島田雅彦氏の火に油を注ぐ謝罪

 島田雅彦氏が夕刊フジの主材に対して「暗殺成功して良かった」発言の撤回と謝罪をしました。その感想です。

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テロの成功に肯定的な評価を与えたことは公的な発言として軽率であったことを認めます。殺人を容認する意図は全くありませんが、そのように誤解される恐れは充分にあったので、批判は謙虚に受け止め、今後は慎重に発言するよう努めます。

 

 「あの暗殺が成功して良かった」発言が、殺人を容認する意図が全くなく、誤解されたなどという人間とは言葉によるコミュニケーションは無理ですね。

 

ただ、安倍元首相襲撃事件には悪政へ抵抗、復讐(ふくしゅう)という背景も感じられ、心情的に共感を覚える点があったのは事実です。山上容疑者が抱えていた旧統一教会に対する怨恨(えんこん)には同情の余地もあり、そのことを隠すつもりはありません。

 

 私も同情はしますが、「暗殺が成功して良かった」とは思いません。社会にとっても容疑者自身にとっても良くありません。良かったのは安倍元首相にいなくなってもらいたい島田雅彦氏にとってでしょう。

 

さらに政権と旧統一教会の癒着を暴露する結果になったのも事実です。今回の「エアレボリューション」での発言はそうしたことを踏まえ、かつ山上容疑者への同情からつい口に出てしまったことは申し添えておきます。

 

 癒着かどうかは別にして、政権と旧統一教会に係わりが有ったのは事実です。ただ、それは昔から知られていたことで、暗殺によって暴露されたのでは全くありません。結局、島田雅彦氏は、暗殺による暴露を肯定しています。暴露は暴露する内容を言語や映像で表現して行うもので、暗殺はそれに注目させる手段ですが、不用意に手段は選ばないと言ってしまったわけです。

 

また大学の講義で殺人やテロリズムを容認するような発言をしたことはありません。テロ容認。言論に対する暴力的封殺に抵抗を覚えるのは一言論人として当然であるし、また暴力に対する暴力的報復も否定する立場から、先制攻撃や敵基地攻撃など専守防衛を逸脱する戦争行為にも反対します。

戦争はしばしば、言論の弾圧という事態を伴ってきたという歴史を振り返り、テロリズムと同様に戦争にも反対の立場であることを明言しておきます。

 

 それなら「暗殺が成功して良かった」というはずがないと思うのですけどね。

 

一方で、安倍元首相暗殺事件や岸田首相襲撃事件を言論に対する暴力と捉える場合、これまで政権が行ってきた言論、報道への介入、文書改竄(かいざん)、説明責任の放棄といった負の側面が目立たなくなるということもありました。

 

 「暗殺は言論に対する暴力ではない」と捉えよとは、これまた物凄いこと言いますね。暗殺を認めています。

 

また民主主義への暴力的挑戦と捉えると、国会軽視や安保三法案の閣議決定など民主主義の原則を踏み躙るような行為を公然と行ってきた政権があたかも民主主義の守護者であったかのような錯覚を与えるという面もあります。

 これも、「暗殺は民主主義への暴力的挑戦ではない」と暗殺を認めていますね。

 対象が「民主主義を踏みにじる政権」であろうと暗殺で打倒するようでは、民主主義ではないでしょう。暗殺は民主主義への暴力的挑戦ですよ。暴力という言葉の意味も分からず錯覚しているのは島田雅彦氏でしょう。

 

テロは政権に反省を促すよりは、政府の治安維持機能を強化し、時に真実を隠蔽することに繋がることもあるがゆえ、肯定的評価を与えることはできません。そのことはテロリズムを描いた拙著『パンとサーカス』でも明らかにしています。

 

 言い訳したいあまりに、ここまでの記述ではテロに肯定的評価を与えているのですけどね。あるいは暗殺とテロは違うという詭弁なのでしょうか。

 

放送の翌日に岸田首相に爆発物が投げつけられる事件が起きましたが、歴史を振り返ると、テロリズムが世直しのきっかけになったケースはほとんどないし、連鎖反応や模倣犯を呼び込む可能性もあると改めて思いました。

 

 直後に模倣犯(まだ未確定だが)が現れるまで気づかなかったのでしょうか?想像力皆無です。

 

 前の記事にも書きましたが、島田雅彦氏はテロにそれほど関心も知識もなさそうです。関心があるのは「民主主義を踏みにじる政権」の打倒でしょう。その手段は暗殺だろうと、デマの流布だろうと気にせず、炎上必至の手段を軽く口走ったんじゃないでしょうか。それがどれほど重大なことなのか自覚がないので、本意である政権打倒を説明すれば言い訳になると勘違いしたのでしょう。見苦しくて、無理あり過ぎで、火に油を注ぐ言い訳ですね。