タバコ産業の犠牲者

 随分以前に読んだ古い世界禁煙デーの資料です。再度検索したらまだありました。2000年なので一昔以上前です。

「タバコを初めて吸うことには、特別な意味がある。もう子どもじゃないんだ、強いんだ、スリルを味わうんだ、いい子ちゃんじゃないんだ。そういう当初の心理的な動機が消えていく頃、、代わりに薬理的作用が効いてきて、喫煙が習慣になる。」
フィリップ・モリス、研究開発担当副社長、「人はなぜタバコを吸うか」1969年初稿
http://www3.ocn.ne.jp/~muen/who-honyaku/tobaccokills.html

 これは,子供をターゲットにしたマーケティングですが,その他,女性,発展途上国,スポーツファンがターゲットになっています。昔はモータースポーツを初めとして様々なスポーツのスポンサーにたばこ産業がなっていました。私は一時ウインドサーフィンをしていたことがあり,ウインドサーフィンの大会会場に「サムタイム」の旗がはためく光景の写真が雑誌に載っていたのを思い出します。調べてみたら,「サムタイム」は2011年に販売終了したそうです。今では考えられませんが,選手がタバコのCMに出ていました。

 随分,時代も変わったと思ったら,いまだにネット上では喫煙のマナーが議論になっています。確かに,喫煙者は有害物質を吐き散らす加害者ですが,タバコ産業の犠牲者の面が強いので,マナーだけじゃ片付くとは思えません。どちらかと言えば援助してあげないといけないのではないでしょうか。ネズミ講の会員は加害者でもありますが,被害者として支援が必要なことと似ているように思います。タバコの場合ネズミ講と違って国も共犯者ですから,尚更です。

 仕事中や路上,あるいは飲食店という不特定多数がいる場所での喫煙マナーが議論になりますが,少し考えればマナーの問題と考えるのは無理があります。仕事中や路上で我慢できずに飲酒をしてしまうのをマナーの問題と考える人はいません。マナーではなくて,アル中という病気ですから,治療を要する問題なのです。

 趣味思考は個人の自由なので,自宅で晩酌しても良いし,勤務時間外に居酒屋で楽しむのも結構です。ですが,勤務時間に飲酒したい従業員のために,社内に飲酒ルームを設置する企業の話は聞いたことが有りません。どうしても我慢出来ないのなら,会社ではなく病院で相談する必要があります。依存症はマナー心や意志の力で克服できるような生やさしいものではありません。

 一部には嫌煙運動を禁煙ファシズムと称して,タバコ文化を弾圧するものだとする主張があります。確かに自分の健康の為に辞めなさいというのは余計なお節介でファシズムに繋がりかねません。でも,マリファナや脱法ハーブのような弾圧は全くされていません。喫煙は自由です。現状を弾圧と感じる様ではあまりに甘えているというか情けない限りです。世間の声など気にせずに思う存分嗜めばよいです。プライベートな空間でですが。それに,プライベートで他者に迷惑を掛けずにたしなむ分には自由という点は他の趣味思考と同じですが,それ以上の優遇を受けていることは,前述の通りです。この優遇はタバコ産業の犠牲者に対する補償とでも考えればよいと思います。

 私が喫煙者はタバコ産業の被害者だと何となく感じたのは子供の頃です。祖父は気管支炎を患っていて,長い間,寝たり起きたりの暮らしでした。そして,時々発作を起こすという状態にもかかわらず,煙草が止められないのです。吸入薬と煙草が枕元にならんでいるという奇妙な状況でした。自分で煙草を買いに行く体力はありませんでしたので,家族の中で一番年下で頼みやすい私が使い走りをしていました。ゴールデンバット,ピース,しんせい,いこい,わかばホープ,最後の頃はエコーを吸っていたような記憶があります。煙管を使っていた姿もおぼろげに覚えています。喫煙中は満足している様子でしたが,どことなく後ろめたい気分を漂わせていました。

 実は私以外の家族全員が喫煙者でした。祖父,両親,姉二人,兄。私は年が離れていたので結局吸いませんでしたが,受動喫煙は相当あったと思います。あるとき,母親に聞いた事があります。「タバコってうまかね」答えは「全然,やめられんだけよ。」もちろん,人によって違います。多くの喫煙者は煙草の一服は実に旨いといいます。しかし単に辞められない習慣になっているわたしの親のような場合もあります。こういう人を見ると犠牲者というたたずまいです。最近は肩身の狭そうな喫煙者が増えているような気がします。

 時代は一気に現代に飛びます。お客さんと仕事の打ち合わせをしている最中に突然「失礼」といって席を外す人を知っています。数分で戻って来ますが,余程の急用なのかというとそうではなく,一服するためです。これが,コーヒー1杯飲むためとか1曲歌いたくなったためだとしたら随分仕事やお客を馬鹿にした失礼な態度です。しかし,その人に対しては誰もそうは思いません。吸わないではいられない病気だと知っていて,気の毒そうな目で見ています。昔だったら,中座せずにその場で吸い始めたのではないでしょうか。さすがに現代ではそれは拙いと分かっているので,申し訳なさそうに消えていくのです。

 タバコ産業の犠牲者だと認識できれば,この様に優しい態度で接する事ができます。なんだか上から目線だと不快に感じる方もいるかも知れませんが,誰だって病気の一つや二つは持っていますから,そこはお互い様です。私は下痢症なので会議中にトイレが我慢出来なくなることも希ですがあります。喫煙者と非喫煙者でいがみ合うよりも,元凶のタバコ産業が静かに消滅に向かう手立てを考えた方が建設的だと思います。  

 ところで,最近の嫌煙運動は行き過ぎだという意見も有ります。例えば,路上や屋外での喫煙ぐらいよいではないかという感覚の人もまだいますが,他の趣味思考と比べれば行き過ぎどころが非常に甘いです。行き過ぎだと感じるのは,単に甘すぎた過去と比較しているだけじゃないかと思います。忘れてしまっているかも知れませんが,数十年前を思い出して下さい。私が新入社員の頃の職場の状況はなんとなく事務室の遠くの方が霞んでいました。そして年末の大掃除で気づいたのが,窓のアルミサッシの色が実はシルバーだったことです。それまでは,ブラウンだと思っていたのですが,それはヤニの色でした。机やロッカーもヤニコーティング状態。今あの環境に戻れば,自分が燻製にされている気分になるんじゃないかな。当時は,そう言う環境でも別に普通だと思っていました。そのころでも喫煙マナーは言われていましたが,事務室では吸わないでくれなんて言えば,行き過ぎだと言われたに違いありません。