不存在の証明

■出来るの,出来ないの
 不存在の証明は悪魔の証明ともいわれ,実証科学では厳密には不可能です。可能なのは,ほぼ存在しないだろうという「確度」を言うことです。例えば,エネルギー保存則の反例が存在しないという証明は不可能ですので,エネルギー保存則を否定するような主張は全くの非科学であると証明することも出来ません。でも,まっとうな科学である可能性は殆ど無いとは言えます。

 以上のような言い方は,不存在の証明の不可能性に則った説明です。ところが,そのような言い方は不存在の証明を試みようとしている駄目な説明であると言う人を見かけました。それだけでなく,その人はエネルギー保存則を否定するような主張は明確に非科学といえる良い説明があるとも言います。そんな説明があるなら不存在の証明が可能になりそうですが。

 牛乳☆たん ‏@milktan2525
@apj 「 破ったケースを見つけよう」とすることが不存在の命題の証明を試みてることなのがわからないんですか?

apj ‏@apj
@milktan2525 破ったケースを見つけようとして実際に破れているのが見つかれば、それは不存在ではなくて存在する、という結論になるわけだから、不存在の命題の証明とは言えないのでは。

 この議論は,エネルギー保存則は極めて確からしい法則であって,これを否定するような主張は疑った方が良い,というapjさんの意見に関するものです。「確からしい」と言えるのは歴史的に保存則を破ったケースを見つけることができなかったからとapjさんが言ったことに対してのやり取りが上記のツイートです。

 「不存在の証明の不可能性」とは,科学の法則の反例が存在しないとは言えないということです。つまり,科学の法則を否定するような非科学を完全には否定できないということです。あくまで非科学が科学である可能性は非常に少ないと言えるだけです。apjさんはそう言う理解に従い,エネルギー保存則の反例が絶対存在しないとは言えないが,存在する可能性は非常に低いと説明しているわけです。

 apjさんが不存在の証明を試みようとしていないのは明らかですが,milktan2525さんには試みているように見えるようです。破ったケースを見つけようというのは,不存在ではなくて存在証明の試みですし,その試みが尽く失敗したことから反例は存在しないだろうと推測するのは,不存在の証明ではなく,不存在の確度の高い推測です。それで,奇妙なのは,milktan2525さんは次の様にも言っている点です。

牛乳☆たん ‏@milktan2525
科学を高度に学んだ者であれば科学的根拠をもって、非科学的な主張を圧倒的な説得力をもって排除できるはずであるのに、そうならないのは貴殿と片瀬氏の説明の仕方にあるのではないでしょうか?

 仰っているのは,確度の高い推測などというあいまいで説得力のない説明ではなく,確実に非科学と言える説得力のある説明が出来るはずである,ということです。つまり,エネルギー保存則の反例の存在を主張するような言説は非科学であると,科学的根拠でもって明確に言える,と仰っているのです。これは,エネルギー保存則の反例の不存在を証明出来ると言っていることに他なりません。不存在の証明を試みていると他者を批判する人が,不存在の証明が出来ると主張しているという奇妙な状況です。 
 何となくですが,milktan2525さんは,論理的に矛盾がないものが科学であり,矛盾があるものが非科学と考えている様な気がします。実証的には不可能な不存在の証明も,論理的には出来るとでもお考えのように見受けられます。でも,論理的に矛盾のない非科学はいくらでも有ります。アドホックな説明を加えていけばよいのですから。またアドホックな説明だから非科学とも言えません。まっとうな科学でも,完全な理論は有りませんので(あれば科学者は失業する),例外へのアドホックにな対応はあります。

■前提次第

 話は変わって,実証科学ではない数学では不存在の証明は普通に行われます。ただ,この場合も必ず前提条件があって,その前提(公理など)の元では存在しないと言うだけのことであって,存在可能な前提を作ることは可能です。

 不存在証明の不可能性が言われるのは,いわゆる実証科学です。実証科学とは,実験や調査結果から帰納的に法則を見つけるものです。実験や調査は世界のすべてに付いて行う事は出来ませんから,あくまで,法則が成り立つだろうという確からしい推測に過ぎないわけです。法則の反例が無いと証明することは現実的には出来ません。

 しかしですよ,宇宙は有限ですので,すべての事例を調べれば,不存在の証明も出来ます。一般的には現実性はありませんけど,条件を付ければ現実的にも可能です。例えば,「私の家族には,英国人は存在しない。」という法則は証明出来ます。悉皆調査が可能だからです。「私の家族には」という条件を付けることは,数学の証明の前提(公理)と似た役目を果たしています。

 数学の証明では有限の場合に限らず,無限の場合でも不存在の証明が可能です。その場合も,対象となる無限集合を定義して,その無限集合に関してはという前提があるからです。同様に数学以外でも対象を定義できれば無限の対象でも不存在の証明は出来ます。例えば,「父親に女性は存在しない」などです。何を馬鹿なことをお思いでしょうが,実は数学の証明もおそらく他の科学の証明も本質的には同じことだと思います。「父親ならば男性である。男性ならば女性ではない。」という2段階の推論しかないので,馬鹿馬鹿しく感じるだけで,複雑な過程があれば,もっともらしい法則に見えるだけだと思います。

 もう一点,不存在の証明に必要なことは,「父親」や「女性」の定義が明確に出来ることです。数学の世界と違い現実世界では定義は分類に相当し,分類は完全には出来ません。性別にはあやふやなところがありますので,女性の父親が存在しないとも言い切れない面があります。

 結局,現実世界では悉皆調査の不可能性や定義(分類)のあやふやさがあるため,不存在の証明は不可能と言われているのだと思います。対象を明確に出来れば不存在の証明も不可能ではないかもしれませんが,対象がどんなものかよく分からないので調べているのが実証科学です。従って,対象の範囲も厳密ではないので厳密な証明は不可能になります。