はしなければなりません。日銀が発行した通貨を日銀に預けたのが日銀当座預金だからです。

 日銀券も日銀当座預金も日銀の負債なので、その信用度は同じです。銀行にとって、日銀券と日銀当座預金を交換(現金を日銀に預けること)しても、意味はありません。どちらかの負債が増えたということもなく、同じようなものを交換しただけなので、片方がもう一方に預けたとか、貸したとか、そういう解釈もできません。会計的には、何の変化も起こっていません。

■ 当座預金とは

 では、何故日銀当座預金があるのかを考えるにあたり、先ず民間銀行にもある当座預金の機能をおさらいします。当座預金の「当座」とは「さしあたり」の意味です。当座預金には、お金を長期間保管するとか、銀行に運用を委任し利子を得るというような用途はありません。現金を使わずに、取引相手との決済を効率的に行うためのものです。日銀当座預金も同様で、銀行間の決済や、政府から民間への支払い(支出)や民間からの徴税・国債代金受け取り(回収)に使うものです。

■ 日銀当座預金の残高は別に何も表していない

 日銀当座預金は決済(お金の受け渡し)に使うだけで、政府口座の残高が政府の財政状況を表しているものでも、民間銀行口座の残高が銀行の経営状況を表しているわけでもありません。しかし、ボーっと生きていると、家庭の収入を預けている普通預金の残高のように見えてきます。そこに付け込んで、財務省は子供だましのたとえ話をします。たとえ話は私も好きですが、ボーっと聞いていると、子供だましの与太話に騙されます。最近も週刊現代が騙されて記事を書いていました。お金を発行できない庶民の住宅ローンをお金の発行できる政府日銀の国債にたとえています。

gendai.ismedia.jp

■「日銀当座預金の原資はなにか」の答

 最後に冒頭の疑問への答えをまとめます。

  • 日銀当座預金は、日本銀行が民間の金融機関等から受け入れている当座預金です。
  • 民間の金融機関等は、日銀当座預金に預ける現金を取引先との取引で得ます。取引とは借りることです。金融機関は直接的な物品サービスの生産は行わないので、物品サービスとの交換ではなく、なんらかの借用書と交換します。
  • 現金が一番最初に日銀から民間の金融機関に渡るのは、政府が何らかの支出をしたときです。例えば、公共工事を発注すれば、建設会社の取引銀行の日銀当座預金に現金が振り込まれます。

 紆余曲折はあるものの、政府の支出が民間銀行の日銀当座預金の源です。そして政府の支出とはお金の発行のことです。銀行は何もしないでお金を得たように見えますが、建設会社に対する負債としての銀行預金ができますので相殺します。銀行は政府と物品サービスを提供する建設会社の仲介をしているだけです。その仲介に使うのが日銀当座預金です。

 政府日銀には、「原資」など必要ありません。自分が発行した日銀券と交換して、公共工事などの物品サービスをえる権限があります。

国家財政と家計の違いは何かな?(その5 お金を発行できるのに「借金」するのは何故)

■ 国債は何の為に発行するの

 財務省は、国債を支出の財源だと説明します。でも政府日銀はお金を発行できますから、支出のために借金する必要はなく、明らかに嘘です。国債を発行する理由は別にあるはずです。その理由は、国債を発行して支出する場合と、支出だけする場合では、結果にどのような違いが生じるか確認すると分かってきます。

■ 支出だけするとどうなるか

 政府が支出するときの具体的手続きは、次のリンク先に説明してあります。

 

38news.jp

 

 それによると、政府が建設会社に10億円の公共工事を発注する場合の手続きは以下の通りです。

  1. 政府は10億円の政府小切手を建設会社に渡す。
  2. 建設会社は政府小切手を取引銀行に持ち込み「政府からの取り立て」を要求する。
  3. 銀行は、建設会社の預金口座へ10億円を記帳し、代金の取り立てを日銀に依頼する。
  4. 日銀は、「政府の日銀当座預金」から「銀行の日銀当座預金」に10億円を振り替える

 以上は、すべて、民間銀行や日銀の預金口座の数字の操作だけで現金の移動はなく、結果は、「政府の日銀当座預金」が10億円減り、「銀行の日銀当座預金」と「建設会社の取引銀行の預金」が10億円ずつ増えます。これを、イメージしやすくするため、現金の移動に翻訳してみます。

  1. 政府は日銀当座預金から10億円の現金を引き出し、建設会社に渡す。
  2. 建設会社は10億円を取引銀行に預ける。
  3. 取引銀行は預かった10億円の現金を日銀当座預金に預ける。 

 最初、日銀にあった10億円の現金は日銀に戻ってきて、前の数字だけの操作と同じ結果になります。政府はお金を発行したわけですが、民間の現金が増えたのではなく、民間銀行の預金が増えています。いずれにせよ、市中に流通するお金(民間銀行預金)が増え、政府の日銀当座預金から銀行の日銀当座預金へ10億円が移動したという結果になります。

 

■   国債発行して公共工事を発注した場合

 この場合は次のようになります。

  1. 政府が発行した10億円の国債を民間銀行が買う。その結果、民間銀行の日銀当座預金から政府の日銀当座預金に10億円が移動する。
  2. 政府は先ほどと同様に、建設会社に工事を発注する。その結果、政府の日銀当座預金から銀行の当座預金に10億円が戻り、民間銀行預金は10億円増える。
  3. 日銀当座預金は最初の状態にもどり、市中に流通するお金(民間銀行預金)が10億円増える。

■ 支出だけした場合と国債発行し支出した場合の結果の違い

 どちらの場合も市中に流通するお金が増えるのは同じですが、支出だけ行うと、日銀当座預金の状態が変わります。これが変わると金利等に影響します。これは日銀が金融政策でコントロールすべきものですが、政府の支出で影響を受けてしまいます。

 それに対して、国債を発行して支出すれば、金利には影響しません。

 

■ 政府と日銀のしていること

 日銀は日銀当座預金の残高を調整して金利を制御します。あるいは、金利を調整して残高を調整します。これは金融政策といわれています。また政府は、支出や税の徴収、国債発行などで、通貨の流通量を制御します。これは、財政政策といわれます。これを行うのは、国民生活にもろに影響する景気や物価を制御するためです。

 つまり、国家財政の支出や徴税や国債は、これまで繰り返し述べてきたように、家計の支出や収入や借金とは全く違うのです。財務省が家計と同じ用語を使って財政危機を訴えるのは詐欺師のミスリードみたいなものです。支出は通貨の発行であり、徴税や国債は通貨の回収と考えるべきです。発行した額以上の回収はできませんので、国家会計は「赤字」になるのが普通です。順序として、まず通貨の発行をしなければ回収はできませんので、「赤字」は当然です。累積で「黒字」になった状態とは、すべてのお金を回収したということで、世の中のお金がなくる事です。これを目指す財務省は頭がおかしいのではないでしょうか。

 なお、政府日銀発行の通貨以外に、銀行が信用創造で生み出した預金という通貨もあります。これも考慮を入れれば、政府日銀発行額以上の回収も可能のように一見、思えます。しかし、多分無理です。簡単に言えば、日銀当座預金は政府日銀発行の現金扱いのお金しか預けられそうにないからです。これについては、別記事で考えてみたいと思います。

 

■ 民間資金の枯渇ってなによ?

 財務省は、国債をいわゆる「借金」に例えて、財政破綻になると脅します。多額の国債を発行すると民間資金が枯渇し、金利が上昇するとも言います。確かに、国債を売って民間から回収したお金を金庫に仕舞っておけば枯渇します。実際は支出して民間に戻すので、枯渇するはずがありません。前述の通り、政府会計が黒字を続けると枯渇するのであって、全く逆です。財務省は何を考えているのでしょうか。

国家財政と家計の違いを考えてみた(その4自分が書いた借用書を貯めこんで喜ぶ財務省)

  • 自分が書いた借用書は破りすてる

 借用書を借主に示せばお金が得られます。なので、貸主以外にとって借用書は価値があります。しかし、当たり前ですが、借主が持っていても価値はありません。普通、借用書が借主の元に戻ってくれば、破り捨てられます。昔のドラマでにあるシーンです。

  • 預金通帳は銀行の借用書

 同様に、通帳を銀行に示せばお金を得られますので、預金通帳は銀行が借主である借用書みたいなものです。お金を預けた口座主が貸主です。銀行預金は他の口座に振替や振込ができますので、通貨としても認められています。一々、現金をおろして、他の口座に預けないでよく、預金のまま流通しますからね。

  • 借用書の裏付け

 銀行預金は、現金を預けるほかに、融資によっても生まれます。融資先の借用書と銀行の借用書である預金を交換するわけで、信用創造と言われます。つまり、預金の裏付けには、口座主が預けた現金である場合と融資先が書いた借用書の二種類があることになります。信用創造と言っても、無制限に生み出されるわけではなく、融資先の返済能力に制限されます。それはそうでしょう。

・戻ってきた借用書は消滅する

 さて、非現実的な思考実験みたいな問です。預金は通貨と認められているので、融資先が融資を受けた直後に、その融資された預金で返済したらどうなるでしょうか。答えは、その預金は消滅するです。意味が分かりにくいと思いますが、これは融資先が預金から現金を引き出して、その現金を返済することと同じです。預金残高はゼロになって消滅しています。冒頭の借用書が借主に戻ってくれば、借用書が無意味になったのと同じです。預金は銀行の借用書です。この思考実験は、結局、融資を受けなかっただけのことですが。

  • 政府日銀に戻った現金は消滅する

 さてさて、現金は政府日銀の借用書です。兌換紙幣時代なら、金と交換できましたし、現在では、納税したと認められます。だから信じられないかもしれませんが、奇をてらった言い方をすれば、政府日銀に戻ってきたお金は消滅します。支出するときは新しく発行すれば済みます。とはいえ無制限に発行できないのは銀行預金と同じです。融資先の返済能力に相当するのが、民間の経済力です。

  • 銀行や政府日銀のお仕事

 つまり、銀行は、融資によって、融資先が利益を上げるようにするのが仕事です。その結果、負債である預金は返済と相殺して消滅しますが、利子の分だけ儲かります。また、融資先も成長します。同様に、政府日銀は、お金の発行によって、国民が利益を上げるようにするのが仕事です。その結果、負債であるお金は納税などで政府に戻ってきて消滅しますが、経済発展によって納税額は、利子が付くように増えます。また国民も経済成長によって豊かになります。その過程でお金は発行(支出)され増え続けます。

  • 自分で発行したものの収支は、基本「赤字」

 銀行が発行した通貨である預金も、政府日銀が発行したお金も、自分が持っていても無意味なものです。融資先や国民の取引の交換手段として使われて意味があります。これまた思考実験で、銀行の収支を自分が発行した預金で考えると基本的に「赤字」になります。「支出」は新しく増えた預金額で、「収入」は、引き出された金額なのですからそうなります。「収入」とは、預金通帳から消された金額であり、一昔前の銀行の窓口で現金引き下ろす時に提出した書類みたいなものです。ある期間に限れば「黒字」もあり得ますが、別に銀行にとって嬉しくもないでしょう。トータルで見れば、自分で発行した以上の額は戻ってくるはずがありません。

 財務省は、預金引き出しの申請書や自分が書いた借用書を集めて「黒字」なったと喜んでいる変わり者です。国民を豊かにする気はないようです。

国家財政と家計の違いを考えてみた (その3 政府は徴収した税金を支出しているのか)

 家計では、収入のお金を支出します。支出が収入を上回れば赤字となり、借金せざるをえません。借金が増えれば、そのうちに貸してくれるところが無くなり、破産します。財務省は国家財政でも同じことが起きると言います。しかし、政府日銀はお金を発行できるので、直感的に財務省の主張はおかしいと感じます。とはいえ、野放図にお金を発行すれば経済が滅茶苦茶になりそうではあります。

 

 政府は税金を集めて、それを支出しているように見えますが、集めるお金は政府日銀が発行したものです。お金の発行は、どこでなされているのでしょうか。財務省の主張では、そこのところがぼかされています。これについて、基礎の基礎から考えてみました。もっとも、私には、応用の知識は全くないので、基礎的なところを考えるしかないのですが。

■ お金とか何?

 先ず、お金がどういうものか考えます。お金の発祥は、次のように説明されます。

 漁師は魚が釣れたら5匹渡すという証文を書いて、鍛冶屋から釣り針1本を受け取った。釣り針を得た漁師は魚を20匹釣り、5匹を鍛冶屋に渡して証文を取り戻し廃棄した。ある時、鍛冶屋はこの証文を農民が持っている野菜と交換した。このようにして証文が流通し、お金となった。(諸説あり)

 証文とは、将来何らかの義務を履行するという約束を記した書類です。証文自体は紙切れに過ぎません。将来約束が履行されて初めて価値が発生します。証文の発行者は約束を果たす義務があるので、債務を負っていることになります。発行者に社会的信用があれば証文は、様々なものと交換可能となって、お金として流通します。兌換紙幣は金と交換するというのが最初の約束でした。では、不換紙幣は何と交換できるのでしょうか。納税証明と交換できるというのが一つの説です。お金の無い時代の税は、役務や年貢の類でした。これは権力者が国民に課した義務です。役務を果たし、あるいは年貢を納めたものには、二重取りを防ぐため納税証明書のようなものが渡されました。これがお金の起源になったという説もあるそうです。

■借用書は返済すれば破り捨てる

 ここから少しややこしくなりますが、納税証明書そのものがお金になったのではなく、納税証明書と交換すると約束した証文がお金です。これはつまり、役務や年貢ではなくお金で税を払えるということに他なりません。お金を受け取った政府はお金(納税証明書引換券)が再び使われないように廃棄します。借金を返済して借用書を取り戻した人が破り捨てるのと同じです。破り捨てずに借用書が誰かの手に渡ったら再び借金を返さなくてはなりませんから当然です。

 

 ここが勘違いしやすいところだと思います。権力者は徴収した年貢を廃棄しませんが、お金(納税証明書引換券)は廃棄して構いません。次の年貢徴収の時に使いまわしてもよいですが、盗まれないよう保存管理するより、必要な時に発行した方が簡単です。お金は発行者である権力者にとっては、債務であり、価値のあるものではありません。納税証明書引換券が通貨となれば、民間で取引に利用され流通しますが、政府に回収されれば廃棄されるものです。

■役務や年貢の徴収が、税金の徴収と支出に分かれた

 とはいえ、政府は徴収した税金を廃棄せずに支出しているように見えます。しかし、そのように見えているだけではないでしょうか。権力者には、お金の無い時代から、役務や年貢を徴収する権力があり、お金は必要なかったのですからね。後に、納税証明書(と交換を約束した証書)としてのお金が出来ると、それを支出することで役務や物品を得ることもできます。こうなると、税としてお金を徴収してそれを支出しているような順序に見えますが、役務や物品を直接、徴収することと結果は同じです。つまり、役務や年貢の徴収という一つの行為が、税の徴収と役務や年貢を得るための支出という行為に分かれたと言えます。言い換えれば、お金が発生した以降の政府の徴税は、支出まで行って完結するということです。それはそうでしょう。自分で書いた証文を持っていても仕方ありません。財政が黒字になったと喜ぶのは財務省ぐらいです。

■ 何故、二段階に分かれたのか

 二段階の徴税と支出に分かれたのは、民間で納税証明書引換券が取引に使われる通貨になったからではないでしょうか。実際には、民間発行の通貨も存在しており、それより信頼できる通貨として置き換わったのかもしれません。今でも、民間発行通貨は、多く使われていて、銀行預金がその代表です。

 

 前述のとおり、納税証明書引換券は政府に回収されれば消滅します。ところが、回収されるまでに、民間の取引で通貨として使用されるようになると、その流通量によって取引が円滑になったり滞ったりすることが分かってきます。世の中の景気に影響するわけで、ひいては税収にも響いてきます。

 

 であれば、経済活動のために適正量の通貨を発行することが政府の重要な役目になります。いわゆる財政政策です。支出の内容もさることながら、支出額(通貨供給量)が問題になります。ケインズが言ったように「穴を掘って埋めるだけでもよい」わけです。一方、徴税とは通貨の回収であり、もし支出と同額であれば、通貨の流通量の調整はできません。つまり、政府の会計は、経済状況によって赤字にしたり、黒字にしたりして通貨の流通量を調整しないといけないということです。黒字であればよい家計とは全く違うのですね。当然、徴税と支出は分かれることになりますが、徴税した税金を支出しているわけでないということです。

 

 しつこく繰り返しますが、財政黒字を喜ぶのは財務省ぐらいです。

国家財政と家計の違いを考えてみた(その2政府が支出せず、お金を貯めこみ黒字が増えるとどうなる)

 その1では、国債の借り換えを考えました。今回は、国家財政と家計は、全然違うよねという話です。特に「赤字」についてです。

 

■赤字と債務超過

 先ず、一般的な会計の基本知識を復習します。経営の本に書いてあるようなことです。赤字とはある期間の損益計算書において、費用(原価など)が収益(売上など)を上回る額です。マイナスの利益ですね。それに対して債務超過とはある時点の貸借対照表において、負債が純資産を上回った状態です。毎年の赤字が累積していくと負債が増えていき、純資産を全て売却しても負債の返済ができない状態になると債務超過です。

 

■赤字は日常茶飯事で、債務超過でも破綻するとは限らない

 家計では、費用と支出と言わずに、支出と収入ということが多いと思います。収入より支出が多いと借金(債務)で補わざるをえません。その借金が蓄積して家屋敷を売り払っても返済できなくなるのが債務超過と言えます。ただ、債務超過になっても破産するとは限りません。財産のない若者が借金すれば、即、債務超過ですが、お金を貸してくれる者がいれば何とかなります。お金を貸す理由には、「出世払いでいいよ」という銀行視点や、「資産家の親(や退職金)を食い物にできるぞ」という闇金視点などいろいろです。闇金も見放すと、万事休すで破産です。

 

■家庭、企業、銀行、国家財政の会計

 家庭では、働き手が働き、家庭の外から収入を得たり、借金したりしたお金を、家族の衣食住その他のために家庭の外に支出します。そのお金の出入りが家計簿です。

 企業も、生産活動を行い、企業の外から収益を上げます。その収益の一部を生産活動のために企業の外に支出しますが、借金が家庭より大きくなります。

 家庭や企業と銀行は少し違います。自らは生産活動を行わず、収益をあげそうな他の企業を見つけて貸し付け、利子付で返済をうけます。貸し出すお金は信用創造による預金です。預金には現金の裏付けは、ありませんが、貸出先が利子を付けて返済してくれるだろうという見込みがあります。出世払いみたいなものです。

 政府はさらに違います。自ら生産活動を行わず収益もありませんし、銀行のような貸付による利子収益もありません。国民から集めたお金を国民に配っているだけといえます。配ることを支出と言いますが、企業の支出とは全く様相が違います。企業は支出によって、原料や設備などの自分が使うものを得ますが、政府は社会資本などの国民が使うもののために支出します。これは、国民から集めた税金を国民に戻していることになります。だから税金は返済されません。ところが、借金である国債は、返済されます。借金して自分の服を買えば、返済するのは当然ですが、お金を預かって、預かった相手のために服を買っても、なぜか返済しなければならないのが国債です。何故でしょうか。

 以上のように財政と企業会計や家計はずいぶん違います。とても、同列に考えられません。とはいえ、お金を発行できる政府(正確には日銀を含めた統合政府)は、借金はいくらでも返せ、赤字は問題にならないというのは、少し乱暴に感じます。お金を発行できるなら、そもそも税金の徴収や借金の必要はないのですからね。お金の発行については別の回で考えることにして、今回は、財政の赤字を考えます。

 

■お金分配クラブ

 企業や家庭は、企業や家庭の外部から収入を得て、外部に支出します。それとは少しちがう架空のクラブを考えてみます。会員から会費を集めて、会員に再分配するだけの閉じたクラブです。無意味なクラブに思えますが、とりあえず架空なので話を進めます。このクラブの幹事が集めた会費以上のお金を分配するには、余裕のある会員から借金をするしかありません。さて、この借金は返せなくなることがあるでしょうか。

 表1を見ればわかるように幹事は必要なだけ会費を集めれば必ず返せます。段階5のところで会費を集め、段階6で返済しています。このクラブは内部でお金をぐるぐる回しているだけです。お金を会員以外に支出するか、会員以外から借金しない限り返済不能はあり得ません。とはいえ、1200以上の借金はできません。一方、家計は、家庭の外の勤務先からの給料や銀行からの借金を、八百屋で人参を買うために使うなど家庭の外に支出します。だから、返済不能はあり得ます。家計とクラブの大きな違いです。

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■国家財政

 海外との収支を無視すれば、政府は、国の中でお金をぐるぐる回しているだけですので、国家財政は家計よりもクラブ会計に似ています。政府は、国民のお金をただ集めて、国民のために使用(配分)しているだけです。労働の対価として国民から収入を得て、それを政府のために支出しているわけではありません。一部、役人が使う庁舎のような公用財産取得のための支出もありますが、ほとんどが国民の使う社会インフラなどの公共財産整備に支出されますからね。

 

■単なるぐるぐる回しから経済へ

 クラブでお金をぐるぐる回しているだけなら何の意味もありません。しかし、お金は使うことで増やせます。使うとは、実体的な物品や労働と交換することです。交換することで、利用されない資源が加工できる者へ移動して製品が製造されます。製品の価格は元の原料、設備の損耗費用、投入労働の価格より大きくなります。もし、通貨量が変わらないならば、お金の価値が上がるデフレになるはずです。しかし、このような経済成長では、むしろインフレになるので、どこかで通貨が発行されています。この過程についても別の回で考えることにして、経済活動で実体的な価値と通貨が増えることになります。例えば、釣り針と船を買った漁師は魚を釣ることができるので、魚という実体的価値が増えています。それだけでなく、通貨も増えていて、それを司るのは政府しかないでしょう。

 表1では経済成長しませんので、お金回しは無意味ですが、経済活動を行うクラブでは、余裕のある会員Aのお金を会員Bに回すことでお金が増えます。ならば、幹事は、会員Aから借金して他の会員に配分すべきでしょう。その結果、幹事の会計は赤字になりますが、家計の赤字とは意味が違います。クラブのお金の総額は幹事が借金した額以上に増えており、会費を集めれば返済できます。にもかかわらず、借金もせず会員への配分(支出)も減らし、幹事の財布にため込んで黒字になったと喜ぶ幹事は頭がおかしくなっています。

 

■ぐるぐる回しクラブ幹事の借金は返せる。

 経済活動を行うクラブの幹事は、もう殆ど政府と言ってよいでしょう。そして、会員から集めた会費を配分せず、ため込んで黒字だと喜んでいる頭のおかしい幹事に相当するのが財務省です。大局的に見れば、国債などの借金は支出した時点で国民に返済されたと言えます。表1で言えば、会員Aからの借金を配分した4の段階に相当します。幹事の金庫は空になり、会員の財布の合計は1200と元に戻っています。ただ、会員間での不均衡があるので、さらに会費を集め、会員Aに返済して不均衡を解消します。表1の6の段階で不均衡は解消し、2の段階に戻ります。表1では経済成長しないので、合計は1200のままですが、現実には、配分した4の段階の後で増えます。

 借金した表1の3の段階では幹事は120の赤字です。これが返済できなくなって破綻すると財務省は言っているわけです。しかし、会費を集めれば必ず返済できます。返済額が徴収可能な会員の持っているお金を超えることはあり得ません。グルグル回しですからね。経済成長がある場合は、その見通しが外れれば、返済できない可能性はあります。ですから、経済成長の見通しによって借金の限度額は決まりますが、借金は赤字だからダメということはありません。そんなことを言うのは財務省ぐらいです

 

■現実の経済は複雑だが

 なお、実体的な価値を生むのは資源や労働力のぐるぐる回しですが、お金を介して行うことで物々交換的経済より飛躍的に効率的で活発にできます。さらに、資源や労働力とお金の関係、つまり物価も変動します。貨幣量の調整という金融政策と、政府支出の調整という財政政策が絡み合い、物価や経済成長に影響し、そのメカニズムは素人の私には手に負えません。物価や金利の変動という時間の要因とさらに人間の思惑が関係するので簡単ではなく、専門家の意見もさまざまです。

 それでも、お金を発行できる政府が赤字を気にするのはおかしいと、素人の私でもわかります。むしろ、政府は自らが赤字になり支出することで、お金を回すのが仕事じゃないのと思います。経済成長のない表1では、借金や会費徴収は、合計1200を超えることはできませんが、経済成長があれば、将来の成長を見越して超えることが可能になります。この成長の見積もりが重要で、それに応じた借金をして、通貨も増やすのが任務だと思います。

 

■奇妙な財務省の任務

 頭のおかしくなったクラブ幹事と同じことを財務省がするのは、多分、財務省設置法に原因がありそうです。設置法には財務省の任務として「健全な財政の確保」とは書いてありますが、「国の経済発展に資する」のようなことは書いてありません。国民を貧乏にして、政府の財政を健全にしてもよいのです。国民が貧乏になれば財政も健全にはなりませんが。

 

■奇妙な総務部の任務

 会社でいえば政府は総務部です。総務部は会社全体の会計を健全にするのが任務だと思います。しかし、仮に総務部だけの健全な財政が任務になっていればどうなるでしょうか。直接的な収益のない総務部は、他の部の収益を上納させて、ため込むだけになり、いずれ会社は倒産するので、総務部も同時に消滅します。

 

■奇妙な審判の任務

 クラブの幹事と会員の立場は違いますし、政府と国民の立場も違います。同様に、スポーツの選手と審判の立場も違います。

 審判がレッドカードを選手に配布するスポーツがあります。レッドカードはマイナスのお金のようなもので、限度を超えると、退場させられます。選手がレッドカードを持っているのは赤字のようなものですが、立場の違う審判には関係有りません。試合を公正に進めるためにレッドカードを配る立場です。

 しかし、審判の任務が、「健全なレッドカード保有」となっていて、レッドカードを持っていると自分も退場させられると審判が心配しだしたらどうなるでしょうか。まず選手が殆ど退場させられ、試合続行不能になり審判も失業しますね。

国家財政と家計の違いを考えて見たー(多分その1)

 財務省は、財政を家計の赤字に譬えます。しかし、通貨を発行出来て、税金を徴収できる政府日銀の赤字を心配するのは、直感的にも奇妙に感じます。財政赤字と家計の赤字は何が違うのでしょうか。経済の専門家がいろいろ解説しているので正確な説明はそちらにまかせて、直観だけでなく、納得できて分かり安い説明についていろいろ考えてみます。テーマはいろいろあるので、シリーズになるかもしれません。とりあえず(その1)です。

 

■ その1 国債の借り換えは借金で借金を返すことか

 国債の借り換えは、借金の返済を借金で行うようなイメージがあります。借金はどんどん膨らんでいき、いずれ破綻しそうで心配になります。しかし、企業は基本的に借金で運営されていますが、金銭感覚に乏しいギャンブラーがサラ金地獄で破産するようなことにはなりません。そもそも株式会社は借金から始まります。そして、お金が回っている限り倒産はしません。

 

 表1.にそのイメージを示しています。なお、利子などは無視して簡略化しています。最初は10の借金から始まりますが、それを元に事業を行い、仮に売り上げと支出が同じつまり利益ゼロでも、最初の10は残りますので、それで返済できます。最終的に負債は無くなり、初期状態に戻るので、このサイクルは繰り返すことが可能です。実際には利益が出ますので企業は発展していき、利子も払えます。

 

 一方、借金で借金を返すサラ金地獄は、表2.のようになります。返済のために2回目の借金をするわけですが、その借金は残ります。このサイクルを繰り返すと支出分の借金が積み重なっていきます。売り上げがないのに支出だけするのだから当たり前ですね。

 

 国債の借り換えもなんとなくこのイメージを抱いてしまいますが、国には税という収入がありますので、正しくは表3.にようになり、これは企業の表1.と全く同じなんですね。表2.のイメージは明白に間違いと言えますが、かくいう私も財務省に騙されてそんなイメージを持ちました。国債の借り換えは借金で借金を返すことではないというのが、まず私の思うところです。

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 ところで、表3.は借金(国債)から始まっていますが、税収から始めれば返済も不要です。そして多分、国の場合は税収から始まると考えた方が妥当だと思います。鶏が先か卵が先かということでいえば、企業の場合は、まず元手が無ければ売り上げも上げられませんので、借金から始まる場合が多いでしょう。それに対して、国には徴税の権力があるので、税収から始まると考えるのが妥当ではないでしょうか。ただ、それだと借金する必要はありませんが、現実には国債という借金をしています。これは何故でしょうか。

 

 思うに、国債とは、余裕のあるものに税の前納をしてもらっているのじゃないでしょうか。前納すれば割引されるのが普通で、国債には利子がついて戻ってきます。例えば、投資的支出のために増税したいとします。ただ、増税は国民にほぼ一律に行われるので、低所得者への影響が大きくなります。そこで、経済的余裕のあるものに先に負担してもらうわけです。投資的支出が効果を表し、経済が発展し、国民の所得が増えれば税収もふえますので、そこから、前納(国債を買った)者に返済(償還)できます。

 

 あるいは、既に前納しているので、後で納税する必要が無くなったとも解釈できます。国債を借金と考えて、国が返済すると考えるよりも、むしろ、この解釈が妥当かもしれません。何しろ国には国民に対して徴税の権力があるのです。そして税金は国民に返す必要はないのです。国債も税と関連付けて考えた方が分かり安いし、そう考えれば家計の赤字との意味の違いが良くわかります。海外の投資家が買った国債は文字通りの日本国の借金と言えますが、ほとんどの国債は国内で買われていて、その支出は国民のために行われます。政府という日本国民とは別の組織のために使われるわけじゃありませんからね