国の謝罪

 素朴に考えると,謝罪は気持ちの問題です。気持ちのこもらない形だけの「悪かったな」じゃ謝罪になりません。少なくとも,私的な関係ではそうではないでしょうか。しかし,これが法的な関係になるとよくわからなくなります。謝罪記事を求める裁判なんてのがありますが,裁判所の命令によるいやいやながらの謝罪で気が済むのか不思議ですが,これが気が済むんですね。なぜかというと,求めているのは心からの謝罪という相手の気持ちではなくて,第三者によって悪いのは相手と認めてくれたからです。気持ちの問題といっても,「ざまーみやがれ」という自分の気持ちなんです。

 考えて見ると,私的関係の謝罪も「ざまーみやがれ」の気分が強いような気がします。土下座の謝罪で相手に屈辱を与えてほくそ笑むのは気持ちいいんです。「いーや,そんな下劣な品性は持ち合わせていない」という人はたぶん嘘つきです。だって,映画やドラマで人気のある復讐譚の多くがそのパターンじゃないですか。悪代官が歯ぎしりしながら「ははーッ」と土下座すれば,気分がスカッとします。つまり,気持ちの問題といっても,謝罪する側の気持ちではなくて,謝罪される側の気持ちなんですね。

 では,気持ちだけでよいかというと違います。裁判でも大体が謝罪要求と慰謝料はセットです。誠意を示すとは金銭的なものであることは常識です。いや,謝罪だけで良いのだ,という人も多分嘘つきです。「謝罪だけしますが,慰謝料はびた一文払いません」と言われても気にしない人なら正直者でしょうが。このセットになっている意味をもう少し考えてみると,謝罪と慰謝料は同じ重みではないと分かります。慰謝料は一度きりです。1回受け取ればそれでおしまいです。清算されてチャラになってしまいます。ところが,謝罪は後を引きます。清算されないのです。そのため,別の補償を求められたり,再度,謝罪を求められたりします。もしそれを拒否すると,「謝罪は口先だけだったのか」と詰め寄られます。つまり,謝罪は将来にわたって負債を負うことのようなのです。非対称な関係がしばらく続くということです。ドラマでも,「一生,罪を償い続けます」というではありませんか。

 ここからが本題ですが,国際的関係での謝罪が簡単ではないのは,将来の負債ということを嫌うからではないかと思います。私は国が謝罪する意味がよく分かりませんでした。謝罪が気持ちの問題だとしたら,人間ではない国は謝罪できませんからね。国民は謝罪できますが,国民全員が同じ気持ちであるという保証はありません。その時の国民の代表である首長の気持ちという解釈も出来ますが,だとしたら首長が交代したらおしまいです。前任者の気持ちを引き継ぐことはできません。引き継ぐことができるのは形にできる将来の負債です。

 「謝罪の意味が分からない」を詳しくいうと,謝罪させられることの国のデメリットや謝罪させることの国のメリットがよくわからないということです。謝罪させた国の国民は気分がいいでしょうし,謝罪させられた国の国民は悔しいかもしれませんが,国としてのメリット,デメリットってなんでしょう?国民に悔しい思いをさせた政権政党は次の選挙で負けるというデメリットはあるかもしれませんが,それは政党のデメリットで国のデメリットではありません。謝って済むのならメリットこそあれ,デメリットはないように思えたからです。でも,前述の将来の負債というデメリットがあるのだと思い当たりました。青春ドラマではすなおに謝罪すれば,過去は水に流して親友,という麗しい話になりますが,国際関係の恨みはなかなか水に流れません。

 例えば,慰安婦問題で日本の首相は韓国に4回謝罪しています。1回謝罪すれば済むというものじゃないんですね。それで,謝罪の言葉だけでよいなら,100回でも1000回でも未来永劫繰り返しても,実害はありません。でも,それだけで済むわけはなく,裁判判決の謝罪と慰謝料がセットであったのと同様のことがあるのではないでしょうか。つまり,実利的な譲歩も無制限に求められる可能性があります。無制限とは期間と譲歩の内容が不確定だからです。多分,対等な立場になるまでは相当の期間を要します。個人の謝罪は一生で終わりますが,国の場合は未来永劫続く可能性もあります。中東問題の執念深さを見ていると十分あり得ます。

 それで何を言いたいかというと,本来,謝罪とは個人の気持ちの問題であって,国の関係に適用するのは無理があるんじゃないかということです。個人なら一生かかって罪を償うという覚悟も出来ますし,自然とそういう気持ちにもなります。でも,将来の世代にそんな負債を負わせることが出来るのか疑問です。自分は何もしてないのに先祖の罪を負い続けるなんて,前近代的な不幸です。一生かかって償うというのは殺人のような取返しのつかない犯罪の場合によくあります。では,国の場合取返しのつかない罪はあるんでしょうか。国を滅ぼしてしまうというのがありますが,国は再興できます。しかも,再興出来たらおしまいかというと,償いが不十分だとして延々といさかいが続いているのが国際社会の現実です。

 たぶん,罪は償えないのだと思います。だから,恨みも一生続きます。謝罪要求がその恨みを晴らすために相手に屈辱を与えることなら,相手は不幸になりますし,自分も幸福になるわけではありません。そんなことにこだわるよりも,恨みは適度なところで忘れた方が幸せだと思いますが,それが出来ないのが人間です。せめて,国の関係にはそんな人間の感情は廃して,ドライな損害賠償だけにできたらいいなと私は思います。ゲーム戦略でも倍返しは得策ではなく,ほどほどの報復が最適らしいので,実利的にもその方が良いのじゃないでしょうか。