確率が直観に反する原因らしきもの

 二人きょうだいの問題も、モンティホール問題も素朴な直観に反します。そして、どちらも条件付確率の問題です。ただ、モンティホール問題の場合は、司会者が必ず外れドアを開けます。つまり、条件の確率は1なので、事前確率と条件付き確率は同じになります。それを示したのが次の表です。上の表は、司会者が必ず外れドアを開ける場合で、下の表は当てずっぽうに開ける場合、つまり当たりドアを開けてしまうこともある場合です。

 この2つの場合の違いと似た関係が二人きょうだいの問題の「少なくとも一人は女の子」であると確認する二つの方法の違いにもあります。きょうだいの一人を確認して女の子であれば、「少なくとも一人は女の子である」といえるだけで、それ以上のことはいえません。それに対して、二人を確認すれば、「少なくとも一人は女の子である」という以上の「二人とも女の子である」や「女の子と男の子である」とも言えます。つまり、二人確認した場合は、一部の情報しか伝えていないわけです。

 司会者やきょうだいのお母さんが伝える情報を調整していて、さらに回答者も、調整していることを知っている必要があります。このような人為的な調整は、現実的な世界では普通はあまりありません。このような場合の事後確率は直観に反したものになるのではないでしょうか。それに対して、司会者が当てずっぽうにドアを開ける場合(風でドアが開いてしまうという偶然の状況と同じです。)や、きょうだいの一人が女の子であるとたまたま知った場合は、直観に合う確率になります。このような状況は、現実に経験することが多いのではないでしょうか。

 直観はヒューリスティックに磨かれるものなので、経験がある状況では結構、当たりますが、未経験の状況では外れます。感覚の話なので、断定はできませんが、確率の問題が直観に反することが多いのは、このような原因なのかもしれません。