■ 徒党を組む

 朝の通勤電車でよく見る親子連れがいます。小学校低学年ぐらいの兄弟と父親らしき3人で、微笑ましい雰囲気です。兄弟は、制服制帽姿で、電車で通うような小学校ですから、いわゆる名門校に通っているのかもしれません。いつも本を読んでいて賢そうに見えます。

 その父親のある行動を見てしまいました。父親が座った席の隣に中学生くらいの女の子が座ろうとしたら、「そこは予約席」とでも言うように父親が手で押し戻し、自分の子供を座らせたのです。私は、美しい家族愛に感動したりはせず、気分が悪くなりました。そういえば、この親子、席取りに熱心でした。以前に、先に車内に入って席に座った子供が横の席に鞄を置き、もう一人の子の席を確保していました。その時は、幼い子だからしょうがないという程の気分でしたが、大の大人が中学生の女の子を押しのける光景には驚きました。

 家族愛に感動することはありませんでしたが、家族の結束は固そうです。しかし、この兄弟の将来が心配になりました。賢そうで出世するかもしれませんが、自分の家族以外のことは気にしなくなりそうです。いや、自分の学校、自分の会社、自分の国ぐらいまで気にする範囲は広がるかもしれません。少なくとも、兄弟思いではあるので、自分1人のことしか考えないほど利己的ではないようです。父親も自分が座るために女の子を押し退けたりは、しないと思います。社内の乗客が見ていますから恥ずかしくて出来ないですよ。でも、自分の子供の為なら、どんな恥ずかしいことでもできるんです。家族愛は強いのです。

 割と衝撃的な光景だったので、あれこれ考えていたら、ある出来事を思い出しました。ここから先は、少し妄想じみています。ある出来事とは、島田雅彦氏の「あの暗殺が成功して良かった」発言です。氏はすぐに発言の撤回と謝罪をしましたが、謝罪というよりは言い訳でした。少なくとも、彼は自分の個人的利益のために暗殺を喜んだのではないでしょう。暗殺の成功は、自分の仲間の利益になるので良かったのであって、殺人を無条件に容認する意図はなかったと述べています。殺された安倍元首相には気の毒という気持ちはあったかもしれませんが、自分の仲間の利益に比べれば大したことはないのだから、許してくれてもいいんじゃないのかなあ、と言いたげな謝罪でした。一応、謝罪するけど、暗殺なんかより、安倍政権と統一教会の癒着のほうが大問題だという気持ちが言い訳の分量の多さから伝わってきましたね。

 あの父親も「女の子には気の毒だったけど、自分の家族のためなら仕方無い。重要なのはわが子が座れることで、他人の女の子が座れないことは大したことじゃないし、決して肯定しないが、押しのけるのもやむを得ない」という気持ちかもしれません。その父親を見て育った兄弟も頭が良さそうですから、東京外大を卒業し、小説家として成功し、仲間のための暗殺を容認するようになるかもしれません。いや、妄想が過ぎました。そこまで極端な人間になるのは、稀です。せいぜい、仲間のために他人を押しのけて、花見の場所取りする程度でしょう。

 人間は社会的動物なので、仲間を大事にします。会社の利益になれば不正も働きたくなります。政党の為に選挙違反もやりかねません。個人的利益のための不正や犯罪ほど罪悪感に苛まれたりしません。徒党を組み、仲間の為なんだから仕方ないさ、と被害者のことはとりあえず気にないことが多いです。皆そうでしょう。