公共空間のルール

bucchinews.com

 

 いま欧米では、男性器のついているトランス女性が女性専用スペースに入ることの是非が大論争となっている。女子トイレや女性用シャワールームにこうした人がいても、文句を言えば逆に裁判で訴えられ敗訴してしまうのだ。

 

 「自分の性別は自分で決める」という思想はトランスジェンダリズム性自認至上主義)と呼ばれている。ジョグジャカルタ原則から産まれたイデオロギーだ。アメリカのバイデン政権はこのトランスジェンダリズムに基づいてパスポートを改正し、男性・女性・Xという3つの項目から自由に選択していいとした。もちろん医者の診断書はいらない。アフター・コロナでインバウンドが増える中、アメリカから身体男性のトランス女性が温泉を訪れ、女性欄に印がついたパスポートを見せながら女湯に入りたいとゴネたらどうなるだろうか。もし立石弁護士がいうように運営者が断ったなら、日本は差別大国だと米国メディアは報道するだろう。

 

 性自認は、自由です。それは内心の自由であり、憲法でも保証されています。しかし、公衆トイレの利用区分は、内心の自由とは無関係じゃないでしょうかね。日本では18歳未満では運転免許は取得できません。自認は40歳だと主張しても戸籍の年齢が15歳では公道上で車の運転はできません。内心で40歳と思うのは全く自由ですが、運転を認めないのは年齢差別であるとは、米国メディアも報道しないでしょう。

 性自認のような内心について、他者がとやかく口出しできるはずがありません。口出ししようにも、内心は本人が口にしない限り、他者が知ることはできませんからね。また、口で言っている自認が嘘か真実かも他者には分からないのですから、内心で考えていることについて他者が間違っているとか正しいと判定して、その人の行動を拒否したり、認めるということもできません。運転を許可するか否かは、実年齢で判断するしかありません。そして、そのほうが行動制限や許可の目的に適います。

 銭湯や公衆トイレのような他者と共有する空間の男女の区分は、見た目で行うのが目的に適っています。一々、スポーツのセックスチェックのようなことを行ったりしません。見た目が男性なら女湯には入れません。その理由は、男の見た目(チンチンが付いていること)が同じ空間にいる女性に不快感や不安を与えるからです。完全な女性の肉体をもつトランス女性なら入れます。なぜなら、生物的な性別はチェックされていませんし、したくても現実的に手間が掛かり過ぎるからです。内心も生物学的性別も最初から関係ないのです。したがって、見た目が男性なら、女湯や女性トイレ利用の拒否は差別ではありません。内心の自認の性別で判断すべきところを、見た目の性別で判断すれば差別になりますが、元々見た目の判断だからです。

 ただ、見た目と内心の齟齬は本人にとって不幸であり気の毒ではあります。そこで、私は、見た目が男性であるトランス女性のための区分を新設することを提案します。ここで考慮すべきは、自分の快感ではなく、同じ空間を使う人の不快感です。これは公共的空間の原則と言ってよいでしょう。見た目が男性のトランス女性にとって男性と同じトイレを使うのが不快であり、女性にとって、見た目が男性のトランス女性と同じトイレを使うのが不快なら、解決策はおのずから私の提案の様になるのではないでしょうか。男性と同じトイレが良いという女性や女性と同じトイレが良いという見た目が男性のトランス女性の要望までは残念ながらかなえてあげられません。せめて、不快感がないようにしてあげるだけです。そういう望みは私的空間でかなえてくださいとしか言えません。