化け物

 私の考えでは差別にはなりません。外見への率直な感想を述べているだけで、LGBT活動家だから、どうのこうのとは言ってませんからね。ただ、外見を貶すのは、侮辱罪になる可能性はあります。引用リツイートには「化け物コスプレ」という酷いのもあって、失礼ですね。ただ、ドラァグ・クイーンは女性のパロディ芸なので、こういう反応も面白がって訴えられることはないとは思いますが。

 ところで、私自身がキモいと感じるものは結構変化してきました。見慣れないものは頭が付いていかないので、「なんだこりゃ!」と驚くのですが、そのうち慣れます。こどもの頃は、女性のメイクがキモかったです。特に、欧米人の濃いメイクは「化け物」に見えましたし、和モノでも舞妓さんの白塗りは不気味でした。舞台女優の化粧のアップも滑稽でした。それも、次第になんとも感じなくなりました。未だに慣れないのは、化粧ではなく、不幸にも変形してしまった素顔です。不幸とは病気や火傷、外傷などです。このような人を見ると、危害を加えられるわけでもないのに、直視できませんし、逃げたくなります。実際に行動すれば差別になるのでしませんが、感情はどうにもなりません。慣れていないのは、単に、経験が少ないだけなのか、理由があるのかよくわかりません。

 肉体的な異形には恐怖を感じますが、化粧の異形は滑稽に感じることが多いのは何故なんでしょうか。深刻度の違いかもしれません。今では無くなりましたが、黒塗りに腰蓑、鼻輪をつけ「南洋の土人」に扮するのは昔のお笑いでよくあり、なぜか面白がっていました。面白いと感じた理由を考え出すと興味深いのですが、ここでは省略します。ヒョットコ、オカメも現役の滑稽ではなくなりました。外見の滑稽さは飽きてしまいますし、面白がると「差別」と批判されるので「生き物」から「記録」になってしまいました。

 しかしですよ、鼻を飾る文化の人々はどう思っているんでしょうか。既に、そういう文化は廃れてしまったものが多いとはいえ、まだ残っているはずです。自分たちの文化が笑われるのは不快でしょうが、存在自体を否定されているように感じないでしょうか。さらに、ここに来て、伝統文化だけでなく、新興文化にも鼻飾りが出現して事態は複雑になっています。鼻ピアスです。ひと昔前ならお笑いであった鼻ピアスが最新ファッションとして登場しています。当初は戸惑いのあった周囲の反応も、慣れてしまって、TVなどの出演者は特に反応しません。とはいえ、視聴者レベルでは、滑稽だの、不快だのという反応はまだ残っています。

 現代では、自由が重んじられますが、文化は自由を制限する面があります。望ましい外見、礼を失しない外見というものがあり、そうでないものを排除します。一方で文化の多様性を認め、排除しないようにもなっていますが、同じ集団内では統一されています。やはり、統一が無いと、心理的に不安になるのでしょうか。実際上の不都合が無ければ、どのような格好をするのも自由のはずですが、それほど単純ではないようです。格好そのものに意味はなくても、他者と同じ格好をしたり、他者とは違う目立つ格好をすることには、確かに意味があります。