国家財政と家計の違いを考えてみた (その3 政府は徴収した税金を支出しているのか)

 家計では、収入のお金を支出します。支出が収入を上回れば赤字となり、借金せざるをえません。借金が増えれば、そのうちに貸してくれるところが無くなり、破産します。財務省は国家財政でも同じことが起きると言います。しかし、政府日銀はお金を発行できるので、直感的に財務省の主張はおかしいと感じます。とはいえ、野放図にお金を発行すれば経済が滅茶苦茶になりそうではあります。

 

 政府は税金を集めて、それを支出しているように見えますが、集めるお金は政府日銀が発行したものです。お金の発行は、どこでなされているのでしょうか。財務省の主張では、そこのところがぼかされています。これについて、基礎の基礎から考えてみました。もっとも、私には、応用の知識は全くないので、基礎的なところを考えるしかないのですが。

■ お金とか何?

 先ず、お金がどういうものか考えます。お金の発祥は、次のように説明されます。

 漁師は魚が釣れたら5匹渡すという証文を書いて、鍛冶屋から釣り針1本を受け取った。釣り針を得た漁師は魚を20匹釣り、5匹を鍛冶屋に渡して証文を取り戻し廃棄した。ある時、鍛冶屋はこの証文を農民が持っている野菜と交換した。このようにして証文が流通し、お金となった。(諸説あり)

 証文とは、将来何らかの義務を履行するという約束を記した書類です。証文自体は紙切れに過ぎません。将来約束が履行されて初めて価値が発生します。証文の発行者は約束を果たす義務があるので、債務を負っていることになります。発行者に社会的信用があれば証文は、様々なものと交換可能となって、お金として流通します。兌換紙幣は金と交換するというのが最初の約束でした。では、不換紙幣は何と交換できるのでしょうか。納税証明と交換できるというのが一つの説です。お金の無い時代の税は、役務や年貢の類でした。これは権力者が国民に課した義務です。役務を果たし、あるいは年貢を納めたものには、二重取りを防ぐため納税証明書のようなものが渡されました。これがお金の起源になったという説もあるそうです。

■借用書は返済すれば破り捨てる

 ここから少しややこしくなりますが、納税証明書そのものがお金になったのではなく、納税証明書と交換すると約束した証文がお金です。これはつまり、役務や年貢ではなくお金で税を払えるということに他なりません。お金を受け取った政府はお金(納税証明書引換券)が再び使われないように廃棄します。借金を返済して借用書を取り戻した人が破り捨てるのと同じです。破り捨てずに借用書が誰かの手に渡ったら再び借金を返さなくてはなりませんから当然です。

 

 ここが勘違いしやすいところだと思います。権力者は徴収した年貢を廃棄しませんが、お金(納税証明書引換券)は廃棄して構いません。次の年貢徴収の時に使いまわしてもよいですが、盗まれないよう保存管理するより、必要な時に発行した方が簡単です。お金は発行者である権力者にとっては、債務であり、価値のあるものではありません。納税証明書引換券が通貨となれば、民間で取引に利用され流通しますが、政府に回収されれば廃棄されるものです。

■役務や年貢の徴収が、税金の徴収と支出に分かれた

 とはいえ、政府は徴収した税金を廃棄せずに支出しているように見えます。しかし、そのように見えているだけではないでしょうか。権力者には、お金の無い時代から、役務や年貢を徴収する権力があり、お金は必要なかったのですからね。後に、納税証明書(と交換を約束した証書)としてのお金が出来ると、それを支出することで役務や物品を得ることもできます。こうなると、税としてお金を徴収してそれを支出しているような順序に見えますが、役務や物品を直接、徴収することと結果は同じです。つまり、役務や年貢の徴収という一つの行為が、税の徴収と役務や年貢を得るための支出という行為に分かれたと言えます。言い換えれば、お金が発生した以降の政府の徴税は、支出まで行って完結するということです。それはそうでしょう。自分で書いた証文を持っていても仕方ありません。財政が黒字になったと喜ぶのは財務省ぐらいです。

■ 何故、二段階に分かれたのか

 二段階の徴税と支出に分かれたのは、民間で納税証明書引換券が取引に使われる通貨になったからではないでしょうか。実際には、民間発行の通貨も存在しており、それより信頼できる通貨として置き換わったのかもしれません。今でも、民間発行通貨は、多く使われていて、銀行預金がその代表です。

 

 前述のとおり、納税証明書引換券は政府に回収されれば消滅します。ところが、回収されるまでに、民間の取引で通貨として使用されるようになると、その流通量によって取引が円滑になったり滞ったりすることが分かってきます。世の中の景気に影響するわけで、ひいては税収にも響いてきます。

 

 であれば、経済活動のために適正量の通貨を発行することが政府の重要な役目になります。いわゆる財政政策です。支出の内容もさることながら、支出額(通貨供給量)が問題になります。ケインズが言ったように「穴を掘って埋めるだけでもよい」わけです。一方、徴税とは通貨の回収であり、もし支出と同額であれば、通貨の流通量の調整はできません。つまり、政府の会計は、経済状況によって赤字にしたり、黒字にしたりして通貨の流通量を調整しないといけないということです。黒字であればよい家計とは全く違うのですね。当然、徴税と支出は分かれることになりますが、徴税した税金を支出しているわけでないということです。

 

 しつこく繰り返しますが、財政黒字を喜ぶのは財務省ぐらいです。